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【Victoria3プレイレポート/AAR】MOD『出版産業の興隆』で遊ぶ大英帝国RP重視プレイ 第4回(最終回) エドワード・マクフィーと財政再建、そして出版産業政策の見直し(1876年~1896年そして・・)

 

1856年に君主制を廃止して成立した「グレートブリテンおよびアイルランド連邦共和国」。

最初期こそ元女王ヴィクトリアとの約束により、その配偶者であったザクセンコーブルク=ゴータ公弟アルバートを与党・民主進歩党の党首および首相に据えたものの、直後に発生したクリミア戦争における戦費増大と多文化主義政策および社会福祉拡充政策の結果、国内に蔓延る「外国人」失業者の増大に国民の不満が拡大。

その不満を巧みに掬い取った扇動者ロデリック・マッキー民主進歩党を乗っ取り、そのまま絶大な国民人気を背景として首相に就任した。

国内のジャーナリストたちを丸ごと掌握し、かつ見事な経済手腕でもって国民の富を増大させることに成功したマッキーは4期16年に及ぶ長期政権を確立。

英国に「パクス・ブリタニカ」と呼ばれる繁栄の時代をもたらすこととなった。


だが、その栄光は永遠に続くことはなかった。

1874年に現れた「フェミニストカミーラ・バーテロットによる女性参政権運動は新たな国民の熱狂の対象となり、これを無理やり抑圧しようとしたマッキーは逆に国民の攻撃の対象となってしまったのである。

そして1876年。

マッキー政権5期目をかけた選挙が行われるはずだったその日、選挙権をもつ英共和国内の「国民」たちは投票を完全にボイコット。

前代未聞の、「投票なき選挙」が行われた衝撃的な日となったのである。

 

この結果を受け、マッキー政権は即日で総辞職を決断し、英国政治は混沌の時代へと突入することとなった。

 

この事態を収束すべく、立ち上がった男がいた。

元女王の配偶者であり、そして「共和国」初代首相であった象徴的な男、アルバート・オブ・サクス=コバーグ=ゴータ

そして彼の親友であり、同じく国家の危機に対し残りの人生と資本とを「投資」することを決断した「ユダヤ人」銀行家、ライオネル・ド・ロスチャイルド

 

共に、権力には興味はなかった。

ただ、愛すべきこの国の繁栄を守るため。

2人の「外国人」による、危機回避政権が発足した。

 

果たして、栄光の大英共和国はどんな未来を描くこととなるのか。

 

 

Ver.1.1.2(Earl Grey)

使用MOD

  • Japanese Language Advanced Mod
  • Cities: Skylines
  • Dense Market Details
  • Dense Trade Routes Tab
  • Improved Building Grid
  • More Spreadsheets
  • Visual Methods
  • Romantic Music
  • Universal Names
  • Historical Figuaes
  • Visual Leaders
  • ECCHI
  • Visible Pop Needs
  • Auto Convert Production Methods After Conquest And Annex
  • Japonism
  • Declare Interests Button on top
  • No red smoke
  • Extra Topbar Info
  • Anbeeld's Revision of AI
  • 出版産業の興隆

 

目次

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

過去のシリーズはこちらから

強AI設定で遊ぶプロイセンプレイ:AI経済強化MOD「Abeeld's Revision of AI」導入&「プレイヤーへのAIの態度」を「無情」、「AIの好戦性」を「高い」に設定

大インドネシア帝国の夢

大地主経済:ロシア「農奴制」「土地ベース課税」縛り

金の国 教皇領非戦経済:「人頭課税」「戦争による拡張なし」縛り

コンゴを自由にする

アメリカ「経済的支配」目標プレイレポート

初見スウェーデンプレイ雑感レポート

 

 

第2次アルバート内閣

思いがけず2度目の政権を手に入れることとなったアルバート公であったが、それはあくまでも、各派閥の権力争いの均衡状態の中で生まれた一種の緊急避難策でしかなかった。

そのことは彼自身もよく理解しており、ゆえに彼は最初の宣誓でこの政権は4年後の選挙までの暫定政権であり、そしてその証の1つとして、この4年間あらゆる立法や法の改変は行わないことを議会に約束したのである。

