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モンジョワ・サンドニ! Tome2 太陽王よ、再び(1860-1886)

 

フランス革命とナポレオン戦争の後、ウィーン体制によって復活したブルボン朝フランスは1830年の七月革命によって再び打倒された。

しかし、王政とは名ばかりでブルジョワによる支配に服するこの七月王政に対し、国内では様々な勢力による不満が蓄積されており、激しい政治運動が展開。

そんな中、アルジェリア侵攻やフランスが参加した「第2次アヘン戦争」などでの活躍により英雄視されていた陸軍元帥ニコラ・シャンガルニエの主導によって、正統なるブルボン王朝の復活を目指すレジティミストたちが最終的に勝利。1845年の「一月革命」により七月王政は打倒され、新たにアンリ5世による新復古王政が開始される。

シャンガルニエの力もあり、世界各国で影響力を高めていく新生ブルボン朝フランス。同じく絶対君主制を敷くオーストリア、ロシアとの同盟も締結し、対立する英米普の自由主義連合との対立はやがて1856年の「フィンランド戦争」へと昇華していくこととなる。

陸海で繰り広げられたこの激戦は、最終的にフィンランドの独立を認めつつもそれ以外はすべて現状維持という「痛み分け」にて終結。

フランスは「敗け」はしなかったが、その偉大さを世界に知らしめることを果たせないままに、英雄シャンガルニエは1860年にその67年の生涯を終えることとなった。

この後を継いだのは、ラインラント戦線で勇猛果敢に戦い、これを占領し講和を優位に進めるための材料とせしめた名将マクマオン

シャンガルニエから託された使命ーーこの国に、かつての太陽王ロイ・ソレイユが統治した絶頂期たる「偉大なる世紀グラン・シエクル」を復活させることーーを果たすべく、彼は行動を開始する。

 

果たして、フランスは偉大なる世紀を取り戻すことはできるのか。

そして、その先にあるものとはーー。

 

目次

 

Ver.1.7.5(Kahwah)

使用DLC

  • Voice of the People
  • Dawn of Wonder
  • Colossus of the South
  • Sphere of Influence

使用MOD

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

「平和」の時代

1857年9月4日。

約1年と3ヶ月にわたり続いたフィンランド戦争は、その対立を産む要因となった「自由主義連合」と「神聖君主同盟」という二大同盟の解消を定めた「ロンドン条約」の締結によって終わりを迎え、新たに作られた「五ヶ国同盟」は欧州の平和維持をその使命として掲げることとなった。

だが、平和などというのは、ただの長い休戦協定に過ぎない。そして、欧州の平和と欧州「外」の非・平和とは何の矛盾も抱えることなく両立することとなる。

 

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「閣下の意志を継ぐべく、我々がやらなければならぬことは明白だ」

閣僚評議会。その議長を務めるマクマオンが告げた言葉に、そこに集いし閣僚たちは皆、無言で頷く。

「まず注視すべきは英国アングルテールの動向ーー先のフィンランド戦争においても、アジアからバルト海まで通じる奴らの海洋ネットワークがその国力を支え、打ち崩すことが叶わなかった。これを削ぎ落とすためには、奴ら以上の『海の支配』が必要となるだろう」

「であれば、やはり目指すべきは」と、マクマオンの言葉を引き継ぎ、一人の男が発言した。「アジアにおける更なる影響力の増大、というわけですね」

男の名はユーゴー・ド・コール。若くして現政権の財務長官を務める男であると共に、レジティミストたちにとっては憎き相手とも言えるブルジョワたちの長でもある。しかしフランスに対する禁輸を続けるなど貿易面でも敵対関係が継続している英国に対し、彼らもまた、敵愾心をもって政権と意見を等しくしている。

その勢力は確かに根強く、思想的に対立しても旨味は少ない。

使えるならば親の仇でさえも使えーー今や政権を握ったレジティミストたちは、理想主義者から脱却し現実主義者プラグマティストでなければならない。マクマオンは使える限りにおいて彼らブルジョワたちの力を利用しようと決めていた。

