18世紀末、ナポレオンによる侵攻でネーデルラント連邦共和国は崩壊した。
最後の総督オラニエ公ウィレム5世は息子のウィレムと共にイギリスに亡命し、その後もプロイセン軍に混じってフランス軍と戦うが、1806年に祖国解放を果たせぬまま異国の地で没する。
ナポレオン失脚後の1815年に開かれたウィーン会議では、フランスの北に強力な緩衝国家を作ることを目的として、旧ネーデルラント連邦共和国と南ネーデルラントとを合同した立憲君主国ネーデルラント連合王国が作られ、ウィレム5世の息子ウィレムが、その初代国王ウィレム1世として即位した。
「商人王」とも称されたウィレム1世は商工業の発展と共に南北ネーデルラントの統合にも力を尽くすが、その願い虚しく1830年にはベルギー独立革命が勃発。
ネーデルラントは再び南北に分裂してしまった。
1836年。
国王ウィレム1世はすでに64歳を迎えており、晩年に差し掛かっていた。
未だベルギーの独立を認めてはいないが、事実上はどうしようもなかった。
南米やアフリカ、東南アジアに広く植民地を持つものの、その勢力は英仏に比べればはるかに小さく、かつての海の帝国は今や見る影もなかった。
このまま、この国はヨーロッパの小国のまま歴史に刻まれてしまうのだろうか?
いや、そんなことはない。
この国は、未だ世界の海を統べる力を持ち、かつてのように英国の王権を支配する可能性すら残っているはずだ。
大英帝国ならぬ大蘭帝国。パクス・ブリタニカならぬパクス・ネーエルランディカ。
今こそ世界に名だたる大帝国を! そして世界の海に、オレンジの旗を靡かせようではないか。
~ゲームルール~
- 「プレイヤーへのAIの態度」を「無情」に
- 「AIの好戦性」を「高い」に
Ver.1.2.7(Hot Cinnamon Spice)
使用MOD
- Cities: Skylines
- Historical Figures
- Japanese Language Advanced Mod
- Japonism
- Romantic Music
- Universal Names
- Visual Leaders
- Improved Building Grid
- More Spreadsheets
- Expanded Characters & Commanders of Historical Importance(ECCHI)
- Declare Interests Button on top
- Extra Topbar Info
目次
第2回以降はこちらから
これまでのプレイレポートはこちらから
強AI設定で遊ぶプロイセンプレイ:AI経済強化MOD「Abeeld's Revision of AI」導入&「プレイヤーへのAIの態度」を「無情」、「AIの好戦性」を「高い」に設定
金の国 教皇領非戦経済:「人頭課税」「戦争による拡張なし」縛り
初期政策
1836年当時の君主はウィレム1世。ネーデルラント連邦共和国最後の総督であるウィレム5世の嫡男である。
彼は商工業者たちの力を借り、国家の繁栄を追求し続けたがゆえに「商人王」と称されたが、その事実を反映してか、初期の「重商主義」政策の下、ホラントに40個設置された取引所を支配する「商店主」POPが最も力を持っている。
その「商店主」が支持を集める小ブルジョワ勢力が初期状態で30%弱もの影響力を持っており、ウィレム1世自身もその小ブルジョワ勢力を支持基盤としているため、後進国における地主のような存在となっている。
彼らもまた、地主ほどではないが改革を拒む保守的勢力ではあり、少しずつその力を解体していくことが、オランダの政治的な初期戦略となるだろう。
経済面について確認していくと、初期状態のオランダはホラント、ヘルレ、フリースラントの3州を直接支配し、その他植民地として南米のグアヤナ、そしてアフリカのガーナを領有している。
初期状態で280万ポンドのGDPを所持し、列強ではないもののランキングでは9位と、スウェーデンや両シチリア王国を超える力を持つ。
技術もTier1は3分野とも制覇しており、成長へのポテンシャルは十分秘めている準列強である。
とは言え、石炭こそヘルレで得られるものの、その他の鉄も硫黄も鉛もこの5州からは得られない。
と、言うことで最初から植民地搾取の法律を持っていることを活かし、すぐさまニジェール地方に関心を付与。セネガル地方のウィンドワード・コーストと、関心付与後にニジェール地方のトーゴに植民地を創設する。それぞれ鉄、硫黄を得るためだ。
技術はこの植民をより促進すべくキニーネに一直線。
あとはホラントに建設局を1個と工具工房の生産を開始。続いて家具・縫製工場など、実業家集団の力を高めるための基本的な製造系施設を増やしていこう。