現実的には正当性が25%に達していないために立法が不可能というのがゲーム的な理由である。なお、この知識人と実業家の連立政権が最も正当性を稼げる組み合わせではあった。

 

この政権の目的はともかく4年後の選挙で確立される正当な政府発足までの間に共和国の統一を維持し、繁栄そして「国民」の幸福が損なわれないよう努力すること。

 

それはたとえば植民地や保護国での紛争に介入し、「世界の警察」たるイギリスの栄誉を守ることも含まれていた。

英国は幸いにも決定的な分裂を経験することはなかったが、その他欧州各地では国内の急進派との対立が武力衝突という形で現実化する場面が繰り返されることとなった。

保護国ポルトガルで巻き起こった革命において、女王マリア側についた英共和国は最高戦力をその鎮圧に投入した。

 

宿敵フランスも英国のこの混乱期を狙って、その植民地に隣接する怒れる先住民たちに密かに武器供与を行うなど暗躍。

ヨーロッパだけでなく中米の保護国でも革命が巻き起こったり、上記の通りフランスの密かな支援をうけたアフリカの先住民が次々と蜂起するなど、第2次アルバート内閣はその政権期間中、世界各地での戦争に苦しめられることとなった。

結果、財政も少しずつ悪化。また、政権内部の混乱に国民全体も不安感を抱き、急進派が体制派を上回るなど、少しずつ社会不安の高まりが見られるようになってきていた。

 

ゆえにこそ、一刻も早い政治の安定化は急務であった。

法律制定による抜本的な改革ができない中、何とか大きな混乱を引き起こすことなく4年の歳月を守り続けていたアルバート首相とライオネル・ド・ロスチャイルドであったが、1879年8月10日、ついにこの国に再び「政党」が現れるときが来た!

まず、民主進歩党は、20年前アルバート公が最初の政権を立ち上げた際に、それを支援してくれていたエドワード・マクフィー元帥が、その本来の「自由主義」を再び取り戻すべく再び立ち上がることとなった。

ローランドの炭鉱で働く労働者の家に生まれた貧しい彼であったが、グラマースクール時代に類稀なる才能を見出されてサンドハーストの王立軍事大学に進学。卒業後にヒュー・ゴフ元帥麾下の歩兵連隊に配備され第2次エジプト・オスマン戦争および第3次エジプト・オスマン戦争で従軍。戦果を次々と挙げ頭角を現し、1856年のクリミア戦争ではクリミア半島上陸およびセヴァストポリ要塞攻略の重大任務の総司令官を任され、見事これを成功させたことで国民的英雄へと成り上がった。現在でも労働者中心に幅広い層の国民に支持されており、彼もまた自らの出自でもある貧しい労働者階級に対し同情的であった。

 

さらに、ロデリック・マッキー政権時代にインド担当大臣に任命され、1871年東インド会社解散・インド併合推進の中心人物でもあった第3代ソールズベリー侯(当時はクランボーン子爵)ロバート・ガスコイン=セシルは、旧民主進歩党内の保守勢力を引き連れてイギリス・ファシスト党を結成。

1853年に23歳で保守党候補として初当選を果たし庶民院議員となったロバート卿は、根っからの保守・貴族主義的で反自由主義・反民主主義・選挙権拡大反対論者・ユダヤ人市民権付与反対論者でもあった。のちに保守党が解散し民主進歩党へ入党することになるが、その原点たるジョン・ラッセル卿に対する直接的な批判演説を議会で行ったことすらある。

 

さらに軍部が「前衛主義者」アダム・ブリッドポートを指導者として共産党を立ち上げるも、こちらはブリットボートが間もなく急死してしまったことをきっかけに自然消滅することとなる。

 

かくして、まともな政党が複数できたことにより、1880年2月1日に久方ぶりの正当な選挙が実施される。

その結果はエドワード・マクフィー元帥率いる民主進歩党の圧勝。

この結果を受け、アルバート首相は約束通り退陣。そのまま、政治家も引退することを決めた。

かつての盟友でもあったマクフィーは共に同じ目標に向かって戦う戦友となってほしいと慰留するも、アルバートは妻と共に余生を過ごすことが最大の楽しみであると告げ、最後に国家の命運をマクフィーに預けられることを誇りに思うと力強く語った。

