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【Vic3】アフガンの黒い風・Ⅱ グレート・ゲームの犠牲者(1856-1876)

 

19世紀前半。

かつて、アフガン帝国とまで呼ばれた巨大勢力圏を築き上げたアフガニスタン・ドゥッラーニー朝は、内紛により分裂状態に陥った上で、家臣筋であったバーラクザイ部族により政権を追われることとなる。

このバーラクザイ部族の長ドースト・ムハンマドは1826年に首都カーブルを抑え、以後ドゥッラーニー朝の残党たるヘラート政権、また自らの兄が治める部族の故地カンダハール政権を次々と征服し、1842年にアフガニスタンを再統一。

さらに軍部の力を借りてさらなる拡張を試み、1856年には北はタジキスタン、フェルガナ、南はインド洋に至るバルーチスターンまでを支配下に治める巨大な「アフガン帝国」を復活させるに至ったのである。

 

しかし、その祝勝ムードも束の間、アミールら首脳部の元に、衝撃的な知らせが飛び込んでくる。

すなわち、北方の帝国ロシアの直接介入。

繁栄を取り戻したはずのアフガニスタンの前に、大いなる危機が立ちはだかることとなった。

 

目次

 

Ver.1.7.1(Kahwah)

使用DLC

  • Voice of the People
  • Dawn of Wonder
  • Colossus of the South
  • Sphere of Influence

使用MOD

  • Visual Leaders
  • Universal Names
  • Japanese Namelist Improvement
  • Extra Topbar Info
  • Romantic Music

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

グレート・ゲームの犠牲者

1856年7月30日。

アフガニスタン首長国首都カブールで国中の主要な部族長と長老たちとが集う大会議ロヤ・ジルガが開かれていた。

それは、目の前に現れた大いなる危機への対応のため。「首長アミール」ドースト・ムハンマドを中心に閣僚たちが中心に集まり、為すべきことを話し合っていた。

「これが貴様らの方針に対する現実だ、ムラド」

部族長たちのリーダー格であるコーハンディル・カーンは、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら陸軍総司令官のムラド・カーン中将に向けて言い放つ。

「貴公らが中心になって進めた対ロシア政策が、このような帰結になるのはあまりにも必然だった。特に先達てのロシア帝国に対する禁輸政策はあまりにも無謀な企てだったと言わざるを得ないだろう」

反ロシアの圧力団体に地主以外のほぼすべての利益集団が入っているため、彼らの機嫌を取るために積極的にロシアに対する敵対的な姿勢を見せていた。

 

「この責任、どのように取るおつもりでいるのか」

事態の深刻さに反しどこか愉快気なコーハンディルであったが、座を囲む多くの閣僚が、この事態を引き起こしたのはそれこそコーハンディルら親ロシア派勢力であることに薄々勘付いてはいた。

しかし、確たる証拠もなく糾弾したところでしらを切られるだけであり、むしろアミールの心象を悪くするだけ。余計な混乱を引き起こし内紛を招くよりは、今目の前の出来事に対処すべき現実的な案を出すほかない。

そう思い、ムラドは提案する。

「もちろん、成すべきことはこの事態の解決です。その為にこそ、これまでイギリスとの関係を築いてきたのです。すぐに外交官を送り、彼らのより直接的な軍事支援を依頼するまでです」

コーハンディルの方ではなくアミールの方に視線を向け、堂々と告げるムラド。しかしコーハンディルはすぐに横槍を入れる。

「奴らが本当に信用能いうるのか? 二枚舌、3枚舌を使ってくるのが奴ら西欧国の常套手段だと言うのに」

せせら笑うコーハンディルを無視し、ムラドはアミールに改めて方針を説明し、了承を得た。

 

8月19日。

イギリス領インドよりやってきた外交官とのやりとりを通じ、アフガニスタンは彼ら英国軍の助けを得ることには成功した。

しかし、彼らはその代償として、バルーチスターンの地の割譲を要求してきたのだ。

バルーチスターンは先の統一戦争の最後に獲得し、念願の海へのアクセスをアフガニスタンにもたらす重要拠点。

さすがにアミールもこれにはすぐには認めることはできず、何とか譲歩案はないのかと繰り返しムラドに迫った。

しかし、ムラドもまた、ここでイギリスの手を借りねば、この難局を乗り越えることはできぬと理解しており、粘り強くアミールを説き伏せ、最終的には了承を得ることに成功した。コーハンディルに繰り返し売国奴と罵られたのは言うまでもない。

