ハンガリーである。
Europe UniversalisⅣ、最新パッチ1.21は「ハンガリーパッチ」と称されている。
その名の通りハンガリーのプロヴィンスやイベントが新たに加えられ、その他ボヘミアやオーストリアにも変化が加えられているようだ。
そもそもEurope UniversalisⅣとは、ハンガリーのためのゲームでもある。
何しろ、グランドキャンペーンの開始年月日は、1444年11月11日。これは、ハンガリーを含むキリスト教連合軍がオスマン帝国軍に大敗を喫したヴァルナの戦いの翌日であり、この戦いによって時のハンガリー王(兼ポーランド王)のウラースロー1世*1が戦死した。
Europe UniversalisⅣとはまさに、混乱を迎えたハンガリーの運命を描いたゲームなのである。
・・・もちろんその運命というのは、大体においては、オーストリアとオスマン帝国という二大強国に挟まれた悲運な国としての運命である。
史実では16世紀のモハーチの戦いで決定的な敗戦を迎えたハンガリーは、その領土の大半をオスマンに奪われたうえで、王位もハプスブルク家にほぼ独占されてしまった。
ハンガリーがハンガリーとして独立するのは20世紀を待たねばならない。
だから今プレイの目標としては、まずはこの2大国を打ち倒すこと。
そして、自らがこの地域の唯一無二の帝国であることを示す。
具体的には、
- 政体ランクを「帝国」にする
- 神聖ローマ皇帝になる
のいずれかを目指していきたい。
では、始めよう。
1.空位と摂政
冒頭でも述べたように、直前の戦いによって王が戦死したことで、1444年11月11日時点のハンガリーは「空位(Interregnum)」となっている。
君主点が全て0なので端的に言ってヤバい。
ちなみにこの状態でも「王家の婚姻(Royal Marriage)」は可能だったりする。・・・どうやって?
ただ、幸いにもゲーム開始からしばらくすると、大将軍フニャディ・ヤーノシュが摂政に即位するイベントが発生する。
能力値は(5/5/5)と超が付くほど優秀*2。
本来の王であるラディスラウス・ポストゥムスは現在5歳なので、10年後までは自分から宣戦布告ができないという制約がかかってしまう。
仕方ない。この10年はゆっくりと国力を蓄える期間としよう。
この10年間の間に、以下のような特別なイベントもおきている。
上ハンガリーの強盗団
1430年代から1440年代にかけてのフス戦争、そしてヴァルナの戦いの後、数多くの傭兵団が仕事を失いました。彼らはもはや、略奪と暴力によってしか生計を立てることはできませんでした。いくつかのケースでは、地方貴族たちがその権力基盤を高めるためにこれに関わっていることもあったようです。
この強盗団は地方の軍隊によって鎮圧されるでしょうが、その地域の経済に対するダメージは無視できないものとなるでしょう。
選択肢1「我々はこの強盗団を叩き潰すべきだ!」
→ スロバキア地方の全プロヴィンスの荒廃度*3が25上昇し、14連隊の反乱軍が出現する。なお、以後10年間にわたり、スロバキア地方の全プロヴィンスの荒廃度が月ごとに0.02減少するようになる。
選択肢2「地元の領主に任せてしまえ」
戦争で利用した傭兵たちが戦後強盗団になるというケースはそこかしこでよく起きている。その対処方法の妙が君主の腕の見せ所だったりもする。
今回はスロバキア地方での騒乱。地方貴族が関わっているというのが厭らしいところだ。
スロバキア地方にあたるプロヴィンスは5つあり、開発度の合計は43。これは全開発度の5分の1にあたる。宗教・文化も受容しているものなので、その価値はより高まるだろう。
しかし荒廃度がどんな影響を及ぼすかというと、主に商品生産量・人的資源の供給・船員の供給・Institutionの伝播速度を荒廃度1につき1%、その他プロヴィンスの補給限界や兵の移動速度、開発コストなどにわずかに影響を与える。
経済面に与える損害はさして大きくない。あるとして商品生産量くらいだが、これは交易圏のローカル収益に関わるもので、交易力の高くない初期段階において与えられる影響は非常に限定的(実際、月の貿易収入が0.02しか減少しなかった)。
それよりも暴徒鎮圧のためにコストをかけてしまう方が損失であると考え、ここでは「地元領主に任せてしまえ」の選択肢を取ることにする。
荒廃度は要塞のZOCに入っている場合はより早く回復する。ただし要塞のあるプロヴィンスには(他の要塞のZOC内でない限り)このボーナスがないため、回復速度はぐっと遅くなる。要塞のZOCに入っていれば10年を待たずに全回復しそうだ。
2.戦争開始
1455年になり、ラディスラウス・ポストゥムスが親政を開始。
よし、それでは戦争を開始するぞ!と思ったら・・・
ラディスラウスがいきなり死去し、ヤーノシュの息子フニャディ・マーチャーシュを新たなハンガリー王として即位させるか否かを問うイベントが発生。
「ドイツの王が一番だぜ!」の選択肢を選ぶとオーストリア大公を僭称するフリードリヒ3世がハンガリー王を兼務し、同君連合下に置かれてしまう。
よって、上の選択肢「マーチャーシュを王として選出する」を選ばざるをえない。
能力値は4/5/6と父に負けぬ優秀さ。
ただ1443年生まれは固定なので、1457年になるまでは摂政政治となってしまう。
ちなみに性格は全プロヴィンスの不穏度を2ポイント下げる「公正(Just)」。