 

かくして、混乱の果てに成立した共和国新正統政権たるマクフィー内閣の統治が幕を開ける。

 

 

マクフィー内閣

社会福祉政策と財政再建

首相に就任したマクフィーがまず手掛けたのは失業者対策であった。

マッキー政権の頃から問題視されていたこの問題について、マッキーらが選んだのは「共和国市民」を限定し、福祉を制限することで排斥するという解決策であった。

しかし同時に彼らは非差別身分の者が自由に住むところを変更できないという「移住規制」法を制定してもおり、結果、今なおロンドンの街には18万人、イーストアングリアには30万人、ローランドには20万人の失業者が溢れていた。

大英共和国内に住む360万人のフランス人のうち、2番目に大きいPOPがロンドンに住む失業者たちという状況になっている。


彼らの生活をできるだけ維持させるため、社会福祉政策を充実させていく。

まずは1880年5月6日に「老齢年金」法制定。これまでの伝統的な「救貧法」よりも福祉の対象を拡大させ、とくに働けなくなった一定年齢以上の国民には等しく年金を支払うことにより、彼らの人生をより豊かにすることを目指した。

 

さらに1880年8月4日には「公共健康保険」を制定。これまでは民間しか健康保険は存在せず、貧しい国民は医療サービスをほとんど得ることができなかった。それを見直し、国民が幅広く医療に預かれるようにしたわけである。


さらに1880年11月1日には「累進課税」法を制定。全階層から徴収する所得税の割合を低くする代わりに、株式を持ちその配当を得ている資本家や貴族たちからの「配当税率」をより高くするこの法律もまた、マクフィーが支持基盤とする労働者たちにとっては魅力的な法律であった。

 

これまでの民主進歩党のスローガンであった「自由、民主主義」に加えて「平等」の言葉を書き加えたマクフィーは、上記社会福祉政策の進展によって5,800万人の労働者や1万4千人の機械工たちからの支持を広く集めていくことに成功した。

 

一方で、この社会福祉政策が財政赤字を拡大していくことは間違いなかった。

これまではパクス・ブリタニカの恩恵を受け、常に莫大な黒字を記録していた財政が、一気に133万ポンド/週という巨額の赤字を生み出すことに。

この状況を打破すべく、次にマクフィーが手掛けたのは「財政再建」であった。

 

まずは賃金と武器購入のために106万ポンド/週もの支出を生み出している軍事費を削減すべく、マクフィーは1881年10月30日、「国民民兵」法を制定させる。

それまでは世界各地に40万人が配備されていた正規軍常備軍)を12万人にまで削減。代わりに予備役として置いていた145万の国防義勇軍(徴募兵)を、最大で320万人まで動員できるように法改正を行う。

当然これは軍部の激しい反対に遭うものの、彼らは今や弱小勢力であり、またクリミア戦争の英雄マクフィーによる決定ということで、最終的にはこれに従わざるを得なくなった。

 

そしてこれは同時に、これまでこの国が担ってきた「世界の警察」としての役割からの脱却を意味してもいた。

世界各国に送り込んでいた資金援助もすべて打ち切り、これまでの関税同盟や保護国を拡大していくという非公式帝国主義も終焉を迎えることとなった。

 

 

だが、まだまだ、赤字削減には不足が大きい。

次に手をつけるべきは、216万ポンド/週という莫大な赤字を生み出している公務員給与である。

かつての多文化主義政策、そしてパクス・ブリタニカの繁栄と直轄領の拡大によって、無際限に膨れ上がった英本土の人口(ロンドンは1千万人を突破)をカバーするべく、今や共和国内には246個の行政府が立ち並び、彼らに支払う給与だけで今や100万ポンド/週を突破しかねない勢いであった。

 

