四国を統一した長宗我部元親、そして足利将軍を追放し畿内に新たな政権を打ち立てた織田信長。
元亀3年(1575年)に一度矛を交えるも、この両雄が再び激突することは時間の問題であった。
かくして天正2年(1582年)。
信長の毛利領侵攻をきっかけとし、元親が主導で形成していた「信長大包囲網」が発動。
対する信長も浅井、そして武田といった強力な大名たちとの同盟に基づき応戦し、9万vs9万の大規模な東西大乱が幕を開けることとなった。
この戦役は、二つの大きな戦い、すなわち大坂本願寺合戦と竜田の戦いにおける、包囲網軍側、とくにその中心人物である元親の活躍と異様な軍才により、包囲網軍側が圧勝する事態に。
最終的に京南部、桃山丘陵の伏見殿にて開かれた信長・元親による会談の結果、京を含む畿内中心部はすべて長宗我部家が領有し、また織田・浅井両家から人質を取ることが決まったのである。
こうして、畿内は元親による支配の下、平穏を取り戻したかのように思われていた。
だがそれは、新たなる戦いの序章に過ぎなかった。
舞台は、新たなる地へ。
そして、まだ見ぬ激戦へと、長宗我部家を導いていく。
目次
※ゲーム上の兵数を10倍にした数を物語上の兵数として表記しております(より史実に近づけるため)。
Ver.1.12.4(Scythe)
Shogunate Ver.0.8.5.5(雲隠)
使用DLC
- The Northern Lords
- The Royal Court
- The Fate of Iberia
- Firends and Foes
- Tours and Tournaments
- Wards and Wardens
- Legacy of Perisia
- Legends of the Dead
使用MOD
- Japanese Language Mod
- Shogunate(Japanese version)
- Nameplates
- Historical Figure for Shogunate Japanese
- Big Battle View
- Japanese Font Old-Style
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夢の道標
天正6年(1586年)7月19日。
30年にわたり、激動の戦国時代を生き抜いてきた正親町天皇が崩御。
新たな天皇として即位したのは、正親町天皇の嫡男たる誠仁親王ではなく、その異母弟の僅か1歳の霊昭天皇であった。
誠仁親王の生母の実家である万里小路家(勧修寺流)は、正親町天皇の生母も輩出するなど隆盛を極めていたものの、先来の疫病も影響し、男子全てが全滅するなどの憂き目に遭う。
代わって力を付けたのが正親町天皇の女房であった朝子の実家・西園寺家。
朝子の父で左大臣を務めた西園寺公朝が朝廷内での影響力を高め、次期天皇の座を誠仁親王から自身の孫にあたる君仁親王(のちの霊昭天皇)に移り変えるなどかなり強引な手段でその権益を確保することとなった。
もちろん誠仁親王は最初反発するものの、霊昭天皇即位時の摂政位を与えること、そして霊昭天皇が血友病を患い先が長くない中で、子を成さずに崩御された際は誠仁親王が次期天皇として即位することを約束することで、この懐柔を実現。
そんな新体制の朝廷より、元親のもとに使者が訪れる。
公朝の嫡男にして、朝廷の取次を任ぜられた公卿・西園寺定煕である。
「――ご多忙の折、お目にかかるお時間を頂き、有り難く存じます」
定煕の丁寧な言葉に、元親も姿勢を正し恭しく頭を下げる。まだ若人とは言え、今や朝廷の実質的支配者たる公朝の嫡男であり、彼自身も従三位・参議の官位を得ている人物であった。
「この度は長宗我部殿、貴殿に従五位下・侍従の官位を与えることが決まりました」
「――恐悦至極で御座います」
「引いては新帝即位に伴う代始改元の資金について、ご協力願いたし」
定煕の言葉に、元親は頷く。
将軍家が追放され、信長も畿内を失った今、朝廷の後ろ盾となる戦国大名は、もはや長宗我部しかいないことを元親も理解していた。
「つきましては、私からもお願いが御座います」
「ほう、何でしょう」
「――この長き戦国の世を、終わりにしたく存じます」
元親の思わぬ言葉に、定煕は目を丸くする。
「それは・・・我々禁中にとっても願ってもいないこと。しかし、決して簡単ではありますまい」
