元亀2年(1571年)9月。織田弾正大弼信長は、浅井・朝倉・本願寺らによる信長包囲網を打開すべく、近江国滋賀郡に位置する聖山・比叡の焼き討ちという前代未聞の所業を果たす。
その後、この滋賀の地を与えられたのが明智十兵衛光秀。出自不詳で織田家への合流もその他の家臣団よりも遅いこの人物は、まさに実力だけであらゆる重臣を追い抜いて筆頭の存在へとのしあがることとなり、北陸路と東国路の交差点に位置する戦略的最重要拠点を任されることとなったのである。
そして、比叡山陥落により一時的に動きが鈍くなった包囲網陣営を打ち崩すべく、信長は浅井・朝倉に対する総攻撃を仕掛ける。
しかし、この包囲網に新たに加わったのが、戦国最強・武田大膳大夫信玄。
本願寺の要求に応え、彼らはついに織田・徳川連合軍に対する侵攻作戦、すなわち西上作戦を開始した。
この物語はここから始まる。
信長の窮地を幾度となく救い、その信頼を勝ち取り続けた右腕中の右腕にして、その最期をもたらし、彼の野望を永遠に失わせる結果を招いた史上最も理解不可能な謀反人。
明智十兵衛光秀。その全く新しい可能性の物語を、Crusader Kings Ⅲ 日本史MOD「Shogunate」を用いて描いていきたいと思う。
果たして、この世界の明智は、いかなる運命を見出していくのだろうか。そしてその果てにある、彼らの結末とは。
最後までご覧頂けると幸い。
Ver.1.11.3(Peacock)
使用DLC
- The Northern Lords
- The Royal Court
- The Fate of Iberia
- Firends and Foes
- Tours and Tournaments
- Wards and Wardens
- Legacy of Perisia
使用MOD
- Japanese Language Mod
- Shogunate(Japanese version)
- Nameplates
- Historical Figure for Shogunate Japanese
- Big Battle View
目次
第二話以降はこちらから
元亀騒乱
Crusader Kings Ⅲ 日本史MOD「Shogunate」は、非常に多くの年代ブックマークを有する。古くは源平合戦や南北朝時代から、室町時代中後期そして戦国時代終盤まで全部で38つ(2024.1.7現在)ものブックマークが用意されている豪華っぷりである。
その中でも特に充実しているのがやはり戦国時代。今回はその中の「信長包囲網」シナリオをプレイしていきたいと思う。
使用していくキャラクターは明智十兵衛光秀。年代的には1572年10月1日。すなわち比叡山焼き討ちの直後で、その功により明智が近江国滋賀郡を与えられたタイミングとなる。彼がプレイアブルになる最も古い年代がこのシナリオと言うわけだ。
よって、初期領地は滋賀郡のみ。それでも開発度は40と随一で、ルイス・フロイスに安土城に次ぐ天下第二の城と呼ばれただけあり、最初から城レベル9と恐ろしい性能を持った領地である。
外交状況としては、主君・信長が最初から2つの戦争に参加している状態。1つ目は包囲網の一角を占める浅井・朝倉・六角を相手取り、特にその浅井の本拠地である小谷城を攻め取らんと信長が攻勢を仕掛ける「元亀騒乱」。
2つ目がついに動き出した武田信玄による、徳川家康に対する侵攻戦「西上作戦」。史実における三方ヶ原の戦いへと繋がる戦役であり、ここでは武田が徳川に仕掛け、織田はその同盟国としての参戦という形を取る。
明智光秀はそのいずれの戦いにも、ゲーム上では直接参加はしていない。
だが、様々なメリットを考え、ここでは元亀騒乱への参戦を行う*1。
今回の物語はここから始まる。
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「殿、まずはどちらに向かいまするか」
明智光秀の重臣・明智左馬助秀満が尋ねると、光秀はゆっくりと顔を上げ、答えた。
「すぐにでも浅井・朝倉の本拠を攻めたい気持ちもあれど、彼らの兵力は我々のそれと比べても大きく、単独で立ち向かっては敵わず」