これはおそらく、マーチャーシュが「正義王」と呼ばれていることへの対応だろう。
さて、せっかくのチャンスを再度の摂政政治に奪われるのも口惜しいので、イベントの選択肢を押す前に宣戦布告。
標的はワラキア公国。
ハンガリーの南東部に位置するワラキア公国は、オスマンとの防壁になりうる国家である。制圧して属国化しよう。
ちなみにハンガリーはナショナルアイディアで初期から騎兵戦闘力+20%を持っている。
そのため戦闘が白兵フェイズになった瞬間に敵軍を殲滅。敗残兵を残さず全滅させることに成功する。強い。
そうしてちょうど摂政政治も終わりそうな1457年9月3日。
ワラキアの全領土を制圧+略奪完了し、講和。
属国化と賠償金112ドゥカートの支払いを命じた。
ちなみに、属国化後にテメシュ(Temes)をワラキアに譲渡している。
要塞もあるプロヴィンスで、ここを彼らに保有させることで、オスマンに対する壁としての価値をより高める。要塞維持費勿体ないしね。
さらにワラキアを辺境伯(March)に任命。
併合が不可能になり、税収もなくなる代わりにワラキアに以下の軍事面での大量のボーナスをもたらすというもの。
普段はなかなか使わないシステムだが、今回のように大国への防波堤として属国を使用したい場合には最適だろう。
このあたりの戦略は英語版wikiを参考にしている。
1458年4月9日に、今度はボスニアに宣戦布告。同盟国のセルビアも巻き込む。こちらもバイエルン・ボヘミアに協力を要請。
1459年8月には全土制圧し、まずはセルビアと講和。
スメデレヴォ(Smederevo)・ブラニチェヴォ(Branicevo)の2州をワラキアに割譲させる。
ワラキアの強化を図ろう(とくにスメデレヴォは要塞付である)。
さらにボスニアとも講和し、ドニ・クラニ(Donji Kraji)州およびボスニア州を割譲させる。
両国から得られた賠償金の合計は583ドゥカート。
そのうち同盟国に配分し、ハンガリー自体は350ドゥカートを獲得した。
戦争はこれが美味しい。
さて、この後はオーストリアやオスマンに戦争を仕掛けたいところなのだが、ポーランドやヴェネツィアといった重要な同盟国が借金まみれで参戦してくれない状態である。
ので、タイミングが合うまで、暫く内政を進めたいと思う。
得られた賠償金で各種建築物を建てていこう。
ペストに寺院と市場、ポジョニ(Pozsony)*4に寺院を建てる。
戦後まもなく、「黒軍」創設をするかどうかを問うイベントが発生。
マーチャーシュ1世の軍隊
ハンガリー王国は強大な隣人に囲まれているため、しばしば強力な軍隊を必要とします。過去の戦いにおいて貴族たちはその軍勢を傭兵を雇うことによって補ってきました。
職業軍人である彼らは新兵器や新戦術をすばやく取り入れ、十分な訓練を受けている精鋭ではありますが、平和時においては盗賊となり果てる存在でした。マーチャーシュ1世は、ユリウス・カエサルの書物に影響を受け、常備軍の創設を構想しました。そうすることでこの軍隊は比類ない強さを発揮し、かつ略奪に走ることもなくなるでしょう。私たちの財政がそれを維持できるほどあれば、ですが・・・
選択肢1「我々の軍団は精鋭である」
→ 136.44ドゥカートを支払い、1821年まで永続的に「年間陸軍伝統+0.4」「傭兵の規律+10%」「傭兵の維持費+30%」「陸軍保有限界-15%」の効果をもたらす。また貴族の影響力-10。
選択肢2「お金では本当の忠誠心は買えない」
→ 「陸軍伝統+20」「50軍事点の獲得」「貴族の忠誠心+15」のボーナスを得る。
開発日記でも話題にしていた「黒軍」創設イベントである。
史実においてもマーチャーシュ1世が創設している。
ロマンを求めるのであれば採用したいところだが、現時点で資金は重要であること、そして傭兵維持費はできるだけ安く抑えたいことから、今回は選択肢2を選ぶことにする。貴族の忠誠心が高くなることで、マンパワー回復速度向上や陸軍維持費が削減されることも大きい。
3.ウィーン陥落
1468年3月。いよいよオーストリア公を僭称するフリードリヒ3世に宣戦布告する。
敵の同盟国は多く、こちらはポーランドなどが相変わらず借金を理由に参戦しようとしないが、すでにオーストリアがブルゴーニュと戦争していること、そして何よりフランスがこちら側について参戦してくれるので、勇気を出して開戦。
4年後に全土制圧。まったく問題はなかった。本当にフランスは強い。頼りになる。
1473年5月に終戦。マーチャーシュはウィーンを奪い取った。
(州の名前はBécsに変化したが)
このウィーン陥落、実は史実のマーチャーシュ1世も成し遂げている。
同時にボヘミア南部も制圧し、ハンガリーの最大版図を実現した王なのである。
史実でも1479年にオーストリア大公位を認められ、その支配権を得ている。
フリードリヒ3世などと言う、元々内オーストリア公でしかなかった僭称者はチロルの山の中にでも引きこもっていればいい。
ウィーン、そしてオーストリアの支配者はただ1人、ハンガリーの王マーチャーシュだけである。
オーストリアとの講和は1488年に解除される。
そこで再度のオーストリア侵攻を考える。
あるいは、ボヘミア王を僭称するイジー・ス・ポジェブラト追放を考えるのもいいだろう。
聖イシュトヴァーン、すなわちハンガリーの王冠を継承する唯一の大帝国の歴史が、ここから始まる・・・。