「ええ。ですので、その折には帝の御威光を賜りたく。自己の欲望の肥大を止め能わず、これ以上の拡張を求むる獣たちに対し、朝命にて戦争の停止を要請して頂きたい。
もしも是に違背する者あらば、我が実力でもって此れを排除する」
「――その際には、相手を朝敵と断ずる大義名分が欲しいと」
定煕の言葉に、元親は黙して頷く。
「・・・意図は理解しました。だが、それを実現する為には、より一層の『協力』が必要となるでしょう」
「ーー畏まりました」
元親は平伏する。その後再び上げられた双眸は、真っ直ぐに定煕を貫いた。
「さすればその際は、何卒宜しくお願い致します。参議殿」
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「――如何でしたか」
京の屋敷に戻った元親を、嫡男の信親が出迎える。先の戦役でもその武勇を高らかに見せつけた信親は誰もが認める武人となり、新たに元親が得た丹羽の所領を任されていた。
「ああ。朝意を得る為には、より金が必要、と諭されたよ」
元親は苦笑する。
「禁中は万年金欠。自ら皇位継承の為の一連の儀式を執り行うことすらままならぬ有様ですからね。信長が支配していた時期は、思うように諸国大名に寄付を募ることもできなかったようですし」
「故に、我々がそこを埋め合わせることができれば、その権威を手中に収めることができる。我が夢の実現の為に欠かせぬ権威をな」
「――結局、やるべきことは変わりない、と」
信親の言葉に、元親は頷いた。
「引き続き、富国に励む必要がある。幸いにも此度畿内の地を得たことで、かつて天下を極めた細川京兆家同様、四国と畿内とを結ぶ瀬戸内の大交易路を手中に収めるに至った」
「さらに多田銀銅山の権利も得、堺商人との関係も良好」
「そして、同盟国たる毛利家は、九州下関・長崎を抑えており、瀬戸内と繋げ大陸にまで伸びる交易路を確保し得るものとなっている」
「銭の流れを滞らせることなく、富が富を生み出す構造を作り出すことができれば、もはや少ない田畑を巡って境目争いをする必要もない。この世界から戦を取り除き、万民幸福の天下を創り出すことができるのだ」
元親は熱を込めた様子でその夢を語る。信親は微笑まし気に口の端を広げる。
「まるで童のようですね、父上」
信親の言葉に、フ、と元親も笑う。
「我は何も変わってはおらぬさ。三十年前から、何も。あの時想像できなかったところまでこうして歩んできておるが、それでも夢想する景色は決して変わりはしない」
そう言って元親は縁側の先に広がる庭園に視線を送った。彼の目は、その庭園の上空に浮かぶ紺碧の空の向こうに在る、故郷たる四国の空と海を遠く見つめている様であった。
だが、そのさらに向こう。
遥か遠くの九州では、新たな戦乱の火種が生まれようとしていた。
九州の役
開戦
文禄*1元年(1587年)3月。
九州・豊後国・大蔵館。
元は大友領に属し、現在では島津氏の領地となりながらも、大友氏・相良氏・そして毛利氏の九州四大勢力すべてとの接する戦略的最重要地。
そこに、四大勢力中三勢力の長が額を突き合わせていた。
まずは九州探題・大友宗麟。かつて北九州のほぼ全域を支配下に収めていた九州最大勢力であったが、毛利・島津との抗争によって現在はその勢いを縮小させている。
次いで、肥後の大名・相良義陽。11歳で家督を相続して以来30年間にわたり、この動乱の九州にて独立を護り続け、ときにその領土を拡張せし豪勇。
そして、南九州の覇者・島津義久。
自身の圧倒的な政治的才覚に加え、兄弟たちの軍略の才に輔けられ、圧倒的な領地国力を確保しつつあるこの島津義久だが、10年前に大友から豊後国を奪って以降は戦略を転換。
大友・相良それぞれと婚姻による同盟を結び、九州を戦国の時代から平和な時代へと移行せしめたのである。
そのことは元親にとっても実に好ましい状況であった。この状況を、畿内でも実現できれば――そう、思っていたのだが。
事態はこの年、急激な変化を迎えることとなる。
「――我々は、戦いに備えねばならぬ」
義久の言葉に、一同はその表情を緊張で固くする。
「我らが九州の領土の一部を不当に占拠し続けている毛利。これを駆逐する為の戦いに」
「ま、待ち給え、義久殿」
宗麟は慌てて口を挟む。
「毛利一国ならば何とかなりましょう。しかし彼らの背後には四国の長宗我部がいる。これを敵に回しては、我々の被害も甚大なものとなりましょうぞ」
「――故にだ。若しも今後、長宗我部が更なる拡大を図れば、それこそ手が付けられなくなる。京に在する商人の噂によれば、長宗我部は先達て従五位下を賜り、以後もその官位を積み重ねていく方針とも聞く。やがて朝廷の権威を後ろ盾にし、我々の九州の権益を奪い取る恐れさえあり得る」
