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【Victoria3】アメリカ「経済的支配」目標プレイレポート第3回 海のフロンティア -黒船来航と太平洋戦争-(1850年~1861年)

 

Victoria3アメリカ合衆国プレイレポート第3弾。

今回は、陸のフロンティアを消滅させた前回に続き、いよいよ太平洋への進出を進めることを目指す。

 

目指すは史実通りのマシュー・ペリー提督による「黒船来航」。

だが、それは史実とは程遠い、あまりにも大きな戦乱に繋がる出来事となったのである。

 

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目次

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

 

第一次太平洋戦争(1852年~1853年)

黒船来航

1852年3月10日。

第10代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは、太平洋に浮かぶハワイ王国の属国化を宣言。太平洋地域・ひいてはその先のアジアへと影響力を広げる上での橋頭保とすることに決めた。

 

このハワイ王国に対する強権的な姿勢は、この国と親しく保護的な姿勢を取っていたイギリスを刺激することは間違いなかった。

 

そこで、リンカーンはイギリスとの同盟締結を決断。

イギリスは現在アメリカと同じく知識人層と実業家集団とを重要な利益集団として優遇しており、その点が彼らにとって同盟を締結する大きな理由となったようだ。

この同盟締結は、ヨーロッパ大陸との相互不干渉を規定したモンロー主義に反する方針でもあり、今後ヨーロッパでの戦いに巻き込まれる危険もある。

だが、アジアへと突き進む「海のフロンティア」というアメリカ合衆国の新たなる政策において、必要不可欠な方針でもあった。

 

 

この同盟をもとに、ハワイ王国の王カメハメハ3世に対し従属を要求。

ハワイもオランダ東インド会社に助けを求め、彼らもその支持を宣言したが、列強1位の大国たるイギリスをバックにつけたアメリカ合衆国の相手にはならないことは明白であった。

 

結果、1852年6月23日。

ハワイ王国は戦わずして降伏を選択。

太平洋に浮かぶ気品ある独立国は拡大する新たなる帝国の傘下に収まることとなったのである。



そして、リンカーンはその野望をさらに西へと進めることとなった。

すなわち、第11代将軍徳川家斉によって統治されている幕政日本。その長きにわたる鎖国体制に対し、リンカーンマシュー・ペリー提督率いる20隻の軍艦を浦賀の港に派遣し、開国を強く迫ることとなった。

なお、アメリカはまだ「装甲船」の技術を獲得していないため残念ながら「黒船」ではなく、木造の船での来航だったという。

 

 

この英米連合の横暴に対し、列強の一角であるロシア帝国が、日本側につき英米連合に敵対することを選択。

 

江戸湾に黒船ならぬ木造軍艦を並べ、ハワイ王国に続く無条件降伏を迫るペリー提督。

しかし、やはり木造では威圧が足りなかったか、あるいはロシアという、史実にはない強力なバックの存在に気を強くしたか、1852年10月8日。

江戸幕府は降伏を拒否し、ここに英米連合vs日露同盟による第一次太平洋戦争が勃発することとなる。

 

 

侍vs米兵

陸地で接していない相手に対しては、上陸作戦でまずは前線を作る必要がある。

上記の記載の中では江戸湾に戦艦を浮かべて・・・とあるが、実際には開戦して初めて艦隊を派遣することができるので、海戦と同時に早速、ペリー提督にウィンフィールド・スコット少将の上陸作戦を支援させる。米墨戦争でも見せた最強のタッグである。

なお、上陸作戦を支援できるのは、同じ戦略地域に配置された将軍だけ? ディキシー本部にいるトーマス・ジェスプ准将を支援することはできなかった。

 

50日後、本国では1852年選挙の結果、民主党が勝利してエイブラハム・リンカーンが4期目を迎える中、ひたちなかにて最初の日米の戦いが巻き起こる。

軍事技術では圧倒的な差。敵兵は銃器もまともに揃えられていない非正規兵の集まりである。

しかし上陸戦による各種ペナルティの結果、戦闘力だけで比較すると互角の戦い。

その結果は・・・・

 

 

1853年1月11日。およそ1ヵ月にわたる激戦を経て、見事勝利!

15大隊vs10大隊という、数においても有利だったこともあり、最終的にはキルレシオ2倍以上の圧勝。

一気に関東から東北にかけて10地方を平定することができた。

これで日本本土に前線を敷くことができたため、本国からトーマス・ジェスプ准将も呼び寄せて万全の態勢を築く。

日本軍は128大隊(12万8,000名)とかなりの数を揃えてはいるが旧式の武器を揃えた烏合の衆。

次々と蹴散らして見せよう!

