永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い以降、破竹の勢いで勢力を伸ばす尾張の大名織田信長。
元亀年間(1570-1573)には浅井・朝倉・本願寺・武田らが加わった「信長包囲網」によって窮地に陥るが、これを救ったのが信長重臣の一人、明智十兵衛光秀であった。
浅井朝倉戦においては、数で勝る浅井朝倉軍の襲撃に対しても怯まず小谷城包囲を続け、信長の後詰めが到着するまで持ち堪えた軍略の才。
そして武田戦においては、直接矛を交えずして信玄・勝頼の父子2代を暗に誅するという謀略の才。
これら他を圧倒する実績を踏まえ、天正3年(1575年)に信長の摂政役に就任。
ここに至り、光秀は名実共に織田家内ナンバーツーの座を確実なものとしたのである。
織田家の伸長と共に大きく躍進する明智光秀。
その勢いは果たしてどこまで膨れ上がるのか。
そしてその野心の行く末、結末は――?
Ver.1.11.3(Peacock)
使用DLC
- The Northern Lords
- The Royal Court
- The Fate of Iberia
- Firends and Foes
- Tours and Tournaments
- Wards and Wardens
- Legacy of Perisia
使用MOD
- Japanese Language Mod
- Shogunate(Japanese version)
- Nameplates
- Historical Figure for Shogunate Japanese
- Big Battle View
目次
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同盟
天正3年(1575年)9月1日。
織田家筆頭家臣にして摂政・明智十兵衛光秀は、三河国浜松にある徳川家康が居城を訪れていた。
「――明智殿、先達ての武田戦においては実に見事なる謀略、深く感謝申し上げます」
言葉と共に深々と頭を下げる家康。三河遠江の五郡を領有する大名の家康が、織田家筆頭とは言え滋賀一郡を領有するのみの光秀に対する態度としては異例であったが、それだけ彼の実力を家康が認めていることの証左であった。
「加えてこの度の我が弟・松平康俊と、そなたが姫君との婚姻の締結、誠に喜ばしきこと」
「ええ。弾正大弼様と貴殿との間のみならず、こうして当家と貴家との結びつきが生まれることは、今後の織田徳川関係においても大きな意味を持つことになりましょうぞ」
光秀はそう言うと、少し前のめりになって続ける。
「して、徳川殿。早速ですが、お力を貸していただきたく」
家康も鷹揚に笑い、応える。
「何でもお申し付け下され。そなたは我らが恩人故」
「ありがとうございますーー近く、我々は大敵に挑みまする。その際に後詰めをお願いしたく。
武田も暫くは、身動きが取れぬと思います故」
「承知した。で、いずこへ?」
家康の問いに、一拍置いて、明智は応えた。
「包囲網が黒幕・・・将軍、足利義昭」
元亀元年(1570年)から始まる信長包囲網は、浅井・朝倉・本願寺・六角・三好・赤松そして武田と広く展開していたが、その中心にいたのが現将軍・足利義昭であった。
かつては信長に擁立されしも、次第にその権力を簒奪されつつあった義昭は諸大名に信長への決起を促す書状を発布。かくも多様な戦国大名同士が連携能うたのも、没落しつつあるとは言え足利将軍家の威信あればこそであったのだ。
故に、信長はこれを叩くことを決めた。
柴田勝家配下の山岡景隆には六角攻めを、自身は播磨の赤松攻めを。
そして最も京都に近い位置である滋賀坂本を守る明智には、京都への襲撃が命じられたのである。
もちろん、腐っても征夷大将軍。その総兵力は1,729と明智では比肩することも敵わない。さらに包囲網の一角である三好の加勢も考えられた。
故に必要なのは助力と準備と、好機であった。
