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【Victoria3プレイレポート/AAR】1.2オープンベータ「ロシア」テストプレイ 第5回(最終回) 永遠のソビエトへ(1916年~1936年)

 

ロマノフ朝ロシア帝国第13代皇帝ミハイル4世は、地涌主義的な政策を推し進めた父アレクサンドル2世への反発から、反動的な統治政策と引き換えに、諸外国からの反発と戦争に伴う国民への負担を増大させていった。

そのツケは1900年に発生したフィンランド独立戦争で支払うこととなり、このとき発生した賠償金は戦費と共に国民をさらに苦しめる結果となった。

ロシア各地で皇帝専制に反対するデモが巻き起こり、その度に秘密警察で弾圧しようとしたミハイル4世。

やがて、国民の怒りはウラジーミル・レーニンという一人の男によってまとめ上げられ、1906年9月29日にモスクワで蜂起。

ロシア革命」が勃発した。

 

10か月に及ぶ地獄の内戦を制したレーニンは、労働者たちを代表する「ソビエト」を中心とした統治体制を確立。

ロシア帝国領を新たに「ソビエト社会主義共和国連邦」として再編した。

 

その後レーニンは資本家や貴族たちによる経済的支配を終わらせ、労働者や農民も含めたすべての国民が平等に止める社会を目指して各種法律を制定。

1912年3月14日には全国に労働者協同組合を発足させる「共同所有」法案を成立させ、「プロレタリア革命」を現実のものとしたのである。

だが、直後に若くして病死したレーニンの後継を巡り党内は分裂。

知識人層はより穏健なカデットを復活させ、メンシェヴィキ自由貿易党、ファシスト政党までもが入り乱れる混沌とした政治状況へと突入していった。

 

この事態を憂い、亡きレーニンの意志を継ぎ、「強力で正当な指導者によって革命は指導されるべき」と考える前衛主義者たちが台頭。

その先頭に立ったのが赤軍指導者でありレーニンの右腕でもあったレフ・トロツキー

自らの勢力基盤である赤軍の力も借りて反対派を次々と弾圧・粛清し、権力を確立。

すべての政党を解散させ、共産党のみがソビエト連邦を正しく牽引するための独裁体制を憲法によって定めることとなった。

すべての権力をソビエトへ。

そのソビエトが国民の経済もすべて掌握するための「指令経済」制度も導入し、ついに前衛主義者たちが理想とするプロレタリア革命体制が完成したのである。

直後、トロツキーは死亡。弾圧された知識人層たちの生き残りによって襲撃された際の傷が原因であった。

後を継いだのは赤軍の英雄アントン・トゥハチェフスキー

諸外国による経済的な包囲網が構築される中、巨大なる思想の帝国はその繁栄を永遠のものとすることができるのか。

 

 

Ver.1.2.2(Beta)

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目次

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

銃剣戦略

さて、指令経済まで導入し、本プレイの目的はあらかた終えることとなった今回のロシア改めソビエト連邦プレイ。

最後の目標として、この専用ジャーナル「五か年計画」の達成を目指していきたいと思う。

指令経済を導入した状態で、ソビエト連邦GDPを25%増加させるというもの。

しかし、前回示したように、指令経済導入と同時に、労働者に分け与えられていた持ち株をすべて政府が接収してしまったことにより?GDPが急落。

このGDPの立て直しが急務である。

 

新バージョンになってGDPの計算は本来それが意味するところである「最終製品の総生産額」のみとなった。これまではその前段階で投入される一次製品や二次製品の価格も入り込んでいたようだったが、そこは整理されたため全体的なGDPは低く抑えられる形となった。

で、いずれにせよGDPを底上げするには生産の高い施設をどれだけ建てられるか、が鍵となるわけだが、ちょっと見て欲しい。これが現状のソビエト市場の状況である。

最もインフレが進んでいる商品でも5%。こんな市場見たことがない。

デフレが進んでいる商品は以下の通りで、上流階級を絶滅させた結果高級製品の余剰が一気に生まれたことが原因の1つ。

そして本来のプレイであればそれらを高値で売却できるはずの諸列強が、ソビエト連邦成立以降、そこまで悪名を貯めて無い状態でも次々とこちらを非難・禁輸するという経済的包囲網を組んできたのである。史実か。

列強2位フランス、3位オーストリアハンガリー、4位イギリス、7位アメリカ自由州など世界の巨大市場のほとんどがロシアとの関係を断ち切る結果となった。

 

結果、国内の主要工業は軒並み低い生産性しか確保できず、GDPは増えず国民の生活水準も上がらない・・・ソビエト連邦は今、危機に立たされていた。

 