 

そして1856年11月29日。

ついに、戦いの火蓋は切って落とされた。

前線にはまだイギリス軍の姿はない。一方ロシア軍も向かっては来ているが到着している数はまだ少ない。

今のうちに――ムラド中将は配下のホッセイン・カシム准将に兵を率いさせて一気に突撃を仕掛け、列強の軍を見事打ち破る勝利を祖国に捧げる。

だが、間も無くして到着したロシア軍主力によってあえなく敗退が続き、占領した土地を奪い返されるのみならず、次々と戦線を押し込まれ被占領地が広がっていく。

まだか、まだイギリス軍は来ないのか、と焦るムラド中将。その思いに応えるようにして、1857年3月に入りようやく彼らの姿が前線に現れ始めた。

シルダリヤの地を舞台にして繰り広げられる英露列強2カ国による激突。

英軍は何とか勝利を掴んでくれているようで、ムラド中将はようやく胸を撫で下ろすことができていた。

 

だが、そんなムラドのもとに、信じられない話が飛び込んでくる。

 

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「――イギリスとロシアとの間の、密約だと?」

「ええ・・・彼らは我々の頭越しに勝手な条約案を進めており、その中には我らの領土の割譲も含まれていると」

「何を・・・何を考えているのだイギリス人たちアングレーズはッ!」

ムラドは怒りのままに立ち上がり、机の上に置かれた紙の束を力任せに吹き飛ばした。その上に置かれていたインク壺も吹き飛び床の上で割れ、黒い液体が絨毯に広がった。

裏切り者めがッホイン・ボシェド!」

ムラドの絶叫はこの砂漠の砦中に広がり、城壁を揺るがすほどのものであったという。

「く、加えて・・・」

あまりの剣幕に側近も恐る恐るという様子で追加情報を口にする。

「前線のイギリス軍は早々に撤退の構えを見せていると言い、ロシア軍を何とかできるような状態ではなくなっております」

その報告を聞いて、ムラドの眼はさらに赤く燃え、言葉にならぬ叫びと共にその両肩が震え始めた。今や、彼の目の前に、栄光ある未来など何一つない。

そしてそのまま、彼の体は力を失い、その場に崩れ落ちた。

部下たちは突然の事態に一瞬ぽかんと口を開けたままこれを見ていたが、やがて慌てて駆け寄り老将軍の体を支え起こすも、その意識はもはや戻ることはなかったという。

 

英軍の突然の撤退、そして総司令官の戦線離脱。

これらの事態を前にして、アフガニスタン軍にロシア軍の猛攻を止める手立てなどあろうはずもなかった。

1857年10月。

ついに英国はロシアとの密約の内容を携えてカブールのアミールのもとを訪れ、この受け入れられるはずもない条約の中身を迫ることに。

アミールは繰り返し拒否する。しかし英国の外交官はこれを繰り返し突きつけ、そしてその間にも祖国は露軍により次々と制圧されていく。

何度拒否しても同じイベントが発生し続ける。おそらく拒否し続けることでいつか争に発展するのだろう。

 

もはや、抵抗に意味などなかった。

アミール、ドースト・ムハンマドはイギリスが提示してきた条件を全て飲み、ロシアにタジキスタンやフェルガナ、メルブなどを割譲すると共にバルーチスターンの地も約束通りイギリスに譲渡。代わりに英国からは莫大な融資を受けることとなった。

 

かつての栄光たるアフガン帝国はこのまま泡沫うたかたの夢となり、アフガンは結局のところグレート・ゲームの犠牲者としてその独立を喪っていくこととなるのか?