「し、しかし――」
なおも抗弁しようとする宗麟を、義久は鋭い瞳で制する。
「義父殿――確か、貴殿の家宰たる博多の主・島井宗室殿は、その娘を長宗我部の倅の室に与えたとの話ですな」
「ム――」
義久の指摘に、宗麟は口を噤む。
「さらに近年、貴殿は盛んに長宗我部との誼を通じているとのことだが?」
畳み掛けるようにして告げる義久に、宗麟は慌て、こめかみには冷汗が浮き出始める。
「真逆、我々の同盟に反旗を翻すつもりではあるまいな」
相良義陽が前のめりになって宗麟に詰め寄り、語気を荒くする。
「とんでもない! 我はひとえに、九州の利益の最大化を図って・・・畿内を制する長宗我部との交友は、必ずや九州にも大きな利益をもたらすと――」
「――それは決して、双方共栄の道とはならぬ。必ずや、畿内にその利益の大半を奪われ、我々は利用されるだけ利用され打ち棄てられるのみだ」
義久は静かに、しかし迫力のある低い声で告げる。宗麟も義陽も再び口を閉ざさざるを得なかった。
「故に、我々は実力でもって独立を図らねばならぬ。我々は九州を支配し、そして誰にも隷属しないものであると。義父殿。逆心ないというのであれば、手伝っていただくぞ。共に毛利を吸収から追放するのだ。
ーー先ほど、長宗我部が恐ろしいと義父殿は仰られたな。だが、この九州において本当に恐ろしいものが誰であるかは、義父殿が一番良く知っているはずだ。そうであろう?」
義久の言葉に、宗麟はただ頷く他なかった。
そして、同年3月16日。
島津義久が毛利の九州領簒奪に向けて動き出したことが京都の元親のもとへも報告される。
ただちに、毛利家からは救援を求める書状が届く。
やるしかなかった。
万民平和への道はまだ遠い。
ならば、それを納得させるだけの武威を、見せる必要があった。
そして一ヶ月後の4月16日。
元親は、出兵を決意。
ただちに北宇和の外港・八幡浜より、九州に向けて兵を送り出す。
そして、運命の戦いが幕を開ける。
九州上陸
5月。
北宇和を出航した長宗我部軍の先遣隊2万は、豊後国大分郡に上陸。大友氏の豊後支配の中心地であった府内の攻略を開始する。
その間、豊前国の京都の地に上陸していた毛利軍は、突如強襲した島津軍によって壊滅。
そのまま島津を始めとする九州勢は、毛利の九州拠点たる筑前国の諸城を包囲し始めていた。
8月、長宗我部軍が制圧した府内にて、京都より逃れてきた毛利輝元は元親と合流する。
「――おお、良くぞ来てくれた、我が友人よ」
輝元は疲れ切った様子で元親のもとへと駆け寄る。
「島津は・・・実に恐ろしい。不意を突かれたとは言え、天下の毛利が手も足も出なかった。これまでに見たことのないような戦い方をする奴らだ」
「ほう・・・具体的にはどのように?」
「とかく・・・気が付けば周りを囲まれていた。そして、銃を撃っても矢を射ても、奴らは構うことなく押し寄せ、そして、我々は成す術もなく・・・」
「――輝元様、お疲れの御様子。まずは宿にてゆっくりとお休み下さい」
輝元の言葉を遮るようにして、一人の青年が声を掛ける。輝元の年下の叔父、毛利秀包である。
正直、容量の得ない輝元の説明にやや辟易していた元親はこれ幸いとばかりに秀包の言に同意し、そそくさと輝元を宿へと押しやる。
その上で秀包と向き合いつつ、その傍らに知った顔がいることにも気づいた。
「――政重か。久しいな」
「は。その節は御恩頂き。奉公することもなく暇を頂いたこと、忝く存じます」
元親の馬廻り衆の一人である吉田俊政の嫡男である吉田政重。数年前、父との喧嘩の末に自らの力を示すためにと一人飛び出し、放浪の末に現在は輝元のもとで召し抱えられているとは聞いていた。父や祖父の才を受け継いだ武勇に輝元もことのほか気に入っているようで現在はその馬廻り衆となっているという。
「活躍していると聞く。其方の父も、大層喜んでおるぞ。後ほど、顔を見せよ」
「――は。そのように致します」
しかし、と元親は政重・秀包に視線を巡らす。
「貴殿らのように若くして才溢れる者たちが集うのは実に喜ばしいことだな。毛利の精強さがよく分かる」
「有り難きお言葉。しかし、信親様には敵いませぬ。先達ての織田・武田との戦いにおける類稀なる活躍も聞き及んでおります」
謙虚に告げる秀包。
「それに・・・先の京都での戦いでは、実に無様な敗戦を演じてしまいました。九州の田舎侍と侮るところが我々になかったとは言えませんが、それにしても、恐ろしい戦いぶり」