「故に、まずは小勢の六角より攻めるがよい。坂本からも近く、小谷城攻めの際に背後を突かれても敵わぬからな。本拠地の観音寺城を失い甲賀郡に追い込まれている彼らであれば敵ではないだろう」
「承知致しました。それでは一同準備致しまする」
「うむ、頼んだぞ。この戦いで我らが如何に活躍しうるかは非常に重要となる」
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戦争のメリットはいくつかある。自ら宣戦し、直接的な領土獲得などを狙う以外に、今回のように自ら協力する形で参戦を決める際のメリットである。
まずは領地占領の際の「戦利品」が非常に美味しいということ。占領時の戦勝点ボーナスは首都以外は一定だが、その際の優先順位は戦利品の高い方から選んでいくと良いだろう。
また戦争で勝利した時に得られる捕虜の存在である。賠償金の獲得はもちろん、有能な武将がいればぜひ登用しておきたい。
また明智光秀の場合、初期状態で拷問者ツリーを完遂しており、深淵を覗くのパークも手に入れているため、登用する者以外の成人済み囚人はとりあえずは「拷問」しておくのが良いだろう。武勇はともかく陰謀が上がっていくのは嬉しい。
あとは参戦時の貢献度合いによって最終的に得られる威信と主戦者からの評価ボーナス。今回、まずは信長に気に入られることが重要なので、この参戦は必要不可欠であった。
元亀4年(1573)2月22日に甲賀郡の石部城が陥落。六角軍は明智軍に敵わないと知るやすぐさま城を捨てて逃げ出していた。
その間に若狭の前河城を囲んでいた浅井軍1,000を、4,000の信長本隊が襲撃。朝倉軍も近くにいたがこれは逃げ出した。
この隙に、ガラ空きの小谷城を狙う。
いよいよ、明智光秀軍の、本格的な戦闘が始まる。
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「さしもの堅城。そう簡単には落とせなさそうですな」
浅井長政が居城・小谷城。天下最も強固な山城の1つとして数えられ、堅固かつ突破困難なこの城を前にして、包囲軍を率いる秀満が困ったように呟く。
「次右衛門を呼べ。こういった城攻めならばあやつが最も相応しい」
「は。直ちにそのように」
「殿」
談義する光秀と秀満の下に、光秀の重臣がもう1人やってきた。
斎藤内蔵助利三。秀満と並ぶ、光秀の側近中の側近であり、明智軍の軍奉行をも務める男だ。
「若狭より、弾正大弼様に敗れ敗走してきておる浅井軍200がこちらに向かってきているとの由。彼ら自体は数も少なく問題ないかと存じますが、その背後から朝倉軍の後詰めがあり得るかと思いますが」
「ふむ」
利三の言葉に、光秀は思案する様子を見せる。
「左馬助、お主はどう考える」
「――は。我が配下の密偵たちの情報では、朝倉軍の背後から弾正大弼様の本隊が迫ってきているとの話もあります。問題は、これが間に合うか否か」
「その通りだな。そしてそれは、貴殿らの働きにかかっておる。城攻めは次右衛門に任せ、左馬助、内蔵助、貴殿らはまず迫る浅井軍を早々に殲滅し、続く朝倉軍を迎え撃ち、そして弾正大弼様の本隊が来るまで持ち堪えて見せよ」
「御意に」
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浅井郡・小谷城の戦い。
まずは明智軍800と浅井軍残党200との戦い。
明智軍を率いるのは軍奉行の斎藤内蔵助利三。「弓の利三」と呼ばれ、精鋭弓部隊を率いる彼は、部隊後方より全軍を見渡し、適切に前線を支援する役割を果たす。
その前線を指揮する先駆け部隊の隊長は明智左馬助秀満。普段は光秀の右腕として知略・謀略を担う智将であるが、いざ戦場に立った際はその勇猛ぶりで右に出る者はおらず、「鬼左馬助」の異名で知られている。
この二人が中心となって浅井軍を蹴散らし、続く朝倉軍も数の上では劣るもののしっかりと耐え抜いていく。
やがて後方より織田本隊が合流し、形勢は完全に織田軍側に傾く。
最終的に4月15日にこの戦いは決着。
利三、秀満共に数多くの敵将の首を討ち取り、明智隊の勇猛さを家中に轟かせることとなった。
「キンカン、よくぞ働いた」
戦後、居並ぶ光秀と家臣たちを前にして、上機嫌な織田弾正大弼信長が笑いながら語る。
「貴様らが第一武功ぞ。あの浅井朝倉の軍勢を前にして、よくぞ逃げ出さず持ち堪えた。比叡山に続く大功じゃ」