亡きレフ・トロツキーに代わりソビエト連邦の新たな人民委員会議議長(首相)に収入した赤軍の英雄アントン・トゥハチェフスキーは、この状況を打破するための戦略を提示する。

それはすなわち、非革命的な周辺諸国を併呑し、共産党による傀儡政権を樹立。強制的にロシア市場に組み入れることによって巨大なブロック経済圏を確立するというものである。

「我々の銃剣で勤労人類に幸福と平和をもたらす」というスローガンの下、この「銃剣戦略」が開始された。

 

1916年11月23日。

まずは手始めに、西欧の玄関口、オスマン帝国に傀儡化要求。

列強はどこもこれを見て見ぬふりをした結果、1917年1月5日に屈服。人口世界11位(2,490万)のトルコ人国家はソビエトの支配を受け入れた。

傀儡化したら宗主国と同じ統治体制(今回でいえば評議会共和政)になって頭が挿げ替えられりするとRP的には嬉しいのだが・・・。

 

続いて1917年8月24日に、今度は東の人口大国(世界7位、4,260万)江戸幕府傀儡化要求

これには清が江戸幕府側でついてきたものの、逆に清の主要領土の割譲を大胆に要求に加えた上で開戦。もはや清すらも上回る世界最大の軍量にてこれを押しつぶす。

 

1918年11月5日に清も降伏。

江戸幕府の傀儡化と共に中国の人口密集地帯を併吞し、経済的な急成長を遂げることに成功した。

なお、何も考えずせっかく獲得していた清の条約港である滄州ごと併合してしまったため、清との大量の貿易も消えてしまいマイナスに働く結果に。

GDPは8億5千万まで回復し、進捗率も-45%から-22%まで進展。・・・まだまだ先は長い。

 

だがこれで悪名は-367に到達。

これを受けて列強2位フランスと6位プロイセンソビエト連邦に対し「分相応(不相応?)」外交戦、いわゆる「懲罰戦争」を仕掛けてくる。

トゥハチェフスキー首相は全軍に対し動員を指示。国土の防衛と革命の敵に対する容赦ない反撃とを命令した。

ソ連軍合計125万vs仏普墨連合軍合計158万。

1919年10月12日、ロシア史上最大の戦争となる「大祖国戦争」が勃発した。

 

 

大祖国戦争

主な戦線は2つ。

プロイセン国境に位置する北方戦線と、フランスの傀儡国となっているサウジアラビア国境の南方戦線である。

いずれも兵数は連合国側が有利。先方も血気盛んなようなので、まずは守りを固める。

 

北方プロイセン戦線では16万の大軍に攻め込まれ、劣勢。

しかし無理をしているフランス軍の死傷者は山のように積み重なっており、前回のロシア革命のときがそうだったように、このことが彼らの戦争支持度への大きなダメージになることは間違いない。

一方の南方アラビア戦線では優勢。

フランス遠征軍の補給部隊をアフリカの角で次々と沈没させた結果、アラビア戦線におけるフランス軍の兵は皆一様に士気がほぼ0の状態となっており、もはや敵ではない。

必要最低限の兵だけを残してプロイセン戦線へと振り分けよう。

 

約5か月にわたる死闘が繰り広げられたリトアニアでは最終的に敗北し85地方が一気に奪われる形に。

しかしベストゥージェフ=リューミン元帥の徹底防戦によりフランス軍の死傷者数は12万にも上る。

この結果、戦争支持率レースではフランスが完全に劣勢に。降伏も時間の問題となるだろう。

死傷者数だけで毎週6ポイントの戦争支持率を失わせている。新バージョンはかなり死傷者数による影響が色濃く出る仕様になっている。前回のロシア革命時の革命側がそうであったように、今回もフランス側が多くの徴募兵を使用していることも原因の1つだとは思われる。

 

バルト海での海峡封鎖も順調に進行していき、フランスのプロイセン遠征部隊の補給もかなり劣悪な状態にすることができてきたので、こちらでも反撃を開始。

フランス軍が補給0の状態で使い物にならないためフランス軍将軍がプロイセン軍の兵を借りて防戦に出ているのだが、そのせいでせっかくの将軍の有能な防御特性が発揮できず、もはや抵抗する力は残っていない。

 

そのまま1920年7月5日にフランスが降伏。

あとは弱体なプロイセン軍だけとなり、趨勢は決まった。

1920年12月22日にブレスト=リトフスク条約が結ばれ、プロイセン東部地域のソビエト連邦への割譲が定められた。

 