これをどうにかすべくマクフィー首相が手掛けたのは、「電話交換機の導入」である。

新たに導入されたこの新テクノロジーによって人的コストを圧倒的に減少させることで、より少ない行政府で連邦を維持できるようにする。

1890年時点では行政府の数は138個にまで削減しており、その給与額も57万ポンド/週まで縮小。

同時に港の数も削減し、インフラの確保を鉄道に切り替えるなど細かな財政改革を進めることで、公務員給与全体も110万ポンド/週と、6年前のほぼ半分にまで削減に成功した。

 

 

財政再建が一段落したところで、マクフィー首相は次の政策に取り掛かる。

それは、マッキー政権が進めていた非寛容政策、すなわち「共和国市民法」の解体である。

先だって1885年末に胃癌で亡くなっていた盟友アルバート公が、最期にマクフィー首相に託した「悲願」。

自らが支持基盤として置く労働者組合自体はあまりこの政策にあまり興味を持っていなかったが、連邦内の8万人超による政治運動の高まりを利用して審議を開始。

政治運動は非差別民や非編入州の人びとなど、政治的に疎外された国民も参加ができる。差別される民が多ければ多いほど、その差別を解体する法律への運動は高まりを見せ、反対も大きくなければこれを利用した法改正もしやすくなる。


1891年2月21日にはこれを制定。フランス人やボーア人など、ヨーロッパにルーツを持つ人々も「共和国市民」に含まれるようになり、彼らの職業選択や移動の自由も確保されることとなった。もちろん、「ドイツ人」や「ユダヤ人」にも。

さりげなく知識人の指導者がフローリス・ナイチンゲールになっている。

 

これらの政策の結果もあり、1892年選挙でもマクフィー率いる民主進歩党は圧勝。

先のマッキー政権同様、4期目に突入することとなったのである。

 

 

出版産業政策の見直し

と、ここで一旦、メタ的な話に入っていく。

前回のマッキー政権に続き、今回もまたこの「圧勝」状態が続いており、労働組合以外の勢力は軒並み1%以下の影響力に留まり、政党も作れないという異常事態。

これは当然、健全な状態ではない。

おそらく、MOD『出版産業の興隆』を導入したことによる何かしらの問題なのだろう、と思うが・・・

 

確認してみると、気付く。

「出版産業」施設が生み出す「識字者POPによる投票由来の政治力」が、あまりにも大きすぎるのではないか、と。

実際、この時点の民主進歩党が獲得している「選挙の投票の政治力」は360億ポイントに達しており、財力による7億5,400万ポイントが霞むほどの圧倒的数値。

当然この数値は政党に属さない他の利益集団には与えられておらず、これが民主進歩党一強状態を生み出す要因となっていた。

 

もう少し調べてみると、例えばロンドンに住むジャーナリスト(80万人)の住む政治力内訳は以下の通り。

財力(および首都補正)から得られる政治力(ここでは8,800万)とは別に、「投票数」が定められているが、そちらはどうやら「普通選挙」法による+20に加え、大英共和国内にある合計451個の出版産業施設から産出される+1,790という基礎値に対し、この80万のロンドン・ジャーナリストPOPが有する有権者34万5,635人が掛け合わされて「6億2,600万票」という投票数が産出されている。

僅か80万のPOP単体でこれである。そして、「出版産業」施設が存在しなければ、それは「691万2,700票」に留まるのである。

なお、1票=1ポイントの政治力として計算されるようだ。

 

この差は大きい。そしてこの差が、先ほどの「360億」の政治力に帰結する。上記から想定した単純計算だが、MODがなければこれは4億程度で収まるはずで、そうすれば財力による7億5,400万ポイントとのバランスも適切なものになりそうである。

 

 

もちろん、これは今回のイギリスが451個などという異様な数の出版産業を建てているからではある。

しかし建てても建てても利益率90近くを叩き出す優良施設だけに、列強ならば普通にプレイしていればそれくらいは建ててしまうのは必然。

利益率の原因はAIがあまり建てないことであり、たとえば「大衆紙」についてはイギリス共和国単体で18万ユニットを生産しており、2位フランスの120倍。世界シェアのほぼすべてをイギリスが単体で占めているという状態である。