「は――有難きお言葉」
光秀は平伏したまま応える。
「戦の中で捕らえし捕虜たちはいかが致しましょう」
「フン・・・貴様の好きにせい」
ニヤリと笑う信長。光秀もそれを受け、残忍な笑みを浮かべる。
「さて」
信長らが去った後、光秀は側近たちを引き連れて陣幕へと戻る。
「お愉しみの時間としようか」
光秀のその言葉に、秀満も利三も互いに顔を見合わせながら、覚悟を決めて付いていく。彼らにとっても、まだまだその時間は慣れるものでもなかった。
「――下野守殿。ご機嫌麗しゅう」
光秀の向かった先は、付け城の中に作られた簡易的な座敷牢。そこに、先の戦闘で捕えられた浅井長政が父・浅井下野守久政の姿があった。
「少しばかりご老体には堪える時間になるやもしれませぬ。ご勘弁を」
「フン・・・儂を見くびるなよ、若造。大方城内の設備や虎口の機密を探ろうという腹なのだろうが、儂とて主君・京極氏を追い出し下剋上を成し遂げた戦国大名の血筋。拷問などで割る口は持たぬ」
「ハッハーー何やら誤解されている御様子」
「何?」
この場に似つかわしくない陽気な笑いを挙げる光秀に、久政は怪訝な表情を浮かべる。背後の側近たちの陰鬱な表情もまた、不穏であった。
「拷問の結果、何か得られればそれはそれで良し。だが、我が真に求るは利益に非ず。ただ偏に、その肉を断ち、流れる悲鳴を聴く、その快楽のみにて候」
口の端を広げ、残忍な笑みを浮かべる明智光秀。その姿を見て、久政は自身のまともな生涯が今幕を閉じるのだと悟ったという。
「――下野守殿は結局口を割りませんでしたな。あれだけ脅しをかけたにも関わらず」
「何、捕虜は他にも多くいる。情報の価値は幾分下がれど、口はより軽くなるだろう」
秀満の言葉に、光秀は笑って答える。
「殿、あちらが例の男です」
利三が指し示す先、より頑丈に拵えられた牢の中に、その男がいた。
「貴殿が利三の勧むる御仁か。何でも、戦場では随分と暴れ回ったようで」
光秀の言葉に、その男は些かも衰えの見えぬ獰猛さをもって睨み返す。身長は六尺はありそうな熊のような大男で、筋骨隆々の中に知性を感じさせる瞳を宿していた。
「成程。単なる怪力自慢というわけではなさそうだ。我々明智隊には最適な男かもしれんな。どうだ? 我々の下で働くつもりはあるか? 名前は?」
「藤堂与右衛門に」
答えて、男は不敵な笑みを浮かべる。
「我はより稼げて出世できる隊を望むのみ。お主らは、織田家内で最も出世できる隊か?」
光秀も笑みで答える。
「保証しよう。我々は織田家内最強の部隊であると。そして、やがてそれを超える存在となることも」
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7月30日。ついに小谷城陥落。長政の姉マリア、息子の万寿丸、娘の茶々らを捕縛する。
これを受け、長政もついに降伏受け入れを受諾。小谷城を織田に引き渡す条件で講和と相成った。
ただ、問題はこれだけではない。
畿内にて浅井朝倉と争う間、東方では武田の侵攻により、徳川が苦しい状況に陥っていた。
これを早々に何とかしないと、織田徳川同盟も危機に瀕し兼ねない。
次なる敵は武田。その西上作戦を止めるべく、光秀は動き出す。
西上作戦
元亀4年(1573年)8月24日。
浅井朝倉との戦いを終え、本拠地の岐阜城に戻ってきていた織田信長のもとに、徳川家康の使者が訪れていた。
「此度は浅井朝倉家との戦勝、祝着至極に御座います」
徳川家家臣・石川数正。家康が今川義元の人質だった頃から近侍として仕え続けている重臣中の重臣。言葉・表情共に平静を保ちつつあるが、その床板についた両指が今にもそれを突き抜いてしまいそうなほど力が込められ、震えていた。
それは恐れにあらず。怒り、そして激情。この会談に主君と共に列席を許されていた秀満は、この場に漂う緊張感に思わず身震いを覚えた。
だが、これを受け止める信長はいつもと変わらぬ簡潔さと尊大さでもって応える。
「痛み入る。其の方も息災か」
あえて挑発するかの如き信長の言説に、数正の指先にもより一層の力が込められる。平静さを何とか保ちつつも震える声で、彼は続けた。
「昨年の師走の折に行われた設楽ヶ原の戦いにおいては、我らが徳川軍のみで武田を迎え撃ち、無惨にも大敗」
