間もなくVer.1.2がリリースされるということで、Ver.upでしばらくプレイできなくなる恐れのあるMODを用いたプレイをしてみたいと思う。
使用するMODは『出版産業の興隆(Rise of Publishing Industry)』。日本人の方(kaznoko氏)が作られたMODで、新しい技術、新しい施設と商品、イベント、そして新しいPOP(ジャーナリスト)まで追加する非常に興味深いこのMODを使用して、本ゲームの冠国であるイギリス=大英帝国(United Kingdom of Great Britain and Ireland)をプレイしていきたいと思う。
但し、普通にプレイしていても大英帝国は強すぎて面白くないため、前回のプロイセン同様MOD『Anbeeld's Revision of AI』導入及び「プレイヤーへのAIの態度」を「無情」に、「AIの好戦性」を「高い」に設定するほか、効率性を極力無視した、そのときどきの政権やPOPたちの要求に沿った「完全ロールプレイ」を基本方針としてやっていきたいと思う。
よって、MOD『出版産業の興隆』を楽しむということ以外にゲームとしての目標は設定しない。
ただ国民の要求に従いながら、大英帝国の運命を、その行く末を見守っていく、そんなプレイをしていきたいと思う。
この100年の結末がどのようなものになっていくのかはわからないが、最後まで読んでいただければ幸い。
それではいってみよう。
Ver.1.1.2(Earl Grey)
使用MOD
- Japanese Language Advanced Mod
- Cities: Skylines
- Dense Market Details
- Dense Trade Routes Tab
- Improved Building Grid
- More Spreadsheets
- Visual Methods
- Romantic Music
- Universal Names
- Historical Figuaes
- Visual Leaders
- ECCHI
- Visible Pop Needs
- Auto Convert Production Methods After Conquest And Annex
- Japonism
- Declare Interests Button on top
- No red smoke
- Extra Topbar Info
- Anbeeld's Revision of AI
- 出版産業の興隆
目次
第2回以降はこちらから
第4回「エドワード・マクフィーと財政再建、そして出版産業政策の見直し」
過去のシリーズはこちらから
強AI設定で遊ぶプロイセンプレイ:AI経済強化MOD「Abeeld's Revision of AI」導入&「プレイヤーへのAIの態度」を「無情」、「AIの好戦性」を「高い」に設定
金の国 教皇領非戦経済:「人頭課税」「戦争による拡張なし」縛り
第2次メルバーン子爵内閣とMOD『出版産業の興隆』紹介
ゲーム開始時(1836年1月1日)の大英帝国の君主は国王ウィリアム4世。1830年に長兄ジョージ4世の崩御を受けて65歳で即位した。
即位当初はホイッグ党党首かつ首相であったグレイ伯爵(「アールグレイ」の由来)と共に選挙制度改革などの自由主義的改革を推し進めるが、のちにその後継者であるメルバーン子爵ウィリアム・ラムが首相として就任すると、急進的な人物を重要ポストに据えようとする彼の人事に反対しこれを罷免。対立する保守党(トーリー党)に組閣の大命を与える事態となった。
しかしこの保守政権(第1次ピール内閣)は弱体でありわずか4か月で瓦解。ウィリアム4世も仕方なくメルバーン子爵の組閣を認め、1835年4月より第2次メルバーン子爵内閣が開始される。
史実ではその後、野党保守党との密約もあり6年間の安定政権を確立させたメルバーン子爵だったが、ゲーム上では対立するロバート・ピール率いる実業家集団の影響力が強すぎて政権維持は風前の灯火。