 

――しかし、そこで思いがけぬ事態が発生する。

 

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「――以上が、中東の情勢です」

「ふむ」

フランス帝国軍元帥レネ・デ・グラモントの報告に、フランス皇帝シャルルは落ち着いた様子で思案する。

「ロシア、イギリス共に、相変わらず調子に乗って好き放題しているようだな」

「ええ。ロシアについて言えば今回だけでなく、兼ねてよりの強権的拡大政策の連続によって世界から孤立している状況と言えます」

「南下政策、と言ったか。あのごろつき共は、北の吹雪の中で大人しくすれば良いものを、ナポレオンに対するわずかな成功で味を占めて身の程をわきまえなくなってしまっているようだな」

「陛下がナポレオンの末裔を打ち滅ぼしたことで、より調子づいてしまったのかもしれませんな」

グラモントの軽口に、シャルルはフン、と鼻を鳴らす。

彼は5年前、当時のフランスを支配していた皇帝ナポレオン3世を打ち倒し、新たな政権を得たばかりであった。

「ブルジョワ共により担ぎ上げられた無能な皇帝による統治と違い、我々こそが正当なフランスの権威を代表し、そして世界で横暴を極めるならずものたちを掣肘する役割と能力があるのだということを知らしめねばならぬ。

 それが私なりの、『平和主義』のあり方だよ」

 

フランス第三帝国によって呼び掛けられた「対露大同盟」には、フランスの同盟国でもあったアメリカ合衆国、そしてオーストリアも味方することに。

さしものロシア軍も列強三国による侵攻には手も足も出せず、次々と占領地を広げられていく。

さらに先の密約を交わしていたにも関わらず、まだ戦争自体は終わっていないとばかりにイギリスもロシアの首都サンクトペテルブルク付近に上陸し、圧力をかける。

かくして1858年6月27日。

フランスのパリで結ばれた条約により、ロシアはこの10年間の間に不当に手に入れた領土の返還を約束させられた。

小ジュズやカザフ=ハン国などが再び独立を認められると共に、アフガニスタンもまた、その奪い取られた領土の大半を取り戻すことができたのである。

 

「ありがとう、友よ。貴公のお陰で、我が国は窮地を脱することができた」

アミールの言葉に、目の前に立つ男は恭しく頭を下げる。

「いえ。私はあなたの友情に応えるべき機会を得たことを、喜ばしく思っております。かつて、得体の知れない旅人としてやってきた私に、この国で自由に行動する権利を与えてくれたばかりか、異邦人たる私の意見を取り入れ、密かに実行し続けてきてくれたことに」

彼の名はジョサイア・ハーラン。20代の頃にアフガニスタンを訪れ、最初こそドースト・ムハンマドの敵として振る舞うこともあったが、次第にその改革の熱意と意義を理解され、ムラド・カーンを含むアフガニスタン国内の進歩派たちの中心的人物となっていった。

オスマン帝国との戦いの際、奴隷制度の廃止をムラドとアミールに進言し、実現させたのも彼によるものだった。そして今回、英露により進歩派が屈辱に沈むことになった際も、彼はすぐさま行動を開始した。

すなわち、母国アメリカにこの顛末に関する詳細なレポートを届け、同盟国フランスを動かすことを。フランスにもロシアを敵対視する派閥が形成されており、その中心にフランス皇帝や元帥が含まれていることも把握していた。

ハーランの狙いは見事的中し、フランスは意図通りの行動を取ってくれた。

そしてアフガニスタンは再び帝国としての力を取り戻す機会を得たのである。

「イギリスに奪われたバルーチスターンを取り返せないままなのは残念だがな」

アミールの言葉に、ハーランは首を振る。

「確かにバルーチスターンを取り戻すのは難しいでしょう。しかし、海への道であれば、他にも方法はあります。隣国、仇敵たるペルシア。先のバルーチスターン戦争の隙をついて、マクラーン王国からバンプールの地を奪い取っていた彼らから、それを『奪還』するのです」

「なるほど、確かに」

アミールは頷く。

「ペルシアはかつて幾度となくこのアフガニスタンを支配し、そして互いに争い合っていた仇敵。しかし今や、その勢力は我らと比べると遥かに弱体」

「これを打ち倒し、再び我々の帝国を取り戻そうではないか」

 