「その通りだ。そしてそのための第一歩として、我々は極東の島国ーー日本ジャポンに着目する。すでに先遣隊を送り開国を要求するもこれを跳ね除けたがために、近く主力艦隊を送り込み武力で制圧する予定だ」

「それに加えてもう1つくらい、東南アジアの地に拠点を置くことができれば、アジアにおける我々の勢力圏は明確に確保されることとなり、英国のそれに対抗することが十分にできることでしょう」と、コール。

そうすれば英国貿易圏から締め出され失われた貴様らの権益も取り戻せるというわけだ、とマクマオンは言葉にせず内心で呟く。その軽蔑の念を表には出さずに、彼は言葉を引き継ぐ。

「その通りだ。アジアから奴ら英国を締め出す。『極東作戦』を発動せよ」

 

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1860年5月16日。

開国要求を拒否した日本に対し、フランス王国軍が宣戦布告。

関東・近畿それぞれに上陸し、瞬く間にこれを降伏。1861年8月13日に日仏修好通商条約を締結し、横浜の港をフランスの租借地とした。

続いてフランスはインドシナ半島のシャム王国に宣戦布告。

ここもまた上陸作戦で蹂躙し、瞬く間にフランスの保護国として確立させることとなった。

一方、フランスがこのようにアジアで勢力を伸ばしている間に、イギリスでも新たな動きが。

1861年夏。オスマン帝国がエジプトに対し「施設の国有化」を求めて戦争を仕掛けた際に、イギリスがエジプト領エリトリアの征服を条件にオスマン帝国に協力。

最終的にエジプトは屈服を選び、地中海からペルシア湾にかけてのイギリスの勢力圏は更なる拡大を見せることとなった。

既にイギリスはアフリカ東岸・ザンジバル周辺地域も自己の勢力圏内に入れており、ケープ植民地や反対側のコンゴ植民地も合わせ、喜望峰ルートにおける影響力を高めている。

 

そして20年前に保護国化していたペルシアでも、地主や農村民を中心とした反イギリス団体「ペルシア国民会議」が実権を握り、宗主国に対する独立のための戦争を巻き起こすも――

その力の差は歴然としており、成す術もなく全土を制圧。

この戦いの結果、湾岸地域のホルムズ、ファールス、エスファハーンといった中心的な領地を英国直轄領とされ奪われるなど、ペルシアは更なる苦境にあえぐこととなったのである。

「五ヶ国同盟」に共に加入している英仏が直接矛を交えることはなかったものの、その周辺の中小国たちを巻き込み犠牲にしつつ、双方共に世界におけるそれぞれの存在感プレゼンス拡大を企図した攻撃的な動きがされていったのである。

1860年代も後半になる頃には、イギリスとフランスはその他の国々を圧倒する勢いでその力を拡大させていき、世界の富の大半をこの2か国によって支配するほどの勢いを持ち始めていたのである。



もちろん、対外政策ばかりではない。

真の敵は国内にこそ生まれ得る――そのことを前世紀の終わりに身をもって経験していたフランス・ブルボン王朝にとって、常に「獅子身中の虫」を駆除するための行動は、シャンガルニエ時代と変わらず続ける必要があった。

例えば一月革命期に追放されていた急進的な共和主義者ルイ・シャルル・ドレクリューズが密かにフランス入りしているという情報を掴んだマクマオンは、すぐさま警察を手配してこれを捕縛。

悪魔ディアブル」と呼ばれる南米ギアナ沖の孤島に流刑が宣告され、二度と戻れない旅路を歩むこととなったという。

また、神の恩寵と君主の神聖性を否定する悪しき「虚無主義者ニヒリスト」と呼ばれる者たちが現れ、文学や芸術を通して臣民に悪影響を及ぼそうとしているという話を耳にしたマクマオンは、ただちにこれを禁止し、思想的な弾圧を加えることに決めた。

