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【Vic3】アフガンの黒い風・Ⅲ 承認への道(1876-1900)

 

史実では19世紀後半にグレート・ゲームの犠牲者となり、実質的に英国の従属国へと成り下がったアフガニスタン

この世界では、1856年にロシア帝国からの侵攻を受け、助けを求めた英国にも裏切られ、一時は拡張したその領土の大半を奪われる憂き目に遭った。

しかし直後にフランス帝国がアメリカ合衆国、オーストリア帝国と結び、ロシア帝国に対して懲罰戦争を仕掛ける。

この結果ロシアはこの10年間の間に征服した全ての領土の返還を強制され、アフガニスタンも多くの土地を奪い返し、かつロシアとの間に緩衝地帯を設けることにも成功した。

その後ペルシアに対して征服戦争を仕掛けさらに領土を拡大したアフガニスタンは、いよいよ国内の改革にも邁進していくこととなる。

1866年に農奴制を廃止。1868年には伝統主義からも脱し、革新的思想を持つ新アミールのアクバール・シングの下、1873年には税制も変革し、貴族勢力の特権も剥奪した。

そしてついに1874年。軍部を中心とした進歩派は選挙と議会の導入を求める決定的な改革に着手する。

国内の保守派たちの反発は必至ではあったが、最終的には前アミールの個人的友人でもあったジョサイア・ハーランの説得によりアミールも折れ、アフガニスタンは近代的な国家としての第一歩を踏み出すこととなった。

 

その先に目指すのは、アフガニスタンがこの帝国主義世界において、確かに認められた存在となること。

そして、西欧列強の狭間でその野心グレート・ゲームの犠牲者となることからの脱却であった。

 

果たして、その夢は叶うのか。

 

目次

 

Ver.1.7.1(Kahwah)

使用DLC

  • Voice of the People
  • Dawn of Wonder
  • Colossus of the South
  • Sphere of Influence

使用MOD

  • Visual Leaders
  • Universal Names
  • Japanese Namelist Improvement
  • Extra Topbar Info
  • Romantic Music

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

アフガン革命

1876年4月5日。

アフガニスタン首長国首都カブールにて、新政権の中枢を担う閣僚たちが集い、国の行く末を巡る議論を交わしていた。

ただしそれは伝統的な大会議ロヤ・ジルガではない。そこには各部族長たちの姿もなく、アミールの姿さえない。ただ、先の第一回選挙で大勝した自由党の面々が集うのみであった。

「我々はムラド中将、カシム大将、そしてハーラン氏から受け継いだこの国の改革の火を絶やせず継承していく責務がある」

そう告げたのは、自由党党首にして初代首相となったケイサール・ババジャン。浅黒い肌に力強い視線を刻み、目の前に居並ぶ同胞たちに猛々しく語りかける。

「その始まりは20年前にあることを我々は忘れてはならない。あの日、ロシア帝国、そして大英帝国によって与えられた屈辱を、忘れてはならい。そこから20年、我々は改革を重ねここまできたが、いつまた同じように彼らの野心の犠牲になってもおかしくはないのだ」

ババジャンの言葉に、一同は頷く。ババジャンは続ける。

「そのために我々は彼らと対等の立場になる必要がある。我々は彼らの都合の良い劣等国家などではなく、確かな主権を持つ、独立した存在であるということをな」

「その為に必要なことは――ジェヴェド」

ババジャンに呼びかけられ、傍らに座していた自由党のもう一人の「頭」、シュジャ・ジャヴェドが立ち上がる。かつて異邦人でありながらこの国の改革と発展を支え続けてきたジョサイア・ハーランの秘書として仕え続け、その後継者と認められた男である。

「我々が西欧の列強に『認められ』、対等な立場として承認されるためにはいくつかの条件が必要です」

ジャヴェドは静かに語り始める。その声色は理知的で、燃える鉄のようなババジャンの語りとは対照的であった。

「まずは後進的な法律を改正し、先進的な法律を取り入れること。これはすでに奴隷制、農奴制、伝統主義を廃し、選挙制度を取り入れた私たちは達成しているものと言えるでしょう。

 次に広く国民が豊かであり、平均した生活水準を一定以上にまで上げ、加えて識字率ーーつまり読み書きできる能力が国民の半数近くあることで、この国が西欧の価値観にも見合う、『対等な国』であると認められることでしょう」

nekotei-m.github.io

 