助力については先の徳川との同盟で問題無し。
準備については、まずは本拠地滋賀の「有力武士」を味方につけ、豊富な鉄砲と鉄砲撃ちを集めることに成功する。
光秀自身も独自ルートで最新の鉄砲を集め、利三を中心に精鋭の鉄砲部隊を編成。
準備が完了した後、後は好機のみであった。
そしてそれは、天正4年(1576年)末に訪れる。
即ち、足利の内乱。将軍側近で政所執事であった伊勢貞興が、その領地を改易されそうになったことに反発し、挙兵。これは光秀の謀略の一端であったと言われる。
さらには足利の同盟国三好も、信長の手引きにより松永久秀による反乱を起こされて身動きが取れない状況に。
そして山岡が六角を攻め滅ぼしたことを受けて、光秀も時期到来と判断。
天下の将軍・足利義昭に対し宣戦を布告した。
坂本の戦い
天正5年(1577年)6月。
明智軍1,000は京都・足利義昭が居城・二条城を包囲。守備兵たちとの合戦に入る。
「殿、なかなかに防備厚く、落とし切るまでに1年以上はかかりましょうぞ」
「その間に足利軍本隊は伊勢の軍勢を蹴散らし、こちらに舞い戻ってくることが予想されます」
「それで良い。せいぜい存分に焦らせ、急いで帰らせるようにするのだ」
包囲軍大将の明智光忠の言葉に、光秀は余裕さを失わない表情で応える。
「そして彼らが戻ってきた際には、実に醜悪なる撤退劇を見せてもらうぞ、内蔵助」
「はッ――お任せを。戦慣れしておらぬ公方軍を謀る事など、造作もなき事」
翌7月初頭。
光忠の言葉通り、伊勢軍を打ち倒した足利軍本隊が京に迫る。
明智軍は速やかに撤退を開始し、その殿を務める斎藤利三の軍は慌て、からがらに逃げ出すかのような様子を敢えて見せていった。
「フン、明智の奴め、見るも無惨な様態で逃げおるわ。我らが伊勢如きに長く張り付けられるとでも思っておったか。あるいは二条を攻め落とすのが容易とでも」
「公方様、ここは追撃の好機で御座います。二度と我らに楯突けぬよう、明智軍を背後から襲うべきでしょう」
「うむ。それだけでなく、そのまま奴らの本拠地、坂本まで攻めたてるぞ。あんなところに拠点を置かれてはいつまで経っても背後を気にせんとならなくなる。滋賀も奪い取り、武田の復活を待って再び包囲網を組むのだ」
明智軍が京を撤退し本拠地の坂本まで戻った後も足利軍の追撃は止まらず、ついに8月15日。坂本の地にて決戦が繰り広げられる。
足利軍は油断していた。兵数の上では圧倒的に有利。そして明智軍は壊滅的な敗走によって疲弊しているはずだと。
だが、実態は逆であった。二条城包囲に焦った足利軍の強行軍、そこからの追走劇によって兵卒に蔓延する疲労感を、足利義昭始め軍上層部は理解していなかった。
そして、明智軍によって丘陵地帯に用意された坂本の要塞は、数の利などものの頼みにならぬ相手であった。
「ななな、何故、我が軍が押されておる! 数の上では圧倒しているのではないのか!?」
「わ、分かりませぬ! 四方八方より、見えぬところから襲い掛かる鉄砲隊により、我が軍次々と壊滅――敵いませぬ!」
斎藤利三の指揮の下、統率の取れた鉄砲隊を前にして足利軍はなす術もなく数を減らしていく。
途中、壊滅間近の敵軍に後詰が加わる事態も発生するも、緒戦は戦力の逐次投入。これもまた、生き残った部隊だけで壊滅させることとなった。
最終的には自軍の2倍もの相手に対して完勝するという、見事な勝利を成し遂げるに至ったのである。
「これはこれは、明智殿。我々が加勢するまでもありませんでしたな」
戦端が開かれたと聞き慌てて駆けつけた徳川軍が坂本に到着してみれば、すでに闘いは決着していた。
家康を出迎えた光秀は笑顔で応える。
「いえ、重要なのはここからです。浮き足立つ足利方に対し、徳川殿が加わり圧倒的な物量で攻め立てることにより、敵方の諸城も次々と門を開きましょうぞ」
光秀の言葉通り、徳川軍2,800を加えた明智方の攻勢により、次々と足利方の城は門を開き、明智方の軍門に降る。足利義昭もただひたすらに逃げることしかできなかった。