徹底した弾圧はやがてその「ニヒリズム」という言葉をただの空虚シニカルな空言であると人々に理解させることに成功し、フランス国内の「知識人」たちも皆、最終的に国王とマクマオンたちの思想的隷従者へと成り下がることとなったのである。

そして逆にマクマオンは、自らが影響力を強く持つカトリック教会の力を借り、フランス国民が皆、自らと自らの属するこの国家を誇りに思い、民族的統一を図りやすくするための「愛国的」法律を制定するための熱烈な演説を実施。

1870年にこの「愛国法ロワ・パトリオティック」は制定され、「フランス人」たちは皆、日々の生活が実に満ち足りたものであると認識するようになると共に、国王の権力は更なる増加を果たすこととなった。

今や、国王と、これと一体化し国内最大勢力となったカトリック教会と、そしてこれを完全に支配下におくパトリス・ド・マクマオン元帥の権力は絶大なものとなりつつある。

これぞ、偉大なる世紀グラン・シエクルの再現。

そして、そのことを証明する最大の好機が、1870年代についにもたらされることとなる。

 

 

ペルシア解放戦争

イギリスーー正式名称グレートブリテン及びアイルランド連邦共和国は、1854年に王政が廃止され共和政に移行。以後、「大統領プレジデント」と呼ばれる「国民の代表者」が国の指導者として立てられるようになったが、選挙制度はなく、大資本家を中心とした一部の有力者たちによる寡頭政治体制が構築されていた。

ある意味で王国時代よりも民主主義が失われたとも言えるこの事態に、移行当初は熱狂していた国民も段々と不満を募らせつつあった。特に積極的な対外政策で植民地を広げつつも、その恩恵を決して庶民にまで行き渡らせようとしない現在のライオネル・ド・ロスチャイルド大統領の政権に対しては、国民の怒りはすでに爆発寸前であったと言って良い。

結果としてこれは、中産階級から一代で財を成して成り上がり、権力を手に入れていた「王党派」アルバート・ムーアによるクーデターを招き、1874年5月9日に無血革命が実現。

新たに「人民の王」として、第3代ヘイスティングズ侯爵エドワード・ロードン=ヘイスティングズエドワード7世として即位する。

この「第2次名誉革命」はほとんど混乱を伴うことなく行われ、国民の歓喜をもって受け入れられたものの、本当の混乱はこの後に待ち構えていた。

 

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1877年の冬の夜。

霧が立ち込めるダブリンの街角、古びた教会の一室で、二人の男が声を顰めて何事かを語り合っていた。

「国民は今、大いなる失望に満たされております。我々にはもはや時間は残されていない。すぐにでも、行動に移すべきでしょう」

勇ましく告げた男に、初老の牧師が落ち着いた様子で返す。

「お気持ちは分かります、フリードリヒ。しかし、焦ってはいけない。この計画は慎重に進め、表に出すそのときは一気に大胆に進めねばならない。事を為すには規模が大きくなければならないが、大きくなればなるほど、露見の恐れもあるのですから」

「しかし、時間がかかり過ぎることもまた、露見の危険を伴う」

男の言葉に、牧師も頷く。「ええ、フリードリヒ。貴方の言う通りだ。ですから、期限を決めましょう。決行は遅くとも1年後。それまでの間に、少しでも多くの同志を集めるのです」

男は頷く。「分かりました。私の持つネットワークを利用して、信頼に足る男たちを中心に、労働者たちの組織を形成していきます。エディンバラ、グラスゴー、マンチェスター、バーミンガム、バース・・・各都市で精強な部隊を用意することができるでしょう」

「有難い限りです」と、牧師は笑みを浮かべる。「私もここダブリンを中心に支持者を広げていきます。

 共和国は確かに数多くの問題を抱えてはいたが、ことアイルランドの自治と言う点において、旧体制よりも遥かに進んだ体制であったことは間違いない。今回の『王政復古』が、その成果をすべて過去のものにしようとする姿勢を明らかにした以上、我々はこれに否を唱える責務があるのです。この考えに同調するアイルランド人エールナッハは少なくないでしょう」

