~前回のあらすじ~
ミラノ・ブルゴーニュを巡る争いの中で、ついに皇帝と矛を交えることとなったフランス。
しかしすでにフランスの力は強大すぎており、もはや皇帝たちですらまったく歯が立たない状態となっていた。
そうして北イタリアも含め勢力を拡大していくフランス。
その野望は果てることを知らない・・・
大変なことが起こった。
プレイ中、何気なくウインドウを最小化し、別の作業を行っていた。
そのとき、あろうことかポーズをかけ忘れていたのだ。
気が付いたのは、すでに20年近く経過してからであった。
幸いにも破滅的なことは起きてはいなかったものの、この期間に起きた出来事としては、
- ブルゴーニュ内で反乱が起きてヌヴェールが独立していた。
- ヴェネツィアがミラノを征服していた。
- 教皇庁がトスカーナとナポリから殴られて領土を失っていた。おそらくこのときこちらに援軍要請していたのだろうがこれを我が国が(不本意ながら)無視をしたことになっており、教皇庁との同盟が切れたうえに威信が減衰していた。
- 当然のことながらアンリ2世は崩御しており、その息子のフランソワ1世が即位していた。
- そして、これが一番大事なことだが、30年戦争が既に勃発していた。
カトリック同盟は皇帝レオポルド2世を頂点にして、ミュンスターやオーストリア、トスカーナ、カスティリャなどが含まれている。
一方のプロテスタント同盟はプファルツ選帝侯を筆頭にボヘミア、ブランデンブルク、デンマーク、スウェーデン、ザクセン、イングランド、そしてオスマン帝国が含まれていた。
とりあえず焦るがままにヌヴェールとかろうじて請求権が消えずに残っていたフェラーラを征服しつつ、ブルゴーニュとシエナ、マントヴァを外交併合していく。
動きまわるフランス陸軍の合間を縫って、カスティリャの軍勢がオスマン帝国に壊滅させられたり、同じ陣営のはずの皇帝に対し攻撃を仕掛けその全土を占領していくオーストリア軍の姿が見える。
これは・・・カスティリャとの同盟を裏切ってでも、プロテスタント側につくべきだろうか?
実際、フランス国内にも、恐ろしい勢いでプロテスタントが広がっているのだ。
というか、フランス国内にプロテスタントの信仰の中心地すら生まれている。
とりあえず選択を保留し、1584年。
トスカーナに宣戦布告し、これを属国化する。
また同時期、宗教戦争が終結し、いつの間にかプロテスタントに改宗していたオーストリア大公レオポルド8世が新たな皇帝となった。
・・・ふむ、やはりプロテスタントが皇帝になるというのは違和感しかない。
フランク王国の旧領回復も考えるのであれば、ドイツはやがて手に入れたいわけだし、このまま帝国は解体してしまおう。フランス王が皇帝になるというのも悪くなかったが、フランスはやはり独自の帝国を築くべきである。
とりあえず4番目のアイディアとして「経済(Economic)」アイディアを獲得する。
アイディアの獲得は成長のボトルネックをカバーするものを選ぶ、という方針でやっているのだが、現状、少なくとも欧州においては軍事面で困ることはなく、あるとすればそれは経済面、それも交易ではない国内収入であると考えていたため、このアイディアを選んだ。
事実、元より高い税収入や生産収入が、これでさらに爆発的に増えることになり、経済状況は一気に超出力となった。フランスとの相性がよいアイディアだと思われる。
のちにヴェルサイユ宮殿を建てる条件ともなるしね。
1588年1月18日。
北イタリアを支配するヴェネツィアに宣戦布告。
先立ってマントヴァを併合していたため、きれいな青色が広がっている。
1年半後に敵同盟国であった教皇庁と講和。属国のトスカーナにアンコナを渡す。
ローマも併合可能であったが、取りやめる。
確かローマ併合するとペナルティが大きかったし、教皇庁画面からのボーナスも選べなくなるような予感があったから。
まあ、ローマは1州だけ残して仲良くしておきたい。
利用できるものは手足を塞いで利用すべしである。
さらに半年後、ヴェネツィアとも講和。
ヴェネツィア及びヴェローナをトスカナに割譲させ、ミラノ(フランス領としてはロンバルディ)およびクレモナをフランスが直轄支配することに。
当然、AEは爆上がりである。画面は見づらいが55まで上昇している。
だから当然、包囲網も加わる。
手始めにオーストリアや領土拡大しているプファルツ選帝侯、そしてデンマーク、ネーデルラントなど。
まあ、来るなら来い。
どうせ威勢だけがいい、烏合の衆である。
と強がりながらもさすがにびびるのでコモンウェルスと同盟を結んでおいた。
ただ、やはり高開発度地域であるロンバルディアを併合していったことで、ついに政体が帝国レベルに。
フランス地域の文化がすべて受容文化となる。
1590年1月1日。
フランス帝国爆誕。
時を同じくしてフランソワ1世が崩御し、15歳の皇太子ルイが皇帝ルイ13世として即位する。
そしてその後継者が、8歳年下の弟ルイ。
のちの「太陽王」ルイ14世となるこの皇太子が、史上最高レベルの才能を持っていた。
これは、2度目となる「禅譲」も辞さない構えである。
第8回に続く。