しばらくは、内政に注力するほかない。近い将来狙いたい隣国ベルギーもイギリスから「保護」対象とされており、手を出すことはできない。
ぬくぬくと数十年にわたる内政期間を過ごすことにしよう。
と、思っていたのもつかの間、早速、「AIの好戦性:高い」設定の洗礼を受けることとなった。
西蘭戦争
1841年6月23日。突如、スペイン王国がオランダの自治領であるオランダ領東インドに対し、その傀儡国であるティドレの領土を要求。
オランダとしては正直関わりたくはないのだが、当然これを無視してしまうとオランダ領東インドが独立してしまう。
常備軍7万、徴兵3万6千の実質陸軍10万超。海軍は20隻。
オランダが常備軍2万+徴兵8千で海軍20隻であることを考えると、十分に恐ろしい相手。
加えてポルトガルもスペインに便乗してこちらに敵対してしまった。
さあ、これにどう対抗するか・・・。
と、言うことで以下の戦略を検討する。
まず、インドネシア戦線はオランダ領東インドに任せる。オランダ領東インドは本国と違って常備軍+徴兵で10万超の兵を持ち、単独でスペインに対抗することは十分にできるだろう。
彼らがインドネシア戦線でスペイン軍を引き付けている間、オランダはスペインの傀儡国であるキューバを狙う。
スペイン本国への上陸はとてもじゃないが不可能なれど、常備軍+徴兵で1万2千しか兵を持たないこのキューバであれば上陸・征服は十分可能なはずだ。
よって、「キューバの移譲」を戦争目標にして10月11日に開戦。これでキューバを征服してしまえばあとは防戦だけで勝利できる。
開戦直後、早速キューバに上陸戦。
25%もの上陸ペナルティがついてしまっているが、副次製法を「騎馬砲兵」に変更し、「検閲」を審議だけして軍部の支持率を上げ「愛国熱」のボーナスを獲得するなどやれることをやってなんとか勝利する。
インドネシア戦線ではオランダ領東インド軍がスペイン軍を押し込んでいる。
Ver.1.2からAIも本国への上陸戦を警戒し、本国に兵を残すようになったため、今回もスペイン軍10万のうち半数程度しかインドネシア側に送り込めていないことも、彼らが苦戦する要因となっているだろう。
これを支援するべく、ジブラルタル海峡にてスペインの商船破壊を敢行。
妨害にやってきたスペイン海軍に対しても、しっかりと迎撃を成功させていく。
軍艦の数は20隻同士と互角だが、オランダ軍のエンヘルベルトゥス・ルーカス提督は「艦隊指揮専門家」特性持ちで有利になれると踏み、見事成功させた形だ。
なおこのルーカス提督は史実人物であり、この時代では史実でも東インド会社のオランダ海軍司令官を務める。
のちに海軍大臣となっているようだが、このゲームの中でも戦後、その活躍を認められ軍部の新指導者となった。
その後、無事キューバを全土制圧。
そして1842年10月26日にまずはポルトガルが降伏。
これでポルトガルが持っていたインドネシア領土を失ったスペインは侵攻のための橋頭保を失った形となり、停滞。
これ以上どうしようもなくなったスペインは、ついにキューバを諦めて12月27日に降伏した。
最初の危機を無事乗り越え、植民地を増やすことに成功したウィレム1世。
しかし、彼の本来の悲願であったネーデルラントの統一は果たせぬまま、ついにそのときを迎えることとなってしまった。
ウィレム2世の改革
1847年1月31日。
史実より4年遅れで、「商人王」ウィレム1世は崩御する。
後を継いだのはその嫡男であるウィレム2世。
史実では自由主義派の要求する王権を制限する憲法改正を認めた彼は、ゲーム中でも「知識人」勢力を支持基盤とする「改革論者」として設定されている。
さらに「カリスマ的」エンゲルファールト首相が亡くなり、後継者となったのは「傲慢」な平和主義者ヘンドリック・ダーンデルス。
さらに「完全分離」制定のための審議中、この小ブルジョワ勢力が内部分裂を引き起こし、新たな派閥を形成。それが知識人勢力に合流するという事態が発生する。
この出来事を利用し勢力を拡大した知識人集団――自由主義連合は、小ブルジョワ勢力を中心とした農業党に対し、1851年選挙でついに勝利する。
さらに実業家集団の指導者も「改革論者」のカレル・カーターとなり、同じイデオロギーを持つ国王ウィレム2世と手を取り合って改革を進めることに賛同。
小ブルジョワ率いる農業党を政権から追放し、自由主義連合・自由貿易党による「自由主義改革連立政権」を形成する。
まず手掛けたのが「自由貿易」の制定。
この自由貿易を制定することによって、取引所の所有権が商店主から資本家と事務員に明け渡される。
商店主たちの力が失われることにより、彼らを支持基盤とする小ブルジョワ勢力の弱体化が図れるというわけだ。
1853年9月20日に無事これを制定。
