~前回のあらすじ~
オスマン帝国をも巻き込んだ、総勢50万以上の軍隊が激突した世界大戦。
これを制したフランス皇帝ルイ14世は、新たにシュタイアーマルク公国を属国化し、またイングランドの大陸からの完全追放に成功した。
双方に80万以上の死者をもたらした大災厄となった世界大戦。
しかし、皇帝ルイ14世はなおも、その侵略の手を緩めるつもりなどなかったのである。
1.ネーデルラント征服戦争 -ルイ14世の治世-
1666年8月11日。
皇帝不参加を見計らってプファルツ選帝侯に宣戦布告する。
2年後の7月25日には講和。
アルザスをフランスに割譲、サングオを属国シュタイアーマルクに割譲、
そしてアンスバッハ・バーデン・クレーフェ・フランクフルトなどを独立させる。
これらは属国化したかったが、帝国の一部を侵略しているペナルティなどで断念。
その後は、スイスやらネーデルラントやらに宣戦布告をしたかったものの、つねに皇帝がしゃしゃり出ようとしてきて、彼が不在になったと思った次の瞬間に皇帝位がボヘミアに移ってやはりダメになる、となかなか開戦できずにいた。
皇帝自体は怖くもなんともないのだが、その同盟国にオスマンがいるのが厄介だった。
そうして1670年代後半。
これ幸いに、とばかりにいよいよルイ14世は侵略の魔の手を伸ばそうとする。
最初の標的はネーデルラント。
しかし、同盟国のコモンウェルスが参戦を拒否。
理由は借金ということなので・・・
気前よく肩代わりしてやる。
そうして1679年2月18日。
問題なく共に宣戦布告。
10月30日には早くもオーストリアを脱落させ、その領土の大半をシュタイアーマルク領に編入させる。
3年後。1682年6月28日。
ボヘミアの全土を制圧し、シュレジアを独立させたうえで、コモンウェルスがコアと請求権を持つ領土すべてをコモンウェルスに譲渡させた。
コモンウェルスは、対ボヘミア戦争において十分な壁役を担ってくれた。
その労に報いる形である。
これからもよき同盟相手であってほしい。
そして1683年の11月1日。
当初の戦争目的であったネーデルラントを降伏させ、その主要領土を大量に割譲させた。
AEが100を超えるという異常な事態に発展するも、包囲網が組まれることはなかった。
もはやここまで来ると、誰もフランスに立てつけないでいるわけだ。
なお、ボヘミア降伏直後の1684年8月14日には、ルイ14世が崩御。
享年74年。ゲーム開始以来最長の記録を誇った。
後継者はルイ15世。
先だって生まれていた同名の後継者は途中で事故死している。
そちらは優秀だっただけに残念。
ルイ15世は即位当初すでに41歳。
15歳年下の後継者アンリは2/2/6とやや偏りつつも悪くない能力だった。
全収入-10%という効果を持つ「強欲」な性格なのは残念だったが。
2.スイス征服戦争 -ルイ15世の治世-
1689年3月6日。
今度はスイスに宣戦布告。
スカンディナヴィアと名前を変えた旧スウェーデンを含め、同盟国全員参加での開戦。
翌年2月18日にサヴォイアを併合。
これまでスウェーデンと同盟を結んでいてなかなか手が出せなかったのだ。
10月30日に突如舞い込んできた「京都発見!」の報。
だからどうした。
1691年1月30日にスイスと講和を結び、属国化を承認させる。
この辺りでようやく包囲網が組まれ始めるが、何も起きることなく、数年ですぐ解体されていく。
1695年に外交技術レベル23に達し、最強CBの「帝国主義」を獲得する。
AE上昇およびコア化コストを25%カットしてくれるすぐれもの。
もちろん、請求権捏造していなくてもどんどん攻め込めるという点も嬉しい。
1699年3月12日。プファルツ選帝侯に再度宣戦布告。
1年後に和平し、その領土の大半を一気に奪い取る。
この後、シュタイアーマルクも外交併合が完了し、1701年段階での世界の姿はこんな感じに。
ゲーム終了まであと120年。
果たして、フランク王国旧領回復は間に合うのか。
余談だが、1700年に、最後のInstitutionである「啓蒙主義」が生まれた。
が、その生まれた場所がアフリカ。
アフリカで生まれた啓蒙主義・・・非常に興味深い。
第12回に続く。