「ええ。我々にとって旧共和国は唾棄すべきブルジョワ政権ではありましたが、さらに醜悪な王政よりは遥かにマシと言えます。我々はこれを打倒し、共に理想的な、あらゆる民族、そしてあらゆる階級が幸福に過ごせる新たな共和国を実現させましょう」

蝋燭の淡い光が二人の顔を照らし、その双眸に漲る決意の炎を互いに認め合った。

長く暗い、北海の冬の夜も間も無く明ける。その先に、凍てついた絶望を融かす希望の光が輝いていると、男は信じていた。

 

1878年12月13日。

突如として、イギリス国内にて大規模な反乱が発生。北アイルランドからグレートブリテン島中央部の非常に広い範囲に至るまで、アイルランド自治連盟の盟主アイザック・バット率いるアイルランド民族主義者たち及びプロテスタント勢力と、ドイツから来た共産主義者フリードリヒ・エンゲルス率いる労働組合が次々と蜂起。王国軍はロンドン周辺やウェールズ、スコットランド北部など限られたエリアのみ保持している状態であり、その政権維持はかなり困難な状況であると見られた。

これを受け、マクマオンはすぐさま行動を開始する。

彼はまず、外交官を清に派遣し、対英戦争への協力を呼びかける。その見返りとして、かつてイギリスが清から奪い取った潮州(香港)の返還を見返りとして。

さらに同時に同盟国オーストリアにも使節を派遣し、この協力も獲得。

これらの即座の外交政策を実現させたのは、外務大臣ヴィクトル・ド・ブロイ

熱心な自由主義的王党派オルレアニストであった彼は1846年のシャンガルニエ憲法制定に憤慨し暫くは政治から遠ざかっていたものの、近年の政権のブルジョワ勢力との和解を経て再び政権に復帰することとなっていた。

マクマオンはその見返りとして彼らオルレアニストやブルジョワジーらが望む自由貿易法の制定なども実現させた。

 

さらにマクマオンは軍部に働きかけ、最新の軍事技術の導入を急ピッチで進めさせる。

それらを終えた後の1879年4月24日。

フランス王国は内戦で崩壊寸前のイギリス王国に対し、国王アンリ5世の名の下に宣戦布告を実施。その名目は帝国主義イギリスの支配下で隷従させられているペルシアの「解放」――もちろんその実態は、ただ単にその宗主権の地位をイギリスから奪い取るというだけなのだが。

いずれにせよ、国家存亡の危機に立たされているイギリスに、このフランスおよびオーストリア・清の攻撃に対抗するだけの余裕などあるはずもなく、海からはフランスが、陸からは清の軍隊が襲い掛かり、次々と蹂躙されていく。

10月にはイギリス王国領のほぼ全域が反乱軍によって制圧され、10月16日にイギリスは降伏。

ペルシアはフランスの保護国となり、清も香港を取り返すことに成功。

世界における覇権の割合はイギリスのそれを逆転し、フランスは紛れもなく世界最強の国となったのである。


これぞ、失われていた太陽王ロイ・ソレイユの時代の復活。

その象徴となったアンリ5世とブルボン朝は、永遠の繁栄を約束されたかの如く輝きを取り戻したのである。

そして、これを実現したマクマオン元帥もまた、深い満足と共にこの世を去らんとしていた。

偉大なる王権の擁護者シャンガルニエ元帥の後を継ぎ、宿敵イギリスを倒し、ブルボンに栄光を取り戻させた。

モンジョワ・サンドニーーブルボンとフランス王家の栄光よ、永遠にーー。

パトリス・ド・マクマオンは幸福な夢を見ながら、その70年の生涯を終えた。

 

しかし、王国にとっての最大の試練は、その死の先にこそあった。

世界は、突出した存在を決して許しはしない。80年前のナポレオン時代のフランスがまさにそうであったように。それこそ、200年前の太陽王の時代のフランスがまさにそうであったように。