さらに続いて「改革論者」たちが好む「女性の財産権」などの制定へと向かっていく。
「自由主義者」ウィレム2世による、「商人王」政治からの脱却、そして先進的な改革を突き進めていく。
そしてその改革の途上にて、ウィレム2世は、父が果たせなかった「悲願」の実現へのチャンスを、唐突に手に入れることとなった。
統一戦争
それは最初から狙っていたわけではなかった。
相変わらずイギリスがベルギーに対して「守護」の姿勢を持っている以上、オランダから彼らに手をだすことはまず不可能であった。
一方、いつまでも初期領土のままでは成長の可能性がないことも熟知していたカーター首相は、とある国へと目をつけることとなった。
それは、先の西蘭戦争にてスペインと共に牙を剥いてきたポルトガル王国。
このポルトガル王国に対してはどの国も「守護」姿勢を持たないという、大きなチャンスの瞬間を迎えていた。
連立政権を構成する自由主義連合の党首ガブリエル・ストックーゼンは「平和主義者」であり、カーター首相が進めようとしていた戦争へは反対の姿勢を示していた。
しかしカーター首相は海軍大臣のルーカス提督、そして陸軍大臣の「好戦主義者」アンドレアス・ヴィクトル・ミシェルの支持を背景に、国王ウィレム2世の承認も取り付け、着々と戦争への準備を進めていった。
1854年4月1日。
オランダ王国はポルトガル王国に対し、先の西蘭戦争に対する賠償金支払いが行われていないことを非難。その免除と引き換えに、オランダの自治領となることを強く迫った。
もちろん、ポルトガルはこれを拒否。そもそも、先の戦争で賠償金を支払う約束などしていなかったと――そんな「理屈」は、19世紀の外交世界においては当然、通用するわけはなかったのだが。
列強諸国はこれを黙認。スペインもまた、かつての同盟国を助けることはしなかった。
だが、1国だけポルトガルの悲痛な叫びを受け取る国がいた。それは、オランダへの強い対抗心を持っていた国――ベルギーであった。
未だベルギーの独立を認めず、その領土を狙い続けているオランダに対し、屈辱を与え事実上の国家承認を強制させることを狙うベルギー。
良いだろう。
そっちがその気なら、こっちも全力で挑む。
全土で徴兵を開始し、国家総動員にて悲願の「統一戦争」を開始する。
なお、開戦に先立ちベルギーの兵舎を確認したところ、ベルギーにはすでに「榴散弾砲」が配備されている様子。マジかよ! こっちはまだどのカテゴリもTier3に到達できていないのに、なんでそんなに技術が進んでいるんだ?
ただ、ベルギー市場は弾丸不足に陥っており、このままなら時間と共にその能力が減衰していくことは間違いない。
イギリスがそのベルギーに弾丸や小火器を輸出しているようなので、これにより弾丸不足が改善されないよう、イギリス海峡にルーカス提督を派遣し、その交易を破壊しにかかる。ついでにポルトガルからの派遣軍の弱体化も狙えるだろう。
この作戦も成功し、弱体化したベルギー軍を蹴散らしながらオランダ軍は連戦戦勝。
この戦果を受けて国内でも愛国心が強烈に高まり、戦争に反対していた「平和主義者」の知識人指導者ストックーゼンや小ブルジョワ指導者ダーンデルスらは皆一様に批判のやり玉に挙げられる事態に。
その後もリエージュ、ナミュールといった要衝を巡りいくつもの戦闘が行われていき、ときに反撃を受け奪い返されることもありながらも、最終的に1855年7月11日にベルギーは降伏。
残ったポルトガルは敵ではなく、上陸作戦の末に1855年12月26日にポルトガルも降伏。
これでオランダはネーデルラント全土の統一という悲願を成し遂げ、かつポルトガルの植民地すべてを傘下に置く「海上帝国」の復活を実現させたのである。
父の死を受けて即位してから10年。
ウィレム2世はその悲願を実現させ、さらには国内の改革を強力に進めることに成功した。
だが、まだまだ改革は道半ば。そして、「大英帝国」とはまだ比較にならないほどの差が残っている。
ウィレム2世はまだまだ走り続ける必要があるだろう。
第2回へと続く。
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収支および各職業別政治力推移(1836⇒1856)
ベルギーの獲得と人口の多いニジェール・デルタ植民地の獲得によって人口は約4倍、そしてGDPは7倍と急成長を果たした。ポルトガルとキューバからの「上納金」(外交協定による利益に含まれる)も大きな収入となっている。
この20年間で大きく変わったのが商店主の弱体化と資本家の強化。これがそのまま小ブルジョワ勢力の弱体化と実業家集団の強化につながっている。最終的には自由貿易の制定とそれによる取引所の所有権変更が決め手となったようだ。
第2回へと続く。