列強2位フランスを打ち負かしたソビエト連邦は、次なる敵・・長年の国境緊張を継続していたイギリスとの決着を付けることにする。

世界3位の人口(1億9,000万人)を誇るイギリス領インド帝国、そしてバルチスタン含む英直轄領を複数要求して1922年3月31日に開戦。

北西部からソ連軍110万で攻め込みつつ、インド帝国首都カルカッタを攻め込むべくベンガル湾からも上陸部隊を投入。

しかし領土が広く敵の数も多いため、なかなか完全制圧までは時間がかかっている。

英本土上陸戦は・・・うまくいかない。戦車や飛行機を導入でもしない限りは難しそうだ。

最後の戦略目標であるナーグプルへ猛攻を仕掛ける。新機能「戦略目標の追加」を活用していていく。

これを制し、ようやくイギリス側の戦争支持率がマイナスに突入。

そして1924年6月29日。

2年以上の歳月をかけ、双方180万の死者を出したこの「インド戦争」もようやく終わりを告げた。

 

10年に及ぶ激しい世界戦争を繰り広げてきたソビエト連邦

悪名は730を突破し、その影響で倍化した「外国による制圧」理由の急進派の増加も非常に大きくなっており、国内の不安も無視できない状況となってきた。

人口は3億7,000万弱にまで伸び、清を超えて世界1位の人口を抱えることとなったソビエト連邦

第3代指導者トゥハチェフスキーは、ここでその「世界戦争」の終結を宣言する。

あとはこの連邦に住む国民の、幸福を追求すべき時である。

 

 

永遠のソビエト

急速な拡大により未曾有の他民族国家へと成長したソビエト連邦

連邦で最多数派は漢民族となり、その他インドや満州の民族が上位に来ている状況となっている。

先ほどの急進派の内訳においても差別による急進派も多くなっており、「多文化主義」を求める民衆の政治運動が連邦各地で巻き起こった結果、革命の兆しすら見えているほどである。

Ver.1.2になってから、通常の利益集団多文化主義を支持する利益集団がいなくなった(知識人層は「文化的排斥」には賛成するも、多文化主義には民族国家や国家至上と同じ「反対」の立場である)。多文化主義利益集団による支持を得るには急進主義者(「賛成」)もしくは無政府主義者(「強く賛成」)のイデオロギーを持った利益集団指導者が現れる必要がある。その代わりこのようにして利益集団に属さない民衆による政治運動が、制定のためにはうまく活用できる可能性が出てきた。


これを受け、トゥハチェフスキーは多文化主義制定を決断。プロレタリア革命という同じ目的を抱く者たちにおいて、信仰だけでなく言語や文化における差別は存在しない!

中国・河南の工場では早速漢民族の人たちに対する差別が横行しているようだ。だが、必要だからこそ獲得した土地であり人びとである。そのような差別は党としても看過できない。

差別に反対する選択肢を選ぶと「国民至上」への支持が高まる効果が。Ver.1.2で微妙にイベントの内容が変わっている報告をちらほら聞くがこれもその1つかな?

 

排外的な小ブルジョワ集団に属する商店主たちも非ヨーロッパ人に対する権利の拡張に強く反対し反対運動を展開。

先ほどとは逆に、多文化化へ反対する人びとによる政治運動と革命への機運が巻き起こってくるほどであった。

犬猿の仲とも言える知識人と聖職者が共同戦線を張って反対。面白いが、現実の19世紀~20世紀前半も実際このようなものだったように思える。

多文化に反対する人びとによるキャンペーンも白熱化。

 

しかし、もはやこの流れを止めるわけにはいかない。

革命の機運も、実際に蜂起に至るほどではないことを確認しつつ審議を継続。

そして1925年11月12日。ついにこの「多文化主義」が制定され、ソビエト連邦からは一切の差別が消え去った。

 

そして同じタイミングでGDP11億2,000万ポンド目標を達成し、ジャーナル「五か年計画」が達成された。10年かかったけれど。

イベントが起きるものと思って楽しみにしていたがそれはなく、代わりに「生活水準の上昇による体制派の増加」が2倍になり、長らく急進派の数よりも少なかった体制派の数がこれを上回る状況となった。

国民は幸せになっている。トゥハチェフスキーはその確かな手ごたえを感じていた。

 