 

繁栄の代償は、間も無く訪れる。

 

 

フランス包囲網

すべての始まりは1883年のクリスマス。

フランスの同盟国であり強固な絶対君主制を敷いていたオーストリア帝国で、突如大規模な反乱が発生。

その首謀者は、ルートヴィヒ・フォン・メラン。皇帝フランツ1世の弟ヨハン大公と平民の娘との間の子であり、貴賤結婚により生まれた子として皇族に加えられることは認められなかったこの男が、立憲君主派や自由主義者たち、自治権拡大や目論むハンガリー人勢力らによって擁立され、大規模な反乱を起こした形である。

当然オーストリアからは支援の要請がフランスに届けられる。

その規模ゆえにオーストリア一国ではどうしようもないだろうが、世界の覇者たるフランスが助力すれば、何の問題もないーーそう考えたフランス軍部は直ちにこの参戦を決める。

ーーが。

 

1884年12月。

内戦を続けるオーストリア帝国の西端で、今度はかつて鎮圧されたロンバルディア人たちの「蜂起」を確認。

そしてこの背景にはもちろん、両シチリア王国によって統一されたイタリア王国の姿が。

 

フランスはオーストリア帝国内の反乱軍、およびイタリアとの二正面作戦を強いられることとなったのである。

 

「ーーオーストリア方面の戦況は思わしくない、と?」

陸軍総司令官フェルナン・ド・モンモランシー=ラヴェル元帥の言葉に、将官たちは頷く。フランス史上最も多く優れた指揮官たちを輩出してきた由緒正しき一族の末裔は、マクマオン亡き今政権における最大の有力者と見做されていた。

「すでにウィーンやグラーツ、リュブリャナも占拠され、第二首都のセーケシュフェベールヴァールに宮廷は逃れているものの、追い詰められるのは時間の問題でしょう。プロイセンからの軍事支援も受けているとの話も聞きます」

「厄介なことだな・・・支援しようにもアドリア海を通じた補給ルートはイタリアによって阻まれ、十分に成し得ない。その中でロンバルディアが蜂起となれば、陸路での支援も絶望的だ」

「さらにその、ロンバルディアを支援する名目でイタリアが介入。我々は同盟国よりも国土を守るための戦いが必要となりました」

「イタリア軍を相手取るのは造作もない。オーストリアには悪いが、元よりハプスブルク家はフランスの宿敵。この終わりは最善ではないが最悪でもないだろう。全軍をイタリア戦線に貼り付け、対応に全力を投じよ」

 

フランスの支援も失われたことで、オーストリア・ハプスプルク帝室は劣勢を覆す手段を失い、1885年3月に降伏。

新たに成立したメラン朝オーストリアは選挙の導入と反乱に協力したハンガリー人の自治拡大という妥協アウグスライヒを認め、以後この国はオーストリア=ハンガリー二重帝国と称するようになる。

一方でロンバルディアの独立を実現したイタリアは、今度は西のフランスの対決に集中することとなる。

モンモランシー元帥率いるフランス軍も、このイタリアを叩き潰し、あわよくばその領土の一部をも手に入れようと画策していたが・・・

 

同年8月1日。

今度は、イギリスから独立しインドを支配していたインド人国家「ベンガル共和国」が突如、フランスに対し、フランスの保護国となっていたシャムの全領土の割譲を要求する。

ベンガル共和国は新たな独自勢力圏「相互条約機構」を設立しており、イギリスの弱体化を踏まえ欧米列強の食い物にされるアジアの解放を宣言していたのである。

しかもそこに、イギリス共和国が介入。

9年前、革命騒動にかこつけてイギリスの植民地を奪い、屈辱を与えたフランスに対する復讐の機会を、着実に力を溜め込みながらこの国は待ち侘びていたのである。

一転して、危機的な状況に陥ったフランス。

モンモランシー元帥は、状況の打破のため、速やかな対応を強いられることとなった。

 