「――詳しく、聞かせてもらえるか?」
元親の言葉に、秀包は頷き、一同は諸将が待つ館へと向かい歩き始めた。
-----------------------------
「――府内に上陸した長宗我部軍はその後、周囲の支城にも次々と兵を派遣し、包囲を開始しております」
「その包囲・陥落までの速度は恐ろしく速く、年内には豊後一帯をすべて制圧しかねぬものとなっております」
次弟の島津歳久の報告を、総大将の義久は黙って聞いている。
「――やはり、すぐにでも潰しに行った方が良いのではないか?」
そう言って、兄に詰め寄るのは長兄の島津義弘。のちに鬼島津と呼ばれ恐れられることとなる、天下無双の武勇で知られた男である。
「ならぬ」
しかしその義弘の言葉を、義久は一蹴する。
「長宗我部とはやらぬ。少なくとも、真正面からは。奴らを決して侮ってはならぬ」
義久の言葉を、義弘も無下にすることはできなかった。兄は義弘や末弟の家久ほどの武勇はあらねど、その先々を見る眼の正しさは確かであり、それがゆえに義弘も自身の総大将としてその存在を心から認めていた。
「では、どうする? このまま九州が蹂躙されるのを黙って見ているのか?」
義弘の言葉に、義久は頭を振る。
「正しく機会を見定めるのだ――狙うは、敵の弱体なところ。ここは九州。我々の領域だ。奴らの一挙手一投足は、全て我々の耳に入ってくる。そうして奴らを追い込み、そして、罠にかける。
そのとき、貴様らには存分に暴れてもらうぞ、又四郎、又七郎・・・九州に住まう鬼の恐ろしさを、畿内の常人らには思い知らせてやらねばならぬ」
--------------------------
同年12月。
長宗我部軍の占領状況は順調に進んでいき、豊後のほぼ全域に加え、大友領の豊前の領地にも包囲軍が展開。
その間、島津・大友・相良の九州勢からの反撃はほぼなく、ただひたすら、最低限の守備兵たちを残した諸城を包囲し、陥落させていくだけであった。
「実に簡潔! ハハハ、最初は肝を冷やさせられたものの、やはり我が友人、長宗我部の軍勢が加われば、九州勢などもいとも簡単に黙らせられるというわけだな」
いとも簡単に調子に乗ってみせている毛利輝元は、自らの兵を率いて相良領の阿蘇郡へと侵攻。阿蘇内牧城の包囲を開始していた。
「――輝元様。決して油断せぬよう。ここはあまりにも突出しているところであるが故に」
「分かっておる。だが、すべて長宗我部殿に頼り切りでは国内にも示しがつかぬであろう」
心配する秀包に、輝元は頷きながら返す。
「それに、十分に注意はしておる。もしも筑前に居る島津らが怪しい動きを見せた折には、すぐさまここを発ち、府内へと戻る。そのためのルートも万全に用意している」
それにな、と輝元は声を潜め、秀包に囁くようにして告げる。
「これは、我が友人、元親殿の策でもあるのだ。なかなか姿を見せぬ島津らを誘き寄せ、府内の地で決戦に持ち込むための、な」
「――成程」
秀包はその言葉に頷き、納得すると共に、恐ろしさをも覚える。
長宗我部元親。涼しい顔をした御仁ながら、考えるところは恐ろしいもの。
しかし、確かにこれで島津らを引き寄せ、決戦にて叩き潰すことができれば、中々音を上げない奴らに降伏を認めさせることもできるやもしれぬ。
だが――と、秀包は思う。
具体的理由は思いつかなかった。しかし、そういった道理では敵わぬ何かが、あの島津にはあるように、思えてならないのだ。
理由のない恐怖と不安だけが、若き将の心に入り込んでいく。
そしてその不安は、最悪の形で結実することとなる。
戸次川
「そうか――毛利が独立し、阿蘇にまで入り込んできていると」
義久は報告を聞き、口の端を広げる。
「しかし、一方で阿蘇から直入郡にかけての街道を整備し、馬の用意も十分に備えられていることから、我らを誘き出すための策ではないかとの見立ても御座います」
「構わぬ」
義久は断固とした口調で返す。
「それで我々を捉えられるつもりでいるならば、傲慢というもの。我々の恐怖を思い知らせる絶好の機会だ。
又四郎、又七郎、準備はできているな?」
もちろんだ――と、背後に控える二将ははっきりと頷く。
「よし――では、征くぞ」
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文禄二年(1588年)2月。
筑前方面で包囲を続けていた島津・大友・相良の九州勢がついに動き始める。