それもあり関税収入は前回でも示した通りだが、さらに言えば配当税収入においてもずば抜けており、バランスブレイクを生み出してしまっている。

普段の利益配当税の主人公たる取引所は14万で留まっているのに対し、出版産業は158万と文字通り桁が違う。

 

諸悪の根源は出版産業にあり。

と、いうことで、早速国内の出版産業を大量に破壊していったのだが・・・

 

一度、1895年まで進めた段階で出版産業を266まで減らしたところ、あまりにも性急過ぎたためロンドンやバーミンガムで200万人超の失業者が発生。国内全体でも有業者人口以上の失業者で溢れかえるという事態に。

結果、1千万超えの福祉の支給が生まれるという事態に陥り、そのまま破産コースへ。


こちらは完全に詰んでしまったため、1892年2月1日からやり直すことにする。

失業者数、ひいては福祉の金額に気を使いつつ、少しずつ出版産業の数を減らしていく!

政治のダイナミズムこそがこのゲームの最大の魅力だと思っており、それが失われてしまう事態は、何としてでも避けねばならないのだ。

 

 

仕切り直しの最初の仕事は、「出版産業」施設の基礎製法を「報道写真」から「イラスト」へ。それだけで「識字者POPによる投票由来の政治力」を半減させることができる。

ジャーナリズムの退化だが、仕方ない。


さらに、無線の技術取得後に「電気産業」施設の製法を「無線機生産」に変更。

普段は弩級戦艦や工作兵など軍事で需要の出ることの多い無線だが、今回のMOD『出版産業の興隆』で追加される新しい需要「ニュース」においては、「高級紙」の1.3倍の需要を生み出す商品となっているのだ。

よって、各地で無線機生産を開始したと同時に膨れ上がる無線機の需要。普段のプレイではまず見られない光景だ。

これで、高級紙の生産量が減少してもそのニーズを賄うことができるようになる。
但し、「大衆紙」の持つ「ゴシップ」需要や、ポップアートの持つ「ポップアート」需要はあまり代替が効かないためこのあたりは不足がちになるが、まあそれは仕方ないだろう。

しかしラジオの普及と共に少しずつ新聞紙が読まれなくなっていき、読まれるのはゴシップが中心の大衆紙というメカニズムは実に面白い。

こういう、どちらかというとフレーバーな部分が充実しているのがこの『出版産業の興隆』の魅力である。

 

かくして1896年2月1日。マクフィー首相の5期目を決める選挙が行われ、今回もまた民主進歩党のみの選挙で当然得票率100%となる。

しかしその投票数は4年前の368億から大きく減少している。方向性は間違っていない。このまま少しずつ出版産業を減らしていこう。

 

さて、最後にもう1度、ロールプレイの方に戻っていこう。

それもまたゲーム的な課題を解決するための方策ではあるが、結果てきにマクフィー首相はある重大な「決断」を成し遂げることとなったのである。

 

 

全インドの父

軍縮、公務員改革などを進め財政再建を成し遂げてきたエドワード・マクフィー首相。

5期目を迎え、齢70も後半に差し掛かってきたとき、彼はとある「決断」を果たすこととなった。

 

それは、第一義的には手を尽くしながらもなかなか減らない失業者たちと、彼らのための福祉による財政への大きな負担の継続への対策であった。

当初100万超存在したロンドンの失業者はそれでも73万程度にまで縮小させていたし、順調に産業は発展させていたものの、たとえば北ベンガルと南ベンガルで合わせて700万人の失業者がおり、グジャラートでは176万人、ハイデラバードでは199万人の失業者が溢れかえっていた。

MOD「More Spreadsheet」である程度まとめて失業者数を比較確認できるが、もう少し確認しやすい方法ができると嬉しい。

 

もちろん、これらの土地が大英共和国の直轄領である以上、彼ら失業者たちにも福祉は与えられてしまう。

そこで、マクフィー首相は決断する。

 