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「ーーイタリアとは和平を結べ。義理を通すべき同盟国はもう存在しない。北イタリアを奪えれば良かったが、もはやそんなことを言ってる場合ではないだろう」

「あとはロシアだ。再度同盟を結び直し、呼び込むのだ」

モンモランシーの指示に従い、外交官がサンクトペテルブルクに派遣される。

しかし、彼が数週間後にパリに持ち帰ったのは、「拒否」の報せであった。

 

 ◆

 

「ーー今や、真に警戒すべき敵はフランス。そのことを陛下も十分に理解して頂き、有難き思いで御座います」

ロシア軍の極東政策を一手に引き受ける海軍大臣のイヴァン・グールコは、主君が自身の説得に応じてくれたことに安堵のため息を漏らしていた。

好戦主義的な貴族会議の連中はなおも英国との対立を最優先に考えているようだが、もはやそのような時代ではないということを、グールコや、彼の影響下にある軍部の大半は十分に理解していた。

「貴公の言う通りだ、グールコ。そもそも、フランスというのは、我らが神聖な大地を穢した仇敵そのもの。その悪魔と手を組む裏切り行為は、父の代までで終わりにすべきだと私も理解している」

「その通りです。それよりはまず、国内の安定を。ポーランド人扇動者たちを中心に、議会の開設を求める民衆運動が少しずつ盛り上がりを見せております。これらが急進的な色彩を帯びる前に、何としてでも押さえ込まねばーー」

ロシア宮廷内のそのような政治的判断の状況を伝え聞き、イギリスの外務大臣を務めるアーチボルド・プリムローズはほくそ笑む。

「ーーよし。ロシアはしっかりと乗ってくれたな。これで対フランス包囲網は完成した。あとは、我々の復讐を果たすのみだ。

 旧従属国の誼だ。アジアの支配権はベンガルに譲ろう。まずはフランス、奴らを押さえ込むことが先決だ」

 

 ◆

 

ロシアの助力拒否。これはフランス軍部に衝撃を与えたが、一方で清の協力を得ることには成功した旨の報告が届けられた。

「アジアの盟主」の座をインド人に奪われることの警戒、そしてベンガルが領するカシミール地方への野心。これらが決め手となって、大清帝国はフランスの対ベンガル戦争への参戦を決めたのである。

かくして、1885年8月18日。

フィンランド戦争、ペルシア解放戦争に続く、英仏両国の覇権をかけた三度目の戦いが始まる。

緒戦はフランス側の優位であった。イギリスの援軍がまだ届けられていないマレー半島・テナセリム地域にて、同地に派遣された精鋭「アフリカ軍団」を率いるモンモランシー元帥を中心に次々と制圧地域を拡大。清軍もここに加わり、開戦から3ヶ月が過ぎる頃にはテナセリム全域を占領下に置くことに成功した。

このまま、フランス領インド植民地ポンディシェリを起点としてベンガル共和国本土にも攻め込んでみせようーーそう意気込んでいたモンモランシーのもとに、その報せが飛び込んできた。

「ーーアジア方面のイギリス軍の動きが鈍いは聞いていたが、こちらに直接仕掛けてきたか。しかし、それは当然我々も警戒している。そう簡単にはやらせぬ」

フランス本土を守る部隊を率いるアンリ・ドルレアン。元フランス王ルイ=フィリップの五男でもある彼は、新復古王政下においては冷遇され続けてきたが、今回は本土防衛という重要な役割を与えられ、その名を刻む最大の好機となっていた。