その狙いは豊前地方の制圧を進めていた長宗我部軍の方ではなく、その南――阿蘇に侵攻した毛利軍であることは明らかであった。
この報せを受け、阿蘇の毛利軍は速やかに撤退を開始する。整備された街道を用い、予定していた通り、府内に向けて一直線に撤退する。
そのまま府内にて、長宗我部軍と共にこれを迎え討つ――つもり、だったのだが。
「――逃がさぬぞ、侵略者共よ。ここが貴様らの墓場だ」
「――輝元様!」
必死で馬に跨り駆けていく輝元の傍らに、秀包が焦りに満ちた様子で近づいてくる。
「間に――間に合ませぬ! 我々が府内に辿り着くよりも先に、奴らに背後より追いつかれまする!」
「く――」
報告を受けた輝元の判断は早かった。
「この辺りに、応戦するに向いた地はあるか!?」
「は――戸次川なる処が、この先に。向かう敵は隘路、受ける我が軍は拓けたところに陣を張れます」
「相分かった――」
輝元は覚悟を決める。
「ならば、ここで迎え討とう。一度はその恐怖を味わった敵なれど、これを克服せねば、毛利の当主を名乗る資格はなし。我が友、長宗我部の軍が来るまでの間、ここで持ち堪えるぞ――」
かくして2月17日。
運命の激戦、戸次川の戦いが幕を開ける。
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「――もう、始まってしまったのか」
「ああ。想定以上に島津軍の速度が速く、府内に至る直前の戸次川というところで両軍は激突。島津の先遣隊だけでも3万。さらに後詰に大友・相良の4万の兵が控えているとのことだ」
「――このままでは壊滅止む無し。急ぎ、援くるぞ」
脇目も振らず馬を駆る元親の横顔を見つつ、弟で長宗我部軍の軍奉行を務める吉良親貞は、躊躇いながらも口を開く。
「――兄者」
元親は振り返らず視線だけを弟に向ける。
「あえて、援けには入らぬ、という手もあるだろう」
「――どういうことだ?」
「・・・兄者も、この策を考えていたときに、そのように考える部分も多少はあったであろう。いや、そうは考えてはいなかっただろうが、そうも取れる選択肢を、知らずに用意していたとでも言うべきか」
元親は無言で先を促す。
「いずれにせよ、すでに遅きに失している部分はある。このまま危険な戸次川を渡り、あの先に聞いた恐るべき島津と立ち向かうよりも、府内にて守りを固め、対峙する方が望ましいのでは。いずれにせよ敵は、毛利とは戦っても、我々と戦うつもりはないのはこれまで見ての通りだ。
――ともすればこれは、我々が奴らを誘き寄せたのではなく、奴らが我々を誘き出すための策だったのやも知れぬ」
暫く、両者の間には無言が続いた。そうこうしているうちに、戸次川が見えてくる。その先には、毛利と島津の軍勢が相争い、着実に毛利が劣勢に立ちつつある、そんな光景だ。
「そうだな――弥五良。恐らくは、お前の言う通りだろう」
元親はこれより立ち向かう敵軍の威容を目の当たりにしつつ、静かに告げる。
「だが――敵を眼前にして、いかなる理屈があろうと引き返すことは、敗北も同義。我々長宗我部軍には、敗北は許されぬ。この先、あらゆる戦乱を停止し、惣無事を成し遂げるだけの威厳を、我々は示さねばならぬのだからな。
それに何よりも、私を信頼してくれた友を、私は裏切ることはできぬ」
元親の言葉に、親貞は頷いた。
で、あれば、あとは全力を賭して戦うのみ。
「征くぞ――長宗我部の力、薩摩の剛力たちに見せつけてやるのだッ!」
号令と共に、長宗我部の兵士たちが一目散に戸次川へと突入する。当然、島津の兵たちも弓鉄砲を構え、これを迎撃しようとするも、長宗我部の兵の勢いは凄まじく、渡河とは思えぬ速度でみるみるうちに距離を詰めていく。
四国の一領具足。半農半兵なれど織田の常備軍とも島津の強兵ともまた異なる、誇りと自負に満ちた精鋭たち。一人一人に元親の武勇が備わったかのようなその精強さは、さしもの島津兵たちをもたじろがせた。
そして、島津の猛攻に崩壊しかかっていた毛利軍も、この長宗我部の援軍を援けるべく、気勢を上げて反撃に出る。
「我が友人らの献身に応えよ! 掛かれッ!!」
「毛利の名に恥じぬ戦いを見せてみよッ!」
輝元、秀包の号令に応じ、毛利の兵たちも潰えかけていた士気を取り戻し、勇気を持って島津に飛び掛かる。この応戦もせざるを得なかった島津兵らは結局、長宗我部軍の渡河を許す形となったのだ。
――だがそれは、この男の狙い通りでもあった。
「――これで、逃げ場はなくなった」
義弘の背後で、それまで沈黙していた島津四兄弟の末弟、島津家久が動き出す。