ゲーム開始直後の1836年2月1日には早速選挙が行われ、第2次メルバーン子爵内閣は1年も経たずに崩壊。第2次ピール内閣が発足することとなる。
その先の話をする前に、今回のメインテーマであるMOD『出版産業の興隆』について触れていこう。
これはkazunokoという日本の方が作成されたMODであり、ゲームに新たな施設・商品それ伴う技術・そして新たなPOPを追加するという大型MODである。日本語・英語・中国語・イタリア語に対応しており、精力的なアップデートが続けられている。
間もなく来るメジャーパッチが適用されるとしばらくプレイ不可になる可能性もあるため、このタイミングでこちらをプレイしてみたいと思う。
まずはゲーム開始時点の「ゲームの目標」でこの出版産業の興隆を選べるようになっている。
推奨国家はアメリカ、フランス、イギリス、日本の4か国。
今回はその中でイギリスをプレイしていきたいと思う。
その他のゲームの目標と同様、道標となるジャーナルが出てきてそれを達成していく形式となる。
最初のジャーナルは「出版産業の夜明け」。
新しく追加された施設である「出版産業」を建設するというものである。
実際、このMODを追加すると「高級紙」「大衆紙」「ポップアート」という3つの新しい商品についての巨大な需要がいきなり生まれるため、最初はそれらを生産するための施設を作っていくことが重要になるだろう。
こちらが実際に建てられた「出版産業」。先ほどの莫大な需要に基づき、恐ろしい生産性を誇っている。しばらくはこちらを建設し続けるのが良いかもしれない。
なお、初期状態の「出版産業」では、「高級紙」しか生産できない。
これを「大衆紙」も生産可能にするための製法「輪転印刷機」を解禁するための技術を早速研究開始することとする。
「輪転印刷機」は生産系時代Ⅱの技術であり、旋盤を研究してればアンロックされる。イギリス含めた列強諸国であればすぐに研究に取り掛かれるほか、後進国でもそう時間はかからないだろう。
もう1つの新商品「ポップアート」は社会系時代Ⅲの技術「アーツ・アンド・クラフツ」で初めて解禁されるため、生産まではもう少し時間がかかりそうだ。
ひとまずはこんなところだろうか。
このあともこの新要素がゲームプレイに関わってきたタイミングで随時解説を差しはさんでいこうと思う。
それでは物語の続きを見ていこう。
第2次ピール内閣
アヘン戦争
1836年2月1日。
総選挙の結果勝利したピール党党首ロバート・ピールを首班とした第2次ピール内閣が発足する。
早速その市場自由主義思想に基づく政策を開始するピール首相。手始めに取り掛かったのは植民地経営を効率化し本国が得られる利益を最大化するための「植民地搾取」法の制定。反対意見のいないこの法律の制定は、政権最初の仕事としては十分なものとなるだろう。
そしてもう1つの仕事が、「アヘン戦争」である。
1836年1月28日。清国はイギリスに対してアヘン貿易の停止を通告。
史実における1836年にも、メルバーン子爵内閣の外相パーマストン子爵によって、広東への外交官チャールズ・エリオットの派遣、及び東インド艦隊に対する動員命令を行っている。
しかし史実ではまだこの時点では具体的なアヘン取り締まりは始まっておらず、パーマストン子爵も直接の武力圧力をかけることは禁じていた。
だが、この世界では早くもこの時点で清が明確な取り締まりを開始。さらに政権も自由貿易志向のピール派に代わっており、さらには好戦的な軍部がここに協力しているという体制。
この状況が史実よりも早いアヘン戦争を開始させるのに時間はかからなかった。
1836年2月1日。新政権樹立と同日に、植民地搾取法の審議を開始すると同時にピール政権は清に対して無関税貿易地としての香港島の割譲を要求。
同時に東インド会社にも動員をかけ、印清国境に英陸軍を配備。清周辺海域にも世界各地に散らばるロイヤル・ネイビーを集結させ始めるなど、清に対する圧力を徹底的にかけ始めた。
慌てた清の道光帝は和平派のキシャンを欽差大臣に任命し対応に当たらせる。英国側も外交官チャールズ・エリオットを派遣し、1836年5月18日、両国の間に川鼻条約が結ばれたことで、実際の戦火に発展することなくこの騒動は終結した。