「つまりは」

と、ババジャンがジャヴェドの言葉を引き継ぐ。

「経済発展と格差の是正、そして広く国民全体に行き届く公教育の存在が、目的の達成には不可欠なものとなる。

 故に、改革の手を止めるわけにはいかない。旧弊を打ち破り、この国をさらに『近代化』していく必要がある。

 その道を阻むものがあるならば、たとえ誰であろうとも――排除することは厭わぬ」

ババジャンは最後の言葉を強調した。それはそこに並ぶ多くの閣僚たちに最後の覚悟を求めるものであり、彼らもそれを理解し、唾を飲み込んだ。

 

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1878年、それまで貴族らによる世襲が慣例であった官僚について、議会の承認を得てアミールが任命する形に改める法改正を実施。

1880年、経済の活性化のための労働力確保のため、これまで厳格に定めていた国境管理についても緩和する法律を制定。

いずれも部族長・貴族ら保守派にとっては容認しがたい法律ではあったが、彼らもすでに自分たちが劣勢に置かれていることは理解しており、この時点では表立った抵抗を示してはいなかった。

しかし、続いて自由党政権が信仰についての緩和法案を打ち出そうとしたとき、とくにウラマー勢力がこれに大いに反応することとなった。

それは国民全体の識字率を高め、西欧流の民主主義をさらに根付かせるために必要な科学的な公教育を実現させるためには必要な施策であった。

ペルシアの土地の一部を手に入れて以降、アフガニスタンにおける第二の人口を誇るのはシーア派を奉じる者の多いペルシア人。

国内に大規模な差別を作り、国民統合を果たせないでいる国家を西欧は信用しないだろう。

 

「故に、これを阻害するつもりならば、我々はこれを排除せねばならない」

ババジャンの言葉に、ジャヴェドも頷く。

「しかし、半ば抵抗を諦めている部族長たちと違い、ウラマーたちはしぶとい。彼らは宮廷内にてアミールの後継者たるマフマド様とその周辺にも取り入り、その影響力を増大させているようです」

「アミールももう高齢であり、先は長くないでしょう。もしも現状のまま、代替わりが果たされたとしたら・・・」

「一気に保守派が巻き返し、改革をひっくり返される可能性があるわけだ」

ジャヴェドの言葉に、ババジャンは苦虫を噛み潰したような顔で応える。

「そうするわけにはいかん。そうなる前に、先に盤上をひっくり返す必要がある」

「ええ」

ジャヴェドは頷く。神妙な面持ちで。

「改革の停止は、国家の破滅を招きます。我々は真の自由を未来永劫に確保すべく、内なる帝国主義に対抗する必要があるでしょう。かつて、ハーラン氏の母国がそうしたように」

 

アミールの政治からの排除。共和制の実現。

自由党政権がその道を推し進めようとしたとき、当然のことながら宗教勢力を中心に猛反発が巻き起こり、内乱の一歩手前という状態にさえ陥った。

これまで改革派に融和的であったアミールもウラマーたちに唆され、抵抗の意思を示した。彼は臨席を義務付けられていた議会にも欠席するという形でその意志を示そうとした。

だがそれは、改革派たちに逆に利用されることとなる。政治に対するアミールの無責任な態度、この国を真に改革し自由を勝ち得ようとしているのは誰なのかということを、自由党政権はマスメディアを通じて広く喧伝した。

この報道による後押しを受けた民衆が大挙してアミールの宮廷に押し寄せたことで、アミールもいよいよ自身が追い詰められていることを悟った。

そして1882年7月17日。

首長アミール」アクバール・シングは自ら退位を宣言。

20年ぶりに緊急召集された大会議ロヤ・ジルガにおいても改革派を中心に議論が進められ、1882年7月22日、大統領を国家元首とする新憲法が制定された。

国号は「アフガニスタン共和国」と改められ、初代大統領として首相であったケイサール・ババジャンがそのまま就任。

この一連の動きは「アフガン革命」と呼ばれ、世界中に報道された。

中東の地方国家、辺境国家に過ぎなかったアフガニスタンは今、アジアで最も先進的な近代国家として生まれ変わったのである。

 

これで、足場は固まった。

あとは、経済の改革を進める番だ。

 

 

承認への道

Ver1.7から、未承認国が「承認国」となるためには、専用のジャーナルにおいて条件を満たし「進捗ゲージ」を200まで貯める必要がある。

承認を得るためにはいかに承認ゲージを「後退させず」「前進させる」かが重要になるわけだが、そのための条件が以下の通りである。

後退させないための条件

・1人あたりGDPが50位以上

・平均生活水準が50位以上

・識字率20%以上

・「奴隷制」「農奴制」「伝統主義」「異議の禁止」のいずれの法律も制定していない。

前進させるための条件

・1人あたりGDP20位以上

・平均生活水準20位以上

・識字率40%以上

 