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1859年9月。

アフガニスタン首長国は隣国ペルシア・ガージャール朝に対しバンプール、ケルマーンホラーサーンの土地を要求し宣戦布告。

かつてはアフガニスタンの地をも支配した旧帝国ペルシアも、その翼を広げ始めた新帝国アフガンの前には敵うはずもなく、1年後の1859年9月27日に降伏。

アフガニスタンは再び海へのアクセスと共にペルシアの広大な土地を獲得し、「帝国」を再度、前回よりもさらに大きな形で、復活させることに成功した。

 

ようやくアフガンは、飛翔すべき時を迎える。

そして、国外への拡張を成し遂げたアフガンが次に目指すのは、国内の発展。

すなわち、発展のための礎となる、為すべき数多くの改革の実現である。

 

 

改革の時

さて、実は最初にアフガニスタンをプレイしたとき、この改革が全く進まず、20世紀に入ったあたりまでプレイしていた時点でいまだ地主が影響力1位、実業家集団の影響力はようやく15%に到達したくらいで、教育制度もなく、当然選挙制度なども用意できていない、というような有様であった。

1周目の1907年時点の利益集団・法律状況。

 

その原因の一端は、新バージョンにおける実業家集団の成長しづらさにある。

所有権ルールの変更により、以前みたいに生産方式を少し近代化したものに変えただけでじゃんじゃん資本家が成長していくわけではなく、まず建設した設備に片っ端から国有化指示を出し、それを資本家たちが買ってくれるのを待つ、という手順を踏む。

有効化してもすぐに資本家のものになるわけではない。彼らがそれを購入する余裕を持ち、実際に購入するまでは国有のままだ。

 

もちろん資本家が自ら投資した施設はすぐに彼らのものとなるのだが、そもそも資本家が育っていないタイミングだとそれもなかなかペースは上がらない。

結果、20世紀になっても地主が幅を利かせ改革もろくに進まない国家となってしまうのだ。

もちろん、それはそれでリアルだし、難易度が上がるのは良いことだと思う。承認されないだけで領地を広げれば随分とGDPも高くなり財政的にも余裕が生まれるので弱くはない。

1周目はひたすら拡張していた。しかしこれがのちに足を引っ張ることに。

 

ただ、あまりに変化もなくひたすら施設を建てて経済伸ばしていく50年とかを過ごしており、物語的には何の面白みもなかったので、一旦やり直すことにしたのである。

 

まず、1862年12月17日。地主指導者が好戦主義者になったので、念願の職業軍人制定を進めていく。ここまでは1周目と同じだ。

1864年8月にこれを制定すると、このタイミングで(実際には制定の数ヶ月前くらいに)「穀物法テクニック」を使用する。

これは穀物の価格が基本価格より25%以上高いときに一瞬だけ「輸出重視」にすることで、穀物法ジャーナルを有効化させるというもの。

一度有効化させたら輸出優先は外しても問題ない。取引自体を削除しても良い。新verで穀物需要が非常に大きくなり、基本的に常に価格が高止まりしがちなため、より発生させやすくなった。

 

そしてこの穀物法ジャーナルが有効化している時に発生するイベントで、「自由市場主義」の地主系扇動者を手に入れることができるのだ。

そしてこの人物にすぐさま「主導権を付与」させ、地主の指導者とする。

これで、地主の政治力+50%の凶悪な補正を持つ農奴制を廃止し、入植*1の改正に賛意を示してくれる他、同じく悪しき「伝統主義」法も廃止してレッセ・フェールの制定を実現させてくれる。

1866年に入植を制定。そして1868年にレッセ・フェールを制定する。

特にレッセフェールは自動的に全ての国有施設が民営化オンになり、資本家による投資効率も大幅に上がるため、新verの経済においては相対的に強力になった印象だ。

すべての施設が自動的に払い下げモードに。もちろんこれもすぐに資本家のものになるわけではなく、あくまでも彼らが購入してからである。わざわざ私有化ボタンを押すマイクロマネジメントがなくなるのもありがたい。

 

そして1870年に自由貿易を制定し、穀物法ジャーナルも終わらせる。

自由貿易自体も、取引での商品取扱量を大幅にアップさせるため強力だ。

自由貿易制定により一気に取扱量が増えた。なお、この時点でイギリスと太平天国とは貿易協定を結んでいる。

 