「長宗我部兵、噂に違わぬ精強さ――存分に、楽しめそうだ」
全軍渡河を成功させ、兵たちの士気は上々。元親にとって、それはいつもの勝利の流れそのものであった。
しかしその刹那、元親は言い知れぬほどの悪寒に囚われる。
前方、混乱をきたし始めていたはずの島津兵の中から、統率を取り戻した一団が前に出てくる。
「――総員、油断するな。これより先、秀包殿が警告していた領域に入る」
馬廻り衆は一同、元親の言葉に従い、その緊張を高める。
そして、敵が動き出した。
「良き時分――軍兵共、掛かれ」
長宗我部軍の前に出てきた島津兵らが両脇に広がり、長宗我部軍を包み込むようにして展開する。
その一兵一兵の迫力は先程までと打って変わり、ただ一人として生に執着する様子は見せず、臆することなく前進していく。
「――鉄砲隊、放てッ!」
将の指示にて長宗我部の鉄砲隊が前面に出て島津の兵に向き合うも、元より狭き河川敷。相対する距離は決して十分でなく、勢い込んだ島津兵は、鉄砲が放たれるより先に迫り来り、恐怖により慌てて放たれたその弾丸はほとんどがその侵攻を止める役割を果たさずにいた。
「――まるで、我々の一領具足が如き、いやそれ以上の・・・死兵が如き迫力」
元親は固唾を飲みこれを見やる。
「―ならばこれ以上、農兵たちの犠牲を増やすわけにもいかぬ。我々が出るぞ」
馬廻り衆最強の精兵・福留儀重の言葉に、馬廻り衆一同、頷く。
「我も――」
元親嫡男の信親も、彼らと肩を並べようと前に出る。が、それを江村親家が手で制す。
「若は御屋形様と共に背後に御控え下さい」
「――ならぬ。我ももう、若輩ではない」
「分かっております」
信親の抗弁を、親家は鋭く弾き返す。
「若の御力は誰もが理解しております。ともすればこの中で敵い得るのは儀重くらいやも知れません。だが、同時に若はかけがえのなき長宗我部の嫡男なのです。御屋形様も初陣にて命を賭して闘ったのちは、背後に控え兵卒を鼓舞する任を引き受けました。もはや、若の御力を疑う者などおりませぬのだから、あとは長宗の倅としての責務を果たしなされ」
信親は言い返すこともできず、口を閉ざす。やがて、覚悟を決めた瞳で、彼らを見据えた。
「分かった。ご武運を。必ずや長宗我部に勝利を。そして、必ずや生きて帰るように」
「は――承知仕りました。若――いや、未来の御屋形様」
一同は皆恭しく頭を垂れ、そして、眼前に迫り来る嵐へと立ち向かった。
「――恐るることなく、立ち向かうか。それでこそだ」
襲来せし嵐の最後尾。鎮座する嵐の王・家久は、実に愉しそうに笑っていた。
「各位、命を惜しむべからず。
貴公らの死場所は此処だ。全軍、敵兵一人残らず、討ち捨てよ――」
兵が兵を飲み込む。雑兵を掻き分けて、一騎当千の武勇持ちが前に出て、これに立ち向かう。それを、より強大なる意志を持った人の波が、飲み込まんと迫り上がる。
それは、独立した一人一人の人間では決してなかった。
それは全て、島津家久という一人の武将の意思で動く、数百・数千の絡繰人形そのものであった。
「――くっ! これは・・・留めきれぬ・・・!」
吉田俊政は押し寄せる兵らを次から次へと切り伏せるも、その勢いは留まることを知らず、やがてその一人の刀先が、彼の左肩をはっきりと抉り取った。
「――おのれ、こんな・・・外道の戦いを・・・!」
福留儀重は同じように数十名もの敵兵を大地に斃れ伏させるも、やがてその無敵の身体にも次第に刀傷が生まれ始めていた。
敵は確かに数を減らしている。
しかし、それ以上に、長宗我部軍は追い詰められつつあった。
「――御屋形様、若様」
江村親家は傍らの元親らに声をかける。その声は覚悟の色に染まっていた。
「口惜しくも、我らの敗戦は受け入れざるを得ません。只今より、急ぎ撤退を開始致し給え」
元親は涼しい顔で頷く。信親は目を見開くも、その親家の言葉が間違いのない真実であることは理解していた。
「助かる見込みのある重傷者は最低限運び出し、自ら動ける者はそれぞれの方策で逃れるよう、指示をお出し下さい」
「備後、お前は――」
「私は、殿軍を務め致す」
信親の言葉を、親家は断固たる口調で遮る。
「御屋形様、これまで実に満足の多い生涯となりました。殿と共に土佐の統一を果たし、殿のお傍に仕えるお許しを頂き続けたこと、我が一族の最高の誉れで御座います」
信親はそれ以上何か言おうとし、しかし口を閉ざした。元親もまた、静かな顔でこれを見下ろしていた。
「どうか、我が息子・親俊を宜しくお願い致します」