史実では香港の割譲は定めたもののそこでの徴税権が清側にまだ残っているということで破談となったともいうこの川鼻条約(あるいは穿鼻条約)。この世界ではきっちりと無関税の港として香港が英国側に譲り渡された一方で、清に対する賠償金は一切課されないという双方にとって妥協された内容となったため、無事締結。
英国側も4月4日に国王ウィリアム4世が倒れ、ヴィクトリア女王が即位するという状況が生まれていたため、できれば実際の戦争には発展しない早期解決が求められていたことも理由として存在した。
いずれにしても大英帝国は当初の目論見通り、清国との無制限の無関税交易を可能とする貿易港・香港を手に入れることができた。
これは実業家集団に支えられたピール政権にとっての、最初の大きな成果と言えるだろう。
まずはこの最初の政策で「成功」を治めた第2次ピール内閣は、続いて次々と支持基盤たる資本家たちのための政策を進めていくこととなる。
ピール政権の諸改革と出版産業の興隆
1837年1月22日に「植民地搾取」法制定。
史実でもイギリスが植民地としたアフリカ最大の優良植民地候補地ニジェール・デルタへの植民も開始する。
続いての法律は同じく実業家集団が支持するレッセ・フェール。
イギリスは最初から干渉主義が制定されているが、早々に大量の建設局を増設した結果投資プールが底をついたため、これを強化するレッセ・フェールは財政改善のためにも重要。
1837年7月23日。
さしたる抵抗もなくレッセ・フェール法制定。
続いて自由貿易を制定しようと考えたが、先ほどのレッセ・フェールとの立て続けの制定で農村民が急進化してしまうことを恐れ、先に「私立学校」を制定することにする。
すでに宗教学校が制定されているため、私立学校制定によって聖公会の支持率は下がるが、急進化するほどではないため放置。宗教学校法が廃止されることで、彼らの政治的影響力を下げることもできる(代わりに知識人層の政治的影響力が増すことになるが)。
そうこうしているうちに1837年4月6日。
最初に選択した技術「輪転印刷機」がアンロック。
早速ロンドンの出版産業で大衆紙の生産を開始する。
一応史実におけるイギリス最初の大衆紙は1896年創刊のデイリー・メールとのことなので随分早いが、市場が求めているのだから仕方がない。
本MODで追加された新たなイベントも発生。「新聞上での舌戦」。輪転印刷機の導入でさらに大量に市場に供給されるようになった新聞紙上で、野党のホイッグ党支持派とトーリー党支持派とが互いを攻撃し合う論戦を展開。
この頃実際にあった政治的問題といえばアイルランド国教会税収転用問題。ホイッグ党左派のジョン・ラッセル卿が提案したアイルランド国教会の税収を社会保障に回すという政策に対し、ホイッグ党右派スタンリー卿*1を中心とした保守勢力が反発し離党。最終的にトーリー党へと移籍したという顛末で、グレイ伯爵内閣が総辞職するきっかけともなった政治的闘争である。
今回も国教会の税収を巡り保守勢力と改革派勢力が言い争っているのか。どちらもピール政権にとっては敵対勢力ではあるものの、小ブルジョワ指導者の第4代アバディーン伯ジョージ・ハミルトン=ゴードンは史実ではピールと共にピール派の一領袖であり、ピール亡き後のピール派指導者ともなった人物だったので、これを支援することとする。
今度こそ自由貿易を・・・と思いつつ、まだ農村民の不支持率が高いため、少し時間を置くこととする。
その間に、世界ではさらなる動きが。
1838年1月5日。
オスマン帝国がエジプトに対し、5年前の戦争で奪われたシリアの地の返還を要求。
史実より1年早い、第2次エジプト・オスマン戦争が今始まろうとしていた。
第2次エジプト・オスマン戦争
史実では(そして実際にゲーム中でも)オスマン帝国に対し優勢に進めていたエジプトに対し、帝国の崩壊による地域の不安定化を恐れた列強諸国が介入。エジプトにシリアの返還を行わせ、代わりにエジプトのムハンマド・アリーによる統治を公式に認めることとなった。