その他、「使節を要請」外交アクションや大国以上との戦争に勝つことで一時的な上昇を得ることができるも、基本的には上記の後退要素をなくし前進要素を増やすことが承認への基本的な道筋となる。

詳細は以下のリンクを参照のこと。

nekotei-m.github.io

 

法律周りは分かりやすく、純粋に改革を進めていくことで十分に達成可能だろう。

識字率についても意識的に教育法律を通して早い段階で上げていければ問題ないだろう。

問題は「1人あたりGDP」と「平均生活水準」。とくに前者は、1周目に調子に乗ってパンジャーブ全土併合やブハラ、ヒヴァなどの北方諸国家の全土併合を行うなど大拡張した結果、散々なことになってしまった。

無駄に拡張した1周目の1897年時点GDPデータ

拡張を抑えた2周目の1896年データ。

 

1897年時点での1周目と2周目のGDP差を見ると、GDPそのものはめちゃくちゃ大きな変化があるわけじゃないのに、1人あたりGDPでは2倍もの差が存在する。

よって2周目では「小さくてもみんな豊かに」をキーワードに、パンジャーブや北方諸国家は併合ではなく朝貢国にすることにした。朝貢国なら承認されるまでの間は上納金もらえるのでむしろこっちの方が美味しいかもしれない。

そして生活水準も下層民の生活を豊かにすることを意識して底上げを図る。人口比率の高い下層民が豊かにならないとこの平均生活水準は高くならないので、資本家に払い下げ・海外投資させまくりではなかなか上がらない。

例えば救貧法の制定、消費税の削減、最低賃金上げるイベントや下層民生活水準上げるイベントは積極的に活用、などなど。

あとはひたすら国内に生産性の高い施設を作り、国民が労働で対価をもらえるようにしていくこと。対外投資のおかげで国内労働人口が減っても外に投資先を持ち資本家は豊かになり続けることができるようになったが、下層民まで生活を豊かにするためにはやはり国内施設が重要。

差別をなくし、国境を解放し、大規模移住を呼び込もう。

これで平均生活水準も1897年時点比較で1周目2周目にこれだけ差ができた。

1周目の1897年時点平均生活水準

2周目の1896年時点平均生活水準

 

これらの施策で1894年時点で後退の要素をなくし、識字率と法律により毎週2ポイントの前進が生まれるようになり、あとは承認まで時間の問題という状況に達することができた。

大国以上との戦争の勝利が承認の近道であることに変わりはないが、戦争なしの近代化だけでも、時間はかかるが承認に近づけるようになったのは良い改変だったと言える。

 

そして、物語の上でも、アフガニスタンは「承認」を巡る好機に直面することとなる。

 

 

列強の資格

1896年12月。

アフガニスタン共和国首都カブールの大統領官邸に、一人の来客があった。

「我らが同胞たる大統領閣下、この度はこうしてお目にかかれて光栄です」

大英帝国外務政務次官のジョージ・カーゾン。保守党の若手期待の秀才であり、すでにインド総督の座もほぼ内定していると囁かれる程の人物である。副大臣クラスの官僚がアフガニスタンに足を踏み入れるのも初の事態であった。

とは言え、これを出迎えるシュジュ・ジャヴェド大統領は複雑な思いを抱いていた。大英帝国は憎きロシアに対抗する上で必要不可欠な存在ではある一方、彼らもまた、アフガニスタンと中東の地を食い物にしている存在であることに違いはなかった。

初代大統領にして盟友ケイサール・ババジャンは2年前に亡くなり、代わって彼が新たな国家の指導者となっていた。

 

「話は聞いております。貴国の、ペルシアへの軍事介入について」

「ええ」

ジャヴェドの言葉に、カーゾンは薄く微笑みながら返す。

「彼らは我らが同盟国たる休戦トルーシャルオマーンに対する領土的野心を見せていたが故に、10年前これを懲罰し、その代償としてファールスの地を『租借』しております」

「だが我々がこのファールスの地で近代的かつ民主的な施策を行なっていることが、ペルシアの後進的な国王シャーにとっては気に食わないらしい。何やら不穏な企てをこの地で行おうとしているとの確かな情報を掴んだ我々は、我らが『国民』を護るための行動に出る必要があったというわけです」

