「きつね」の紋章を特徴とするルナール家は、神聖ローマ帝国の東の辺境、ラウジッツ辺境伯領のさらに辺境に位置する小村シュプレーヴァルトから発祥した。
その創始者ルイの嫡男オトゲルは、一族の復讐を果たしたのちに北方の異教徒たちを平定し、かつて存在したノルトマルク(北方辺境伯領)をキリスト教勢力の下に取り戻した上で、この地にブランデンブルク辺境伯領を設立した。
さらにその嫡男ゲロはこの辺境伯領を一層拡大し、ポンメルン王国を建国。
そしてその弟ルートヴィヒは十字軍にも参加し、その活躍でもって見事イェルサレムを奪還。初代イェルサレム女王に彼の姉であるディトケを据えるなど、一族の