そして史実では主にイギリスがオスマン帝国を、そしてフランスがエジプトを支援する格好を取っていたが、この世界ではフランスがエジプト側を支援する格好に。
これを受け、エジプトがイギリスに対しオスマン帝国の「北トラキア条約港」割譲を約束し懐柔を実施。
ロバート・ピール首相はやや悩みはしたものの、最終的にはこのエジプトの地に新たなる利権を獲得するチャンスであると判断し、これを受諾。
かくして1838年4月26日。
第2次エジプト・オスマン戦争、ならびに実質的な英仏戦争が開幕することとなる。
緒戦は5月26日。オスマン・シリア国境沿いに位置するアダナの山中にて、ナポレオンの副官を務めたこともある猛将オノレ・シャルル・レイユ元帥と、エジプト軍将軍イブラヒム・パシャの参謀長を務めるシャルル=マリー=ナポレオン・ド・ボーフォール・ドープル少将という二人のフランス人将軍の激突から始まった。
エジプト自体は後進国とはいえ地域の大国であり、かつこのようにしてフランス人士官による強化も施されている。
シリア方面は問題ないと踏み、大英帝国最高司令官ロウランド・ヒル*2は帝国陸軍最高の軍隊を率いるヒュー・ゴフ大将をオスマン帝国の同盟国であるトリポリ方面へと派遣。
既に押し込まれ始めていた戦線を立て直すべく、マトルーフの地で攻勢を開始した。
さらにエドワード・コドリントン率いる帝国第1海軍が中央地中海にてフランス輸送船団を襲撃。
フランス上陸部隊の補給が行われているこの地中海航路を徹底的に分断しにかかる。
ただ、襲撃されるのはこちらも同じ。
立て続けに襲撃に遭い、補給路の質はフランス軍を下回ってしまった。
一応第2海軍のトーマス・バイアム・マーティン提督を船団護衛任務に就かせてはいるが、35艦隊しか持ち合わせていないこの第2海軍は、ギー=ヴィクトル・デュペレ提督率いるフランス第1海軍を前にして太刀打ちできず。
仕方なく100艦隊を有するコドリントン提督の第1海軍を船団護衛任務に就かせるも、そうするとより一層、補給路減衰スピードで相手側を下回ってしまい状況は時を追うごとに劣勢に。
結果、トリポリでも次第に勝てなくなるどころか、シリア方面でもエジプト軍が押し込まれてしまっている。
このままでは厳しい・・・そう判断したヒル司令官は、大胆な策に出る。
すなわち、もはや護衛はつけない! 全ての艦隊で徹底的に敵輸送船襲撃を行い、とにかく敵の補給をこちら以上に減らしていく。肉を切らせて骨を断つ作戦である。
これが功を奏し、英国合計152艦隊が次々と地中海の輸送船団を沈めていった結果、フランス遠征軍の補給は半分を下回る結果に。
1839年9月にはフランス輸送船団の沈没数は2,000弱に達し、遠征軍の補給に関してはほぼ0%という状態に。
ここから、英国軍の反撃が始まる。
補給0で自軍を動員できず現地の非正規兵しか用意できないフランス士官たちを、ゴフ大将が次々と打倒。
開戦から2年半が経過した1840年12月にはようやくオスマン帝国側の領土を制圧しつつあった。
ここでオスマン帝国が白紙和平を提案。
確かにこちらも苦しい・・・だが、ここまで来て何も得られず終わるのは許されない。
外相ウェリントン公爵はすぐさまこの提案を跳ね除ける。
するとやってられるかとばかりにフランスが降伏。
これで地中海は大英帝国の庭となる。
アナトリア戦線は第2軍を率いるジョン・シートン少将とエジプト軍に任せ、ゴフ大将にはコドリントン提督に率いられ戦略目標の1つである北トラキアに上陸。
勢いあまってコンスタンティノープルまで占拠してしまった。
あとはもう、時間の問題である。
1841年6月25日。開戦から3年と2ヵ月を経て、第2次エジプト・トルコ戦争は終結。
史実同様にロンドンで結ばれた条約によって、エジプトはアナトリア大半の大半を獲得し、オスマン帝国はより一層の弱体化が図られる。
そしてイギリスはコンスタンティノープルにほど近い黒海沿岸のブルガスを獲得。ロシアにもにらみを利かせることのできる、重要な軍港となった。
そして3年の長きにわたるこの戦争の間にも、国内政治や「出版業界」は大きく動いていたのである。
自由主義連盟
まずは1839年4月2日。