しかし、とカーゾンは実に困ったという風に眉根を寄せる。

「これに、西のオスマン帝国が反応してきた」

「我々としては単独で対応することも問題ないとは思っておりますが、折角の機会です。共にこの中東の地に平和と安定と民主主義とを根付かせるべく日々努力している貴国と、ここで共同歩調を取るべきだと判断したわけですね。

 もちろん、ただでとは言いません。我々としては貴国に、さらなる発展に必要となる資金を用意しようと考えております」

「なるほど」

ジャヴェドは思案する。今後の近代化とその先の目的のために、英国からの融資は喉から手が出るほどに欲しい。それに、今この場においては、彼らと歩調を合わせることは決して損ではないだろう。

たとえそれが、憎き帝国主義者たちと同じ汚れに手を染めることになろうとも。

「分かりました。私たちアフガニスタン軍も全面的に貴国を支援し、ペルシア帝国とオスマン帝国に対する攻撃に加わりましょう」

ジャヴェドの回答に、カーゾンは実に嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「そう言っていただけると信じておりました。これからも我々は離れ難き同胞として永遠の契りを交わしましょう。もし貴国が外敵――例えばの例ですが、北方のロシア帝国など――から攻め込まれた際には、我々が責任をもってこれに対抗することを誓いましょう。逆もまた然り。我々は運命共同体となるのです」

その二枚舌で、40年前にアフガンにした仕打ちを、この男は知らないのだろうか。

実際、本当に知らないのかもしれない。そのときはまだ、この男は生まれてすらいないのだし、彼の父たちもまた、決して我が子らにそんなことは教えるつもりもないだろう。

加害者とは得てして自らの罪を罪と思わぬまま過去を置き去りにしていく。しかし被害者は決してそれを風化させない。そしていつか必ず何らかの形でその復讐を果たそうとしているのだ。

 

だが、それは今ではない。

 

1897年3月11日。

大英帝国によるペルシア・オスマン連合軍に対する宣戦布告が行われ、直後にアフガニスタン軍もペルシアの東部から侵攻を開始。

開戦からわずか8ヶ月でペルシアのほぼ全土が制圧され、ペルシアは降伏。

残されたオスマン帝国もその5日後に降伏の意向を示すこととなった。

だがこの戦いの最中、ロシア帝国がかつて征服し、フランス・アメリカ・オーストリア三国干渉によって返還させられアフガニスタンとの間の緩衝地帯となっていたカザフ=ハン国について、ロシアはついに「再征服」の意志を示し、瞬く間にこれを占領。

ペルシア戦争終結から4ヶ月。ロシア帝国のカザフ=ハン国侵攻からわずか半年後の1898年4月、ロシアはカザフの地を丸ごと飲み込み、ついに再びアフガニスタンと国境を接することとなったのである。

40年前の事件以来、久しく大人しかった英露両国が再びこの中東の地で活発化し始める。中央アジアとイランの地を、彼らは自分たちにこそ所有権があるとでも思っているのだろうか。

しかし、まだ復讐の時ではない。

まずは何よりも、本当の意味で彼らと肩を並べなければならない。

 

 

1898年10月。

今度は、イギリスが隣国フランス帝国から最後通牒を突きつけられるという事態が発生。

40年前、ロシア帝国に対して行ったように、中東での領土的野心を見せつけたイギリスへの懲罰か。

そしてイギリスはまたもアフガニスタンへの支援を要請してきた。

ジャヴェドは、戦勝時のフランスからの賠償金を貰い受ける権利を引き換えに、これを受諾。

そして1899年1月6日。

アフガニスタンはイギリスの同盟国として、これも40年ぶりとなる列強との戦いに赴くこととなったのである。

 

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「やれやれ、また我々は憎きイギリスの手助けをしなければならんというわけか」

「それでも、先のペルシア戦争よりはマシさ。我々にとってペルシアは仇敵みたいなものであったが、それでも同じアジアの国を英国と一緒になって攻撃するのは正直気分は悪かった。今はこうして、同じ西欧国を攻めることができているだけマシと言えそうだ」

アフガニスタン唯一の海軍を率いるファイザル・カシム提督のぼやきに、彼の兄であるアフガニスタン第二軍総司令官ファズロラー・カシムは肩をすくめながら応えた。アフガニスタン共和国の陸海をそれぞれ代表する二人の指揮官は、かつて、この国の改革を推し進めた軍部指導者ホッセイン・カシムの息子たちである。

「フランスには恨みはないどころか、むしろ助けてもらった相手ではあるがな」

ファイザルの言葉に、ファズロラーも「確かに」と苦笑する。

「だがまあ、フランスには我々の踏み台になってもらう必要がある。今や我らアフガニスタンが、西欧列強とも対等に渡り合える強国であることを示し、この帝国主義世界において『認められる』ための。