「勿論だ。そして江村親家、貴殿は我らが長宗我部の、最高の武将の一人として、永劫にその名を刻み続けよう」
元親の言葉に、親家は安心した様子で微笑み、荒れ狂う嵐へと自らを投じていった。
そして、長宗我部軍は撤退を始める。
最初に川を渡り戦いに赴いたとき同様、整然とし、統率の取れた様子で彼らは再び川を渡り返す。
勿論、家久はこれを逃すつもりはなかった。しかし、彼の嵐の前には、長宗我部軍の一団が果敢に立ち塞がっていた。
「――我らが死は、我らが御屋形様の夢の礎とならん!」
中心に立つ江村親家の威勢と共に、士気万全の長宗兵らは、数倍の重圧を備えし島津家久の嵐を巧みに押し留め続けた。
しかし最後にはこれも、やがて飲み込まれ、朽ち果てていった。
「――弟にばかり、良いところを見せられぬ。我らも首級を挙げるぞ」
義弘の言葉に、彼の側近たちも頷き、毛利軍に対する最後の猛攻撃を加える。
「――輝元様、ここは私が押し留めます。お逃げ下さい」
秀包の言葉に、輝元は抗弁しかけるも、口を閉ざす。彼もまた、自らが大国の大名たる責務を理解していた。
「元就公九男に過ぎなかった私を取り立てて頂き、感謝申し上げます。願わくば、その先の未来までお供しとう御座いましたが、こうしてその未来を救う礎となれることもまた、慶ばしきことで御座います」
「――忝し。我が、家族よ・・・!」
毛利軍もまた、決死の殿軍の抵抗により、鬼島津・義弘軍の侵攻を押し留め、大将輝元の退却を成功させた。
その代償として、才ある若き命が、この戸次川の大地に朽ち果てることとなったのだが。
かくして、日が西に沈みかかる頃。
戸次川の川水を赤く濡らしたこの激戦も、漸く終わりを迎えることとなった。
長宗我部・毛利連合軍の死者は合計2万超。
一方で島津軍の死者も1万を超え、この戦いは双方に大きな傷を残す結果となったのである。
結末
長門国・厚狭郡。
戸次川の敗戦の後、命からがらに撤退した長毛の軍は、敵勢力圏にある豊後・豊前そして筑前も通り抜け、この地にまで逃げ延びてきていた。
「――我が友人、ご無事で何より」
毛利軍を率いる毛利輝元が元親の姿を認めると、疲れ切った様子で近寄ってきた。かつて府内にて、敗戦の後に出会った時よりも、その疲労の色は濃く、深刻であるように思えた。
「お互いに、多くの味方を喪ってしまいましたな」
輝元の言葉に、元親は頷く。
「――仇などと、軽々に言えたものではないが、何がしかの結果を作らねば、という思いは強いな」
「うむ。ここで退き下がるつもりは我も毛頭ない。兵を休め、回復させた後、再び九州へと上陸する。
その前に、向こうからやってくるかもしれんが、そのときは逆に返り討ちにしてやろう」
疲労はあれど、意志はあのときより遥かに強く、輝いていた。
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戸次川で長毛軍を敗退せしめた島津軍はその後、占領された豊後豊前の各地を解放。
そのまま、筑前の支配を進める、はずだったのだがーー
「島津の動きが止まった、と?」
報告に、元親は眉間に皺を寄せる。輝元にも視線を送るが、彼も心当たりはない、というように頭を横に振る。
「これは未確定情報ですが――」
伝令はおそるおそる口を開く。
「――島津の大将が、病に倒れたとの噂」
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「――兄者の様子は如何」
ドタドタと騒々しい足音を響かせながら、義弘は居室へと入っていく。
待ち受けていた弟の歳久は首を振る。
「昨年来南部にて広がっていた結核に、兄上も罹ってしまったようだ。急激にその症状は重篤なものとなり、感染の危険もあるということで侍医以外の誰も近づけぬ状況だ」
歳久の言葉に、義弘は唸る。
「何ということだ・・・計略通り長毛を打ち倒した、この最善の機会で・・・」
「――実際、どうする? この先の島津は。兄上の子の秀久はまだ若く、現実的な当主は務まるまい。となれば、その補佐として、四郎兄が適任かと思われるが」
「儂は当主の器ではない。いや、兄者に比ぶれば、器に値する者などおらぬであろうが――少なくとも、聡明さで言えば、六郎、お主が最も相応しいのではないか」
「我に人を纏め上げる力はないよ」
歳久は苦笑する。
「かと言って、又七郎に任せるわけにもいかぬだろう・・・分かった。秀久が成長するまで、儂が名代になろう。しかし六郎、貴殿の智慧による助けは何卒頼むぞ」
「無論だ」