1896年3月17日。

インド地域にて11か国の独立を承認。大量の葡萄畑が広がる中心都市デリー、そして英国人のための紅茶畑が広がるアッサムなどの一部の例外はあるものの、北インドから南インドにまたがる広い地域のインド諸侯が、大英共和国の保護国という形で独立を果たすこととなった。

なおも英連邦の関税同盟下には入ってもらい、その市場に商品を供給し続けてはもらうものの、これまでのように英国本土の需要を満たすためのプランテーション増築しか許されないというような事態はもはやない。彼らは国家としての自由を完全に手に入れたのである。

 

かくして、1896年は「インドの年」と呼ばれることとなる。そしてこれを成し遂げたマクフィー首相は「全インドの父」と称され、英国人からも広く慕われる存在となった。

慈愛に満ちた表情と落ち着き払った言動は、次第に国民からまるでこの国の「王」であるかのように愛され、親しまれるようになっていった。

 

そしてもちろん、この政策の本来の目的も十分に達成させられることとなった。

 

 

これまでは英国本土の需要を満たすためのプランテーション経済を中心に進めていた彼らインド人たちに自由を与える一方で、大英共和国の福祉の輪からは外れてもらう、そういった政策である。

その結果、1896年時点では11か国が独立。なおも英国の関税同盟下には入ってもらい、市場に彼らの商品を供給はしてもらうものの、国家としての自由は完全に手渡すこととなった。

3500万人以上いた失業者数は一気に2,630万に縮小し、「福祉の支給」も100万以上減少し481万にまで抑制された。

 

マクフィーは理想と現実とを共に見据え、完璧な統治でこの国に2度目の「パクス・ブリタニカ」をもたらしつつあった。

 

 

しかし、それを打ち破る瞬間は、突如やってくる。

1897年1月21日。

大英共和国の同盟国であるアメリカ合衆国が、オーストリア帝国の勢力圏内にある北アフリカの土地を狙って動き出したとき、アルジェリア宗主国であるフランスもここに介入。

アフリカを2分する英仏2大国が、ついにその長き平和の時を打ち破り、戦火を交える時が来たのである。

 

第5回に続く。

 

 

 

 

・・・と、思っていたが、このあと結局、出版産業を0にしても得票率100%の与党の強固さは揺るがず、段々とロールプレイングもなくひたすら失業者を減らして赤字を減らす苦労を重ねていくだけの作業ゲーとなってしまったので、オープンベータを目前に控えたタイミングで筆を置くこととした。

 

最後にゲーム終了した1909年までのダイジェストで締めくくろう。

 

 

1896年~1909年のダイジェスト

まずは対フランス戦に関してだが、基本的に世界各地でフランス植民地と接している地域(コンゴ南アフリカセネガルカリブ南インド(ポンディシェリ)、インドシナシンガポール)、イベリアジブラルタル))で将軍を雇用して、現地の徴兵を行って兵を確保。これらの戦線で攻勢を仕掛けた。

国民民兵の強みは基本兵舎を建てる必要がないため、行政力に余裕があればひたすら世界中に現地戦線を心置きなく作りやすいというのがある。

さらに清もオーストリア側についたことで敵に回ったため、香港でも36大隊を徴兵し「測量士」持ちのベンジャミン・ロックヘッド准将を雇用して死守命令を下す。香港のインフラはわずか60しかないため、数的不利でも防御有利に進められるはずだ。

さらに北インド戦線にも兵を張り付けて中国側への清軍を狙う。

 

激戦地は2つ。

1つはやはり香港。ここには清軍33万とオーストリア軍45万とが集まって奪おうとしてきているが、これをロックヘッド准将2万とアメリカのジョージ・アームストロング・カスター少将の3万で死守。

ロックヘッド准将はアメリカへの力も借りながら徹底防戦を試みている。

もう1つの激戦地が西インド諸島

こちらには墺仏清合計22万の兵が攻め込んできており、これをアシェル・チザム准将の2万の兵で防衛している状態。

1897年5月13日。香港での決死の防衛線は21日間の戦いを経て見事ロックヘッド准将が勝利。

同様に西インド諸島で繰り広げられていた「カストリーズ防衛戦」では、チザム准将が10倍のキルレシオでオーストリア軍を下した。

その間にアンゴラにあったフランス植民地は制圧完了し、西アフリカ戦線も順調である。

と、思ったら清が英本土に上陸している!