ここまで通したら、地主自体が不要になる。

現在の統治者ドースト・ムハンマドは地主を支持基盤とする伝統主義者。1870年現在で77歳とかなり長生きしている。バーラクザイ朝の創始者にして、偉大なるアフガン帝国を復活させた存在として、国民から広く慕われている存在だ。

だが、もう長く生きすぎている。ムラド・カーンの後を継ぎ軍部の長を務めていたホッセイン・カシム大将は、アミールの功を労いつつ、それとなく退位を勧めていく。

そしてアミールもまた自らの衰えを感じ、自身の息子への安定した継承のため、自らは引退することを選ぶこととなった。

代わって新たに即位したのはドースト・ムハンマドの嫡男であるアクバール・シング

彼は父と同じく野心的ではあるが、父と比べて貪欲で我慢の効かないところもあり、しばしば公的な資金を私的に流用するような場面も見られることがある、そんな人物でもあった。

しかしそれが故に、ムラドやカシムら軍部は彼の欲望をうまく利用し、この数十年取り込みを図ってきた。今や彼は軍部の傀儡とも言える存在であり、育て上げた「革新的」な思想は、軍部らが志向する改革に向けても肯定的な姿勢を見せることとなった。

代替わりに伴い、アクバール・シングは(軍部の思惑通りに)政権を交代。それまで閣僚評議会議長(首相)の座についていたバハラム・マクサムを解任し、代わりにホッセイン・カシムをその座につける。

そして少しずつその力をつけつつあった実業家集団も政権に加えたことで、現状の不公平な土地課税制度から人頭課税制度への切り替えを図った。

そして1873年3月16日。この人頭課税法が制定。これで、地主=部族長たちの特権を剥がすことに成功した。

そして、いよいよカシムら改革派はよりアグレッシブな改革へと着手していくこととなる。

すなわち、選挙と議会の導入である。

 

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「いよいよ、手をつけることになりましたな。成立までの間、部族長たちはもちろんながら、熱心な王党派でもある大ムフティーのマーサド・ベックらの反発も必至なものとなるでしょう」

ハーランの言葉に、カシムは頷く。

「すでにカブール近郊のコハトの街を中心に、部族長たちが蜂起の構えを見せている。西部ケルマーンの地ではこの混乱に乗じてペルシア人たちが蜂起の構えも見せており、その対応にも軍を出す必要がある」

「一刻も早く成立までこぎつける必要がある。そのためには、ハーラン殿、そのお力をお貸しいただく必要もあると思っている」

「ええ、我が人生の終着地点として、この達成にその生涯を賭けましょう。必ずやアミールを説得し、この改革を成し遂げてみせましょう」

 

アクバール・シングにとって、後見人とも言うべき軍部の後押しがあるとはいえ、自らの権限を制限することとなる選挙・議会の導入には及び腰であり続けていた。

しかしそこに、父ドースト・ムハンマドの個人的友人でもあったというジョサイア・ハーランの訪問と説得が加わり、ついに折れることに。

最終的には彼の決断により、1875年10月1日。「制限選挙」が見事制定されることとなった。


だがその成立の直前に、ジョサイア・ハーランはその生涯を終えることとなる。カブールの街中で、彼は突然現れた王党派の人物による凶弾に倒れることとなった。

その犠牲を悼むようにして、彼の後継者たちが中心となって結党した「自由党」が圧倒的優勢で選挙戦が進んでいく。

そして1876年4月5日。アフガニスタン首長国において記念すべき最初の選挙結果は、事前予想通りに自由党の勝利で終わった。

ホッセイン・カシムは年齢を理由に自らは身を引き、初代首相の座に就いたのは彼の後継者として軍部で最も力をつけつつあった男、ケイサール・ババジャン

 

この新たな世代と共に、アフガニスタンはいよいよその最大の目的へと邁進していく。

すなわち、この帝国主義世界において、その存在を世界から確かに認めてもらうこと。

そしてその西欧列強の狭間で、その野心グレート・ゲームの犠牲者となることからの脱却である。

 

果たしてその夢は叶うのか。

 

第三話へと続く。

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

1856⇒1876の収支推移・人口比率推移



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*1:Homestead。日本語改善MODでは「自営農」という適切な訳がされているので早くそちらを公式でも採用してほしい。