2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧
かつて、ノルトマルク(北方辺境伯領)と呼ばれていた地は、カール大帝および東フランク王ハインリヒ1世とその後継者オットー1世らによって平定され、ドイツ人による支配が確立していたものの、10世紀末頃からスラヴ人による反乱が多発し、いつの日かこの地…
11世紀半ば。ドイツ東部ラウジッツ辺境伯領内に位置するシュプレーヴァルトの領主オトゲルは、「きつね」の紋章を特徴とするルナール家の一員であった。 生まれた直後に双子の弟を殺され、その5年後にも父を殺された彼は、まずは復讐の為にその首謀者であっ…
ドイツ東部「シュプレーヴァルト」。低地ソルブ語で「沼地」を意味するこの地域は、現代の国境においてはポーランドに接する辺境であり、シュプレー川によって育まれた氾濫原と泥炭地は特有の景観を生み出し、ユネスコの生物圏保護区に指定されるほどの自然…
平家――平氏の中でも特に平正盛に連なる血統――は、壇ノ浦の戦いにおける敗北を経て平頼盛を除き全滅し、事実上の滅亡を迎えた。 その頼盛の血統は史実においてははっきりとした記録が残ってはいないものの、その一つの可能性として語られるのが、越後の山奥・…
12世紀末、平安の終わりと共に滅亡した「平家」。その生き残りが、池と名を変えて越後の山奥、古志の村に存在していた。 彼の名は池成清。南朝の総大将であった新田義貞の家臣として、討幕軍の中にもその名が記録されている男である。 彼自身は33歳の若さで…
平家――平氏の中でも伊勢平氏、とくに平清盛に代表される権勢を振るった平正盛の系統のことを狭義にそのように呼ぶ。 この意味での平家は、壇ノ浦の戦いにより実質的に滅亡した。ただ一人、清盛の弟の1人であった平頼盛を除いて。 平家の残党による都落ちに同…