慌てて本国で全土徴兵を行い、インドに派遣していたゴードン元帥を呼び戻す。その間に本国では新しくブロガン准将を雇用して防衛に当たらせる。

いやしかし、まさか清がやってくるとは・・・アヘン戦争の屈辱を晴らすべく、といったところだろうか。

敵連合軍もここぞとばかりに兵を集めてきている。こちらも余裕のある戦線の兵は最優先で本土へと帰還させていく。

1897年7月17日。

本土上陸で慌てふためいている中、何と大陸では普仏戦争が勃発。フランス軍が海外に気を取られている間に、その横腹を破りにきたようだ。プロイセンと英国とは決して仲は良くはないが、ありがたい。

1897年8月7日。

なんとかロンドンは解放。

イギリス海峡ではエワート・マクウィリアム提督による輸送船団破壊で敵の補給網を壊滅させようと試みており、ここにフランス海軍が妨害に来るものの、撃退する。

フランスは完全にこちらとの戦いに全力を投じているようで、横槍を突いてきたプロイセン軍に対しては全く帝国せず、1898年1月23日にはその本土全土を占領されている。

1898年3月6日にはついに降伏。

フランス軍にはアメリカへの上陸もされていたため、この降伏によって随分と楽になる。

と、思っていたら1898年3月19日にはアメリカでも革命が発生。東西に二分される。

持ちこたえてくれ・・・と願っていたがその想いは届かず、1898年4月17日にアメリカも降伏。

もはや戦う意味を喪失した英国は、オーストリアの要求する「へレロランド返還」を受け入れ、1898年6月14日に「ウィーン条約」を締結。

わずか1年だったが濃密だった「四大陸二大洋戦争」は終結する。

 

戦後は1899年7月30日に、19年間という長期政権を築き上げたエドワード・マクフィー首相が79歳の生涯を終える。

新たな民主進歩党党首、そして首相となったのはヘンリー・キャンプベル=バナーマン

史実でも1899年から自由党党首を務め、1905年から1908年にかけて首相を務めた「イギリスで最初で唯一の急進的な首相」である。

その史実通りの「急進主義者」である彼は、引き続き民主進歩党を牽引。

結果、出版産業施設が0の状態でも100%の得票率の効果はすさまじく、なお150億の得票数を得て他を圧倒。

労働組合すべての政治勢力を非主流派に追いやる極端な政治情勢は変わることはなかった。

 

 

この後、急進主義者ではない首相が登場すればまたカオス状態となって政治は常軌に戻ることになるだろうが、ここまでですでにロールプレイングはほぼできない状態となり、ひたすら失業者を潰すだけの作業ゲーとなっていたため、終了。

今回は完走したかったが・・・残念。

オープンベータ開始直前なので、ここで筆を置くこととする。

 

 

 

さて、今回紹介したMOD『出版産業の興隆』だが、最後に書いた通り政治周りでは改善すべき問題を抱えているとはいえ、想定以上に細かなイベントも多く非常に魅力的なMODだったように思う。

今後も更新・改良を続け、より魅力的なMODへと進化し続けることを願う。そのうちまた、別の国で、ぜひプレイしてみたいと思っている。

 

 

Victoria3も発売から3か月ちょっと経ち、最初期版の宿命ゆえの単調さとバグの多さ、ゲームの重さなどで早速プレイヤーも離れているように思う。Ver.1.2は目前だが、最初のDLCが出るあたりまでは暫く、発売直後の熱気は戻らないように思う。

とはいえ、個人的にはやはりこれまでのパラドゲーの中でも特にヒットした作品であるのは間違いなく、これからもこの界隈が盛り上がり、より多くの面白いMODが生まれていくことも願っている。

 

とりあえず次回はオープンベータを試すプレイもしてみたいと思う。

よければぜひ、ご覧になっていただければ幸いです。

 

 

では、さようなら。

 

 

 

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