海軍提督のジェームズ・ドゥンダスがランカシャーで初となる新聞社の設立を計画しているというオリジナルイベントが発生。
ドゥンダス提督の支持基盤である実業家集団寄りの内容ということで、ピール首相もすぐにこれを認可。
「知識の寄付」のようにランカシャーに出版産業が無償で1つ建造されるほか、実業家集団のPOP求心力にボーナスがつき、さらに該当キャラクターに新特性「ジャーナリスト」がつくことに。
さらにフランスやアメリカで次々と名作が出版されるイベントが発生。
これらはその国ごとに用意されており、イギリスでもたとえば『オリバー・ツイスト』が、「写実主義」の技術を取ることで作られるようになっている。
そして1842年8月22日にこれを達成。
自国で名作を出版すると下記の通り威信と出版産業処理量に長期のボーナスがつくため、どんどん達成していこう。
なお、イベントで使用している画像はAI画像生成サービス「Mid Journey」を使用しているとのこと。良い時代になったものである。
政治の面では1840年2月1日の選挙でピール派が圧勝。
イデオロギー的に対立する小ブルジョワがトーリー党から抜けたこともあり、ピール派とホイッグ党による連立政権「自由主義連盟」が樹立されることに。
ロバート・ピールとメルバーン子爵という最強タッグの政権が完成された。
1841年1月27日に民間健康保険を制定。
1841年4月28日には「自由貿易」法が制定。
さらにホイッグ党から自由党に名称を変えたメルバーン子爵ら自由主義陣営の意向もくみ取り、1841年9月20日には「保証された自由」も制定。
イデオロギー対立がなく、共に政治的影響力が非常に高くなっているピール派・自由党連立政権の正当性はすでに100に到達。
施行期間半減ボーナスを存分に享受し、次々と新法を成立させていく。
その途中、ウェールズの新聞が政府内部の秘密を暴露するスクープを出そうとする動きを察知。
これも、かつての政権であれば握り潰していたことだろう。しかし、メルバーン子爵率いる自由主義陣営はこれを許さず、権力と引き換えに出版の自由を守り切った。
やや大げさに報じているのは確かなようだが、一方で対策が必要な事態ともなっているのも間違いない。
国教会を中心とした保守勢力は彼らに対して冷たいようだが、ヴィクトリア女王自身がこの事態に対してひどく同情的であり、自由主義連盟政権はこれに対して一時的な社会保障を行うと共に、問題に対する根本的な解決を目指すこととする。
すなわち、アイルランド人解放政策である。
これまで、国民至上政策の下、イングランド人やスコットランド人とは異なる言語を用いていた彼らアイルランド人は常に差別され続けていた。
しかし、ピール・メルバーン子爵政権はこの状況にメスを入れる。
すなわち、言語に縛られず、同じヨーロッパ系統の文化でさえあれば差別されないという「人種隔離」法へと緩和。
アイルランド人が同じ大英帝国の臣民として幸福に過ごせる社会へと作り替えていく。
なお、ヴィクトリア女王もこの改革に前のめりであったがゆえに反対者たちを掣肘するための権力を行使しようとすらしていたが――メルバーン子爵はさすがにこれは静止した。
ウィリアム4世がメルバーン子爵を更迭したときを最後に、国王が政治に介入する事例はここまで発生していない。
これを新しい伝統にしていかないといけない――それもまた、自由主義陣営の首班としての強い思いでもあった。
そんなメルバーン子爵ウィリアム・ラムが、1845年12月31日に死亡。史実より2年早い旅立ちであった。
後を継いだのは、かつて彼が政権に据えようとしてウィリアム4世の怒りを買った(そして更迭された)原因でもあるホイッグ党随一の改革派ジョン・ラッセル。
彼を中心として、大英帝国の政治はさらなる変革の時代を迎えることとなる。
第2回に続く。
過去のシリーズはこちらから
強AI設定で遊ぶプロイセンプレイ:AI経済強化MOD「Abeeld's Revision of AI」導入&「プレイヤーへのAIの態度」を「無情」、「AIの好戦性」を「高い」に設定
金の国 教皇領非戦経済:「人頭課税」「戦争による拡張なし」縛り