その間に信長の播磨攻略も完了。対足利の逆包囲網も完成させていく。
そして天正6年(1578年)7月12日。足利義昭はついに降伏し、二条城を明智に明け渡すことを認めた。
信長の覇道は万事順調。
そのように、思われていた。
だが。
運命は、その日を迎えることとなる。
本能寺
「大義なり、キンカン。最も困難なる役割を任せることとなったが、見事果たしおった。さすがよの」
「有難きお言葉に御座いまする、弾正大弼様」
占領したばかりの二条御所を訪れた主君・織田信長の言葉に平伏する光秀。それを見下ろして、信長は実に嬉しげに笑う。
「この二条の地は貴様のものとする。引き続き京都から公方勢力を一掃せよ」
「御意に」
頭を下げる光秀の表情も、心なしかいつもよりもずっと柔らかなものに映り、彼が心からこの時間を愉しんでいるように、秀満には感じられた。普段は恐ろしい一面の多い主君ではあるが、これこそが彼の本来の姿のようにも思われた。
「フン・・・もしも儂が突然いなくなったとしても、貴様がおれば織田家も安泰と言えそうじゃの」
「何を仰る――」
突然の主君の言葉に、光秀は笑って応える。
「これほど個性豊かな面々の集まる織田家中が一つに纏まるは弾正大弼様あってのもの。私は弾正大弼様という太陽あって初めて輝ける月の如き存在に過ぎませぬ」
「ならば貴様が太陽となれば良い。そのキンカン頭が如きにな」
ハッハと笑う信長。光秀もまた、柔らかな笑みにてこれに応えていた。日々、戦と謀略に塗れた日常の中、ようやく人心地つける瞬間のようにさえ思われた。
それは信長にとっても同じだったのかもしれない。
「・・・ふう、流石に疲れたのう」
「左様。播磨攻めから取って返しての行程でしたからな。本能寺を御休息所として整備しております。そちらにて是非、お休みを」
「流石キンカン、抜かりないな。そのようにしよう」
光秀の言葉に従い、信長は本能寺に向けて最小限の供回りだけを連れて出立する。
秀満も饗応と近侍の為にそれについて行こうとするが、
「無用。貴様はキンカンの懐刀。次なる謀略に向けての準備に専念せい。いよいよ次は、朝倉を攻め滅ぼさねばならぬからな。本能寺では気兼ねなく過ごしたいが故、我の近習のみで十分だ」
という信長の言葉に従い、主君光秀と共に坂本へと戻ることを決めた。
そしてそれが、信長の姿を見た最後の瞬間であった。
同年7月21日深夜。
突如として、京都の中央に位置する本能寺が大火に包まれ、焼失するという事件が発生。
下手人は不明。襲撃があったとの報告も聞かれず、かと言って単なる失火とも思えず、何者かによる放火であることは疑いようがなかった。
いずれにせよ、焼け落ちた本能寺跡からは信長側近たちの焼死体が相次いで見つかり、その中には刀傷が垣間見えることから、多少なりとも斬り合いが行われた様子ではあった。そして、その主であるはずの織田信長の姿は――どこにも、見当たらなかった。
「――何?」
秀満の報告を聞き、光秀は信じられないというような表情を見せた。
「そんな馬鹿な。我々が引き上げた後も、京都内の警護は十分に整えてあったはず。一体何者が・・・」
そこまで言いかけて、光秀はすぐに表情をいつもの毅然としたものに切り替えた。
「――真実はともかく。我々がまず為すべきは、これが大いなる混乱に導かれぬよう尽くすのみだ。すぐさま全軍を京に派遣するぞ。治安維持と、敵方の襲来に備えさせよ。そして書状を発布し、諸将に参集を促すのだ。新当主・勘九郎様もな」
「承知!」
天正6年(1578年)7月21日。
この日を境に、歴史は大きなうねりを生み出すこととなる。
天下に最も近しい男・織田信長亡き後、果たして世の中はどのように変転するのか。
そして――明智の運命は。
次回、第三話「天正辛巳(しんし)の乱」編へと続く。
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