とはいえ、連邦に属する人びとが皆幸せかというともちろんそうではない。

たとえば連邦の直轄領ではなく、その傀儡として周縁に位置する国々は、連邦の民のための犠牲を強いられてもいた。

たとえば日本。ソビエト連邦の支配により強制的に市場が開かれており、モスクワやレニングラードで製造される安価な衣服や家具が大量に流入。結果、日本内では全くと言っていいほど産業が育たず、そこに住む人々は苦しい生活を送らざるを得なくなっていた。

ソビエト連邦内で制定されている最低賃金や福祉の助成は彼ら周縁の傀儡国にはもちろん与えられない。


この状況を変えるべく、日本(江戸幕府)内では急進的な思想が発展。

その急先鋒を担ったのが思想家の北一輝であった。

彼は日本国内の国枠派の青年武士達を焚き付け、ソ連の傀儡として今なお民衆を支配する徳川幕府を打倒し、天皇陛下による直接統治を復活させることを画策。

そしてついに1926年2月26日未明。雪の残る京都の街中で幕府大老近衛文麿邸を襲撃し、これを暗殺した。

続いてこの国粋派の武士たちは江戸・尾張・安芸・九州にて蜂起。幕府中枢の京都・大阪を包囲する。

しかし、江戸幕府将軍徳川家茂の救援要請を受けソ連陸軍が次々と上陸。

最新鋭の戦車・航空機を駆使し、この反乱はわずか10か月で平定されるに至った。

 

北一輝、及び反乱を主導した与謝野晶子、金子堅太郎、そして「護国卿」を名乗った主導者「徳川中」はすべて捕らえられ即日で銃殺刑に処される。

日本はなおも、ソビエト連邦支配下に残り続けることとなった。

 

 

そんな、周縁における混乱もありつつも、ソビエト連邦は全体としては大きな戦争もなく、平和な10年を過ごした。

 

そして1936年1月1日。

建国から30年が経過したソビエト連邦の偉業を振り返って、今回のレポートは終了としよう。

 

 

まずはGDP。指令経済以降のタイミングでの急落を経つつも、最終的には14億と圧倒的な数字を叩き出すこととなった。

威信ランキングでは次の通り。新たなGDP計算方法に基づき、ソ連以外の国のGDPは過去のバージョンと比べると見劣りするが、イギリスが落ちることなく3位につけているあたりはAIの成長を感じられるのではないだろうか。

人口状況は次の通り。世界一の人口を誇るが、福祉の需給の割合を高めたこともあり、失業者の数は有業人口以上となる7,500万人に達する。

その福祉の受給額は・・・以下の表示だとバグか何かでちゃんと表示されていないが、支出合計793万からその他の記載された支出をすべて引いた後の差「311万20ポンド」がおそらく福祉の支給となるだろう。実際、1933年12月6日時点でのそれは「290万ポンド」あったので大体それくらいのはずだ。

相変わらず福祉の支給は恐ろしい額の支出を発生させるが、「指令経済」による「政府の利益配当」のバグみたいな黒字額があればこれも十分に乗り越えられる。

とはいえ、「共同所有」に比べると圧倒的な財力を得られる指令経済だが、その分生活水準へのマイナスは大きい。生活水準の低い国家を併合していったこともあるが、共同所有制定時の最大値19ポイントからは大きく下がった状態でのフィニッシュとなった。

単純に国民の平均生活水準を上げようと考えるならば「共同所有」が最も良いと言えるだろう。

 

1836年からの100年間の各種データの推移は以下の通り。

軍事費も莫大なものとなっているが、最終的には陸軍117万、海軍813艦隊を保有する形となった。

最終的な人口分布は以下の通り。

こちらも1836年からの100年間の推移は以下の通りとなる。

 

トゥハチェフスキーを始め30年前の革命の闘士たちは皆人生の終わりに差し掛かっている。

若き世代にこの意志はしっかりと伝えられ、そしてソビエト連邦は本当に永遠のものとなれるのであろうか。

 

その未来については、また別のおはなし・・・。

 

 

と、いうことで1.2オープンベータ「ロシア」テストプレイはこれにて終了。

途中データがロードできなくて中断、ということも覚悟していたがとくにそういったことはなく、久々の完走となった。

実際、終盤のパフォーマンスは結構向上しているように感じる。建設力も3,000を超えていたがあまりストレスを感じることなく完走できたように思える。

 

これまでやったことのなかった共産主義プレイもできて、前回の「大地主経済」と対を成すロシアプレイができて満足であった。

次回は1.2正式リリース後にまたプレイレポートを挙げたいと思うので・・・それまでは別のゲームなんかを、考えていきたいところ。

 

それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。

もしよろしければ、また別のプレイレポートも、読んでいただけますと幸いです。

 

 

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