 さあ、見えてきたぞ」

1899年春。

フランス帝国のアジア植民地の一つ、バンコクに強襲を仕掛けたアフガニスタン海軍は、港に駐留する数少ない敵海軍を蹴散らしたのち、一気に接岸して浅瀬からアフガニスタン第二軍の兵士たちを上陸させていく。

フランス軍の守備兵はいたものの、主戦場はヨーロッパだと思い込んで油断していた彼らは突然やってきた黒い軍団を前にしてただ戸惑うばかり。兵たちを統率するフェルディナン・フォッシュ准将も懸命に防衛線を維持しようとするも、圧倒的な物量差を前にしてはどうしようもなかった。

およそ3ヶ月にわたる上陸戦は最終的にアフガン軍が押し勝ち、インドシナ半島にアフガンの黒い奔流が流れ込んでいく。

そしてフランスは本土でも危機的な状況を迎えていた。アフガン軍がアジアで攻勢を仕掛けているのと時を同じくし、イギリス海軍がフランス本土の西海岸の複数地点で上陸作戦を敢行。

何度かの失敗を繰り返しつつも、1899年8月31日。ついにブルターニュ地方へとイギリス軍が上陸成功。

あとはアジアでもヨーロッパでも、フランスは一方的に追い込まれるだけであった。

その間にロシア帝国もフランスが独立保証を宣言していたチェルケスに攻め込むなど、フランスはひたすら追い詰められていく一方であった。

 

そして1900年5月11日。

フランスは敗北を認め、全面的に英富連合の要求を受け入れることに。

そして同時に、この勝利によってカザフスタン共和国は真に世界で「認められる」存在へと押し上がることとなったのである。

 

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1900年11月4日。

アフガニスタンの首都カーブルには長らくの同盟国であったアメリカ自由州ゼブロン・オニール大統領が自ら赴き、双方にとって平等な通商条約が結ばれることとなった。

 

「この度はお招き頂き感謝申し上げる。また、先のフランスへの戦勝について、貴殿の勇気あるリーダーシップがこの地域に新たなる希望をもたらしたこと、喜ばしく思います」

言葉と共に手を差し出したオニール大統領に、アフガニスタン大統領のシュジャ・ジャヴェドも右手を差し出し、二人は固く握手を交わす。

「このような辺境の地は、大統領殿には不便なところが多いでしょうが」

「そんなことはありません」

ジャヴェドの謙遜に、オニールは大仰な身振りで否定する。

「むしろ、私はいち早くこの場所に来たいと思っておりました。何しろここは・・・かのハーラン氏が愛し、その生涯を捧げた国なのですから」

「ハーラン氏をご存知なのですか?」

ジャヴェドは自然な驚きと共に聞き返すが、オニールは優しく微笑みながら応える。

「ええ、もちろん。私が幼い頃は、彼の著した冒険譚に心躍らされておりました。彼は我々南部人ヤンキーの英雄の一人です。民族や文化、宗教を超え、人類の普遍的な尊厳と自由のために戦い続けた男として」

オニールのその感想は、ジャヴェドのそれと全く同じであった。彼は異邦人でありながら、この国を目覚めさせ、そして今のこのアフガニスタンがあるのは確かに彼のおかげであった。

「我々の国も今、大きな課題を抱えております」と、オニールは続ける。

「かつて奴隷制を巡り二つに分かれた我らがアメリカは、長きにわたる分断を未だに解決しきれておりません」

「我々に必要なのは揺るぎない信念と、そして勇気だと思っております」

オニールの言葉に、ジャヴェドは頷いた。

「私たちも同意します、大統領。私たちもまた、大いなる勇気をもって、このアフガニスタンが直面すべき最後の戦いを迎える必要があると思っております。我々アジア人の自由と尊厳とを踏みにじる大いなる存在との戦いを」

ジャヴェドの言葉に、オニールも静かに頷いた。

「良いでしょう、我々アメリカ自由州フリーステイツも、貴方がたに全面的に協力することを約束します」

 

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改革を重ね、革命を果たし、そしてついに国家としての承認を得て列強の1つにまで昇りつめたアフガニスタン。

その先に、彼らは最後の夢を目指す。

すなわち、グレート・ゲームの勝利。中東の地の、完全なる自由の獲得だ。

 

 

そのために、彼らは最後の戦いを始めるだろう。

 

今こそ、復讐のときだ。

 

 

最終回へ続く。

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1876⇒1896の収支推移・人口比率推移

 

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