しかし、イギリスも本気であった。

ノルマンディーでの上陸作戦の二週間後、フランス本土防衛部隊な注目がそちらに集まっている中、今度はダンケルクの港にイギリス海軍が強襲を仕掛けたのである。

ノルマンディーと比較しても多い9万もの大軍勢による強襲上陸作戦。こちらが奴らの本命だったと言うわけだ。

3万のフランス防衛部隊もこれには抗いきれず、間も無くして上陸を許してしまうことに。

直ちに近隣ののベルギー*1軍がわずかな兵で抵抗を試みるも、本気のイギリス軍の侵攻を前にして、いとも簡単に突破される。

このままでは、首都パリに到達されかねないーー次々と届けられる報告に、インドにて軍勢を指揮していたモンモランシーは決断を下す。

「ーーポンディシェリに最低限の防衛部隊だけ残し、東方軍はすべてフランスに帰陣せよ。本土の防衛を最優先事項とするのだ」

「し、しかし、英軍が先達てテナセリムへの再上陸を試みております。ここで我々東方軍を引き上げれば再びシャム王国は危機に晒される恐れもーー」

「構わぬ」モンモランシーは断固たる様子で決然と返す。「もはや、局面は変化している。今、シャムを捨ててでもキングを守りに行かねば、全てを失うことになりかねん」

言いながら、モンモランシーは表情を歪めた。

既に、これは撤退戦だ。我々は油断していた。覇権を得たと言う確信から驕り高ぶり、イギリスのあのしたたかな外交術を舐めてかかっていた。イタリア、ロシア、そしてベンガル・・・オーストリアの新政権も含め、気がつけば周りは敵ばかりだ。

身の程を弁えなくてはならない。80年前の二の舞にならぬためにも。

 

全兵力をイギリス軍が上陸してきた低地諸国戦線に振り分けたことで、戦線の状況は膠着状態へと落ち着かせることに成功。

海戦においてもセバスティアン・レスぺ提督率いる東方艦隊が舞い戻ってきたこともあり、何とか迎撃に成功。

フランスへと物資を輸送する輸送船団も次々と撃沈させたことで、補給を失いつつあるイギリス軍は敗北を重ね始めていく。

それでも、戦況はもはや勝利を得られるものではなくなりつつある。

フランス軍が撤退したシャム王国では勢いづくイギリス軍による制圧が広がる。

頼みの綱の清軍も、この方面での敗北が重なり、8月に降伏。戦線離脱。

さらに国王アンリ5世が病床に臥せり、危篤状態に陥ったという報せを受け、モンモランシーはもはやこの戦争を継続していくことが不可能となったことを悟った。

財政面においても、これ以上の継続は利益を産まないことは明白であった。

 

1886年11月1日。

30年前と同様、此度もこの英仏の激戦はロンドンの地で「講和条約」を結ぶこととなった。

当時の英仏は「痛み分け」で終わったものの、今回は無条件というのを敵方が受け入れることはなく、結局ベンガル共和国が求めていたシャムの領土の割譲を受け入れることに。

全域を奪われるまでには至らなかったものの、インドシナにおけるフランスの権益は大きく後退することとなった。

 

それでも、ここで終戦させることはフランスにとっては必要不可欠であった。

講和締結から3日後、病床に臥せっていたアンリ5世が崩御。

男子を儲けられずにいたアンリ5世の後継者は、元スペイン王位継承者フアン、すなわちジャン3世が指名されることとなった。

戦争の痛みは激しい。多くの兵士が亡くなり、上陸作戦に際しては国民の生活や命も脅かされた。そして財政的な負担は税となって国民全体を苦しめ、その上で保護国の領土を奪われる形での「敗北」。

ここにおいて、シャンガルニエ、そしてマクマオンが築き上げてきた「絶対主義王政」という新復古王政の政治体制の求心力が失われていくこととなる。

その一環として、マクマオンの制定した「愛国法ロワ・パトリオティック」に対する反対運動も、国民の間から沸き起こりつつあった。

 

そのような中で、この物語における、最後の主人公がついに姿を現す。

 

この男の導きにより、ブルボンの帝国は新たな時代の新たな誇りを手に入れていくこととなるだろう。

 

 

次回、最終回。

誇り高きブルボンの帝国」へと続く。

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*1:1875年にフランスが保護国としている。