「その後本拠地の浜松城も落とされ、今なお掛川城をも包囲され、陥落は時間の問題となっております」
「――もはや、我々だけでは挽回能わず。このままでは一年も持たずして徳川は降伏。我が主君徳川家康自ら武田に靡くこともあり得ましょうぞ」
数正の言葉に、周囲を囲む織田重臣たちは色めき立つも、信長、そして明智光秀もまた、平然とした様子を崩さなかった。
「其の方の言葉、いちいち尤も。然して武田大膳の率いる軍隊の精強さ、我らが合流したとて、容易に打ち破れるものでもないであろう」
「――では、我々を見捨てると申すか」
前のめりになる数正。しかしそれを信長は手で制し、
「慌てるでない。戦いとはいくさのみならず。すでに武田に対する仕掛けは進めておる。のう、キンカン」
「仰る通りで御座います――左馬助」
主君に指名され、秀満は緊張しながらも前に出て、説明を始める。
「明智十兵衛配下にて、目付並びに諜報頭を務めさせて頂いております、明智左馬助と申します。弾正忠様のお言葉の通り、既に明智方にて昨年来動いており申す。すでに信玄公の乳兄弟である長坂釣閑斎殿にも接近し、信玄公の後継者たる四郎勝頼公の奥方も買収済み」
「さらには武田四天王が一角、高坂弾正殿もお味方に付く事が決定致しました。武田家内も一枚岩とはいかぬようです」
なんと・・・という声が織田重臣たちの間からもざわめきと共に漏れ出す。一級品の機密事項ゆえ、これを知っているのは秀満と光秀、そして信長くらいのものであった。数正も驚愕のあまり口を開けたまま固まってしまっていた。
「結果は間も無く――二月以内には出せましょう。それまで、持ち堪え願いたく」
秀満のその言葉は真実となった。
同年10月29日。戦国最強と謳われた武田信玄は、陣中でごくわずかに無防備だった瞬間を狙われ、誰かにやとわれたごろつきの連中の襲撃によって突如命を奪われた。
これを受けて武田家はすぐさま庶子・四郎勝頼を後継者として擁立。混乱する家内をまとめ上げようとするも、今回の暗殺に家内での協力者もいることが確実という中で、その足並みは中々揃いきりはしなかった。
そしてこの混乱の隙を狙い、織田・徳川連合軍はいよいよ反撃に出る。舞台となるのは、麁玉郡井伊谷。
12月14日。この麁玉の戦いは織田・徳川連合軍の圧勝に終わり、統率の取り切れなかった武田軍は総崩れとなって撤退した。
直ちに浜松城奪還に向けて包囲を開始。翌天正2年(1574年)2月9日にこれを奪い返した後、陥落していた掛川城にも急行。
こちらもわずか2週間程度で奪還するなど、まさに神速の反逆劇を繰り広げたのである。
さらに同年9月16日。今度はその勝頼の命も何者かによって奪われる。
武田家の家督は勝頼の子・信勝に受け継がれるも、幼少であること、そして先の信玄公の暗殺に続き武田家内での協力者の存在が決定的になったことで、国内はもはや織田徳川との戦争どころではなくなってしまった。
翌天正3年(1575年)1月26日。
武田家最強の武将・山県昌景が率いる武田軍2,800と、信長率いる織田軍3,400が城飼郡高天神にて激突。
しかしもはや多勢に無勢を押し返せるほどの士気もなく、途中徳川軍も合流したことで武田軍は再び総崩れとなり、敗北は決定的に。山県も囚われの身となったことで武田方に挽回の目はほぼなくなった。
そして同年8月10日。
ついに、武田降伏。
織田信長は人生最大の危機を乗り越えたのである。
そしてその最大の功労者が明智であることは、誰もが理解するところであった。
彼は直ちに信長に忠誠を誓うべく岐阜城を訪問。
信長もこれに気を良くし光秀を褒め称え、光秀の威信も大きく上がることとなった。
そしてこの機会に、光秀が信長の「摂政」となることが承認された。
こうして明智光秀は、名実共に織田家ナンバーツーであることが内外に示されることとなったのである。
織田家の伸長と共に大きく躍進する明智光秀。
その勢いは果たしてどこまで膨れ上がるのか。
そしてその野心の行く末、結末は――?
次回、第二話「京都騒乱編」へと続く。
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*1:西上作戦は主戦国が織田ではなく徳川のため参戦できず。徳川と同盟を結べば参戦可能。