 

那須幕府軍江川秀龍将軍が果敢にも攻めてくる。

今度は数においては敵側有利だが、とはいえ上陸戦でもなくなった今、技術の差による圧倒的な戦闘力差が覆しがたい。

結構劣勢な勝負は攻勢側で仕掛けてくる印象の薄いAIだが、日本軍はこのあたり無鉄砲な感じに調整されていたりする?

この戦いでは日本兵が3,000人も討ち死に。

黒船こそなかったものの、200年間国境を閉ざしてきた日本の人々は、この圧倒的な異人の軍隊に恐れ戦いたことだろう。

 

1853年7月16日。

開戦から9か月が経ち、それまでバルト海付近で小競り合いを続けていた英露軍もついに日本上陸。

東北を舞台に、列強同士の激突が繰り広げられようとしていた。

 

そして8月16日、ついに激突。

ロシア軍のヴァシリー・ドルゴルコフ准将とイギリス軍のステファン・スターキー中将による、東北における攻防戦。

軍質において互角の場合、やはり攻め込む側は不利。数の差もあり、ロシア軍は大量の兵を失いながら敗走する。

 

8月末には京都も制圧され、この関西戦線にもイギリス軍のジョン・シートン少将が3万の兵を引き連れて上陸。

 

10月にはもう、日本軍の継戦は不可能な状況に陥っていた。

 

そして10月31日、日本降伏。

これ以上戦う理由もないため、ロシアとは白紙和平を行う。賠償金は取れないが、問題ないだろう。

 

そして11月1日。日本は開国とアメリカへの5,000ポンド/週の賠償金支払いを認める下田条約への調印を認めることとなった。

壊滅し、炎に包まれる江戸城

このときの敗北が、この国に近代化を必要性を強く認識させることとなった。

 

 

戦間期の経済と政治(摩天楼、自由の女神、そしてリンカーンの死)

日本への侵略を終え、ひとまずの平和の期間を享受するアメリカ合衆国

すると、「摩天楼の建設予定地調査」というディシジョン(判断)が有効化されていることに気が付く。

官僚制を一時的に500消費するが、ニューヨークの摩天楼はやはりアメリカの夢。ホワイトハウスがあり産出量にボーナスのつくコロンビア特別区やニューヨークに追加の行政府を建て、もはや用済みとなった植民地制度の投資レベルを1に下げ、官僚制を捻出。500を超えた段階でこのディシジョンを選択することにした。

 

そして1856年3月5日。

摩天楼の調査」が完了。

 

早速ニューヨークに摩天楼を建設しようとすると・・・なんと「自由の女神」も建設可能になっている!

もちろん、これも同時にすぐさま建てよう。いずれも必要建設力は1,000ポイントだが、この時期の主要建築物の2倍程度であり、かつ摩天楼建造完了までは建築力ボーナスが10%ついているため、特に苦労はしないだろう。

 

およそ1年後の1857年2月18日。

ついに、世界で初となる摩天楼がニューヨークの地に誕生した。

史実における世界最初の高層ビルとされているホーム・インシュアランス・ビルが1884年竣工のため、それよりも27年早い実現となった。

自由の女神と共に、ニューヨークに堂々と聳え立つ摩天楼。

それぞれ、高い国威と共に行政力出力や移住求心力にボーナスがもたらされ、今やこの世界最大の都市は400万を超える人口を擁するようになっていった。

 

 

アメリカ経済が破竹の勢いで伸びていく中、政治の世界でも動きが巻き起こる。

 

1856年2月18日。

12年間に亘りこの国のトップに立ち続け、反自由主義・反ホイッグ党という理念だけで4つの利益集団をまとめ上げてきたカリスマ、エイブラハム・リンカーンが、ついにこの世を去ることとなったのである。

まだ47歳。史実で大統領になった年にすらなっていない、あまりにも早すぎる死。

もしかしたらそれは、史実同様に暗殺によるものだったのかもしれない。

 

いずれにせよ、「啓蒙的雄弁家」など強力な特性をもち高い人気を誇っていたリンカーンの死は、元々そのカリスマだけでもっていた諸勢力の寄り合いたる民主党の崩壊を意味していた。

リンカーンの後を継ぎ新たな大統領となったエドムンド・マウリーは「偏屈」な性格であり人気は低く、1856年12月7日に行われた選挙によってあっけなく政権交代が実現されることとなった。

 

第12代大統領に就任したのは、12年前まで大統領を務めていた元第9代大統領のアトリー・ミノット

リンカーン率いる民主党に敗れ、下野したあとも、粘り強く自由主義陣営を統率し、数々の進歩的法律を成立させていった、不屈の男である。

かつては若く、情熱だけで戦う姿勢を見せていた男も50を超え、いよいよ貫禄もついてきたか。実業家集団による自由貿易党と連立を組み、共にこの大国を栄光へと導く準備はできているといったところだ。