しかし、と歳久は表情を曇らせる。
「目下、この戦いを如何にするか・・・」
「――六郎は、元より開戦には反対の立場であったな。今はどう思う?」
「・・・確かに、我々は長宗に大勝を果たした。しかしそれはいわば計略による勝利であり、またその大将の首を獲ることもできなかった。今後、警戒せし敵軍を相手取り、同様の勝利を狙うことは遥かに難しくなるだろう」
歳久の言葉を、義弘は静かに聞いている。
「そして、兄上の大病は既に九州全土に広がっている。少なからず、大友・相良にも動揺は広がるだろう」
「――結局は、あの戦いで長毛共に大将首を獲れなかったことが最大の敗因だな」
義弘は嘆息する。
「計略は完璧であった。その運びも、想定通りであった。しかし、長宗我部元親と、その家臣共・・・奴らの精強さが、我々の想定を遥かに超えていた。
認めよう。我々の、敗北だ」
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7月。
島津家当主・島津義久が急死。突然の病に襲われ、急速にその身心が削り取られていった果ての、あっけない最期であったという。
それに合わせ、島津家名代・義弘の名において、戦争の停止・和平を求める書簡が下関の元親・輝元のもとへと届けられることとなる。
当然、これは元親や輝元にとっては受け入れ難い方針ではあった。
彼らは喪われた兵たちへの弔いとして、反撃に出るつもりで準備を進めつつあったのだから。
しかし、元親たちにとって、この九州役に力を注ぎ続けられる状況ではなくなる事態が、畿内にて発生する。
そのきっかけとなったのは、同年6月末の、浅井長政の急死であった。
大乱前夜
九州勢との交渉を弟の香宗我部親泰に任せ、元親は急ぎ四国へと舞い戻っていた。
そこで、留守を任せていた谷忠澄より、状況の報告を受ける。
「浅井長政殿は齢43という若さで急死。特に病に罹っていたわけではなく、まさに晴天の霹靂が如き死でありました」
「嫡男の義政殿*2は六年前の我々との戦いの中で受けた傷で既に亡くなっており、後を継いだのはまだわずか9歳の万木丸殿」
「しかしこの家督継承に異を唱える長政の遠戚、浅井井規が謀反を起こし、近江は内乱状態に。織田尾張守は井規を支援してここに介入し、これを臣下にした上で近江全域を支配下に収めました」
「さらに織田は朝倉方、及び紀州の根来衆・雑賀衆をも瞬く間に平定。京周辺を除く畿内全域が、完全に織田の支配下に納まることとなりました」
忠澄の報告を聞き、元親はため息をついた。自分たちが九州に気を取られている間、織田は虎視眈々とその勢力を伸ばしていたのである。
朝廷に働きかけても無駄であろう。今や長宗我部と織田は対等の存在であり、朝廷は常に勝ち馬に乗ることのみを得意としている。今はただ、その趨勢がどちらに傾くかを、高みから見下ろしているに違いない。
「この状況に及び、本願寺も織田との対立関係を解き、同盟を締結」
「徳川は我らに対する信義を継続しているものの、今や包囲網はその一角を失い形骸化していると言わざるを得ないでしょう」
確かにな、と元親は忠澄に同意する。
「そして、さらに悪いことには」
と、忠澄は表情を曇らせながら言葉を続ける。
「織田は北条家の新たな当主、北条氏直と同盟。彼が父の死後家督を継いだ直後に起きた内乱の際、織田が助力をしたことでその結びつきを強めたようです」
「成程――」
元親は状況を正確に理解した。
「かくして京より東には、織田・武田・北条の巨大な同盟が完成したというわけだ」
「ええ――その総兵力は軽く15万を超え、もはや、包囲網などというやわな網の目ではその巨体を包み込むことさえできかねないでしょう」
元親は5年前、伏見の地で織田信長が彼に告げた言葉を思い出す。
『――また戦ろうぞ。その時はより、手強き相手となることを誓おうではないか』
その言葉をまさにそっくりそのまま、彼は実現したというわけだ。
それは戦国時代きっての大国の支配者というよりは、友人と約束した遊びの集いを今か今かと待ちわびる一人の童児のようですらあった。
「――殿?」
忠澄の言葉に、元親は意識を取り戻す。目の前には、少し戸惑うような表情を浮かべた忠臣の姿。
「如何なされた? どこか・・・愉快気な面持ちでしたが――」
そして、戦いは始まる。
全てを終わらせる、戦国史上最大の戦いが。
次回、最終回。
「天下分け目の合戦」編へ続く。
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