 

そしてこの敗北を受け、民主党は解党。

かつて勢力を誇っていた小ブルジョワ集団もすっかりと鳴りを潜め、今や弱小勢力の一端でしかなくなった。

 

 

経済の発展、そして政治の安定。

およそ理想的な状況を迎える中、ミノット大統領はリンカーンの政策を引き継ぎ、海のフロンティア、すなわちアジアへと再び矛先を向けることとなった。

 

 

第二次太平洋戦争(1859年~1861年

1858年11月1日。

前回の戦争終了時に結ばれた停戦条約の期間満了と同時に、ミノット大統領は日本に対し条約港の割譲を要求。

前回の戦争によって開国を約束した日本だったが、直後にロシアの関税同盟の中に組み込まれてしまいその意味をほぼ果たさなくなってしまったことに対して、国内の実業家集団が異を唱え、これに従った形である。

今や日本の保護国となったロシア帝国も当然これに出張ってくる。どころか、アジアの盟主を標榜するもまた、ここに合流。

対するアメリカ合衆国は、日本の条約港を分け合う条件でイギリスを、そして清の条約港を条件にフランスを自陣営に引き込み、1859年3月11日、アジアと欧州が太平洋を挟んで激突する、総勢150万の兵がぶつかり合う第二次太平洋戦争が開幕した。

 

前回との違いは、ペリー提督率いるニューイングランド艦隊が44隻に拡充。前回の上陸戦時の「不十分な海軍の侵略支援」ペナルティは、上陸時の兵数に対しそれを支援する艦隊の数が少なかったことによるペナルティだったが、今回はそれがなくなる。

 

さらに、後装砲の技術を獲得したことで大砲の製法を榴散弾砲に変えており、軍隊の質も大幅にアップ。

ただ、日本も前回の敗戦を受けて急速に軍隊の近代化を進めたらしく、最初の一戦となった「」上陸戦では、整然と並べられた戦列歩兵野戦砲も混じっていた。

 

 

近代化した日本・江戸幕府軍20連隊vsスコット中将率いるアメリカ合衆国軍25連隊による、第二次太平洋戦争最初の一戦。

 

結果は見事勝利!

一気に10地方を制圧し、4万の米軍が日本の中心地に乗り込むこととなった。

 

 

その後は西日本のほぼ全土を瞬く間に制圧していき・・・

 

1860年2月19日。

まずは日本が降伏。

 

そして日本戦線を勝利したスコット中将ジェスプ少将は、今度は英仏が清軍相手に激戦を繰り広げる香港マカオ戦線へと降り立つ。

総勢135万の清軍。
そこにロシア軍も混じり、なかなかの鉄壁の防御。

戦闘に勝利しても1地方ずつしか制圧できず、なかなか埒が開かない。

 

となれば・・・

 

山東半島への奇襲上陸作戦!

米墨戦争でも成功させた、海上側面攻撃である。

やはりこれは有効。

一つの戦線で膠着状態になったときに、一気に展開を進めることが可能となる。

 

 

あとはもう、時間の問題である。

清・ロシア連合は膨大な数の兵でもって対抗しようとするが、もはや徴収兵や非正規兵ばかりで相手にならない。

山東半島全域、そして北京周辺もすべて制圧し・・・



1861年8月22日、清が降伏!

残ったロシアとも白紙和平を結び、2年5か月に及んだ第二次太平洋戦争終結した。

日清露連合軍の死者数は総勢200万に達するという、あまりにも壮絶な戦争であった。

 

1861年8月27日。文久元年7月17日。

アメリカ総領事タウンゼント・ハリスは、江戸城で幕府重臣勝海舟と面談。

 

 

江戸幕府アメリカに対し、総額106万ポンドの賠償金支払いと、アメリカ合衆国に対し水戸の港を、そしてイギリスに対し津の港を明け渡すことを命じる「文久の2か国条約」を締結した。

さらに同じく敗戦国となった清はフランスに泉州の港を、そしてアメリカに青島の港を割譲することを認めさせられた。

 

のちに中国の民からは第三次アヘン戦争と呼ばれることもあるこの壮大なる太平洋戦争は幕を閉じる。

 

 

この勝利によって得られたアメリカ合衆国の富は大きい。

何しろ、これまで手が出るほど欲しく、莫大な輸送船コストを支払って清から購入していたを、水戸および青島で自給できるようになるのである。紅茶があるのも嬉しい。

 

 

そして何よりもこれで、太平洋を囲むシーレーンが確立したことを意味する。

 

陸のフロンティアをすべて征服したアメリカ合衆国の目指す、次なる「海のフロンティア」。

その最後のピースは、西太平洋に浮かぶ「あの島」である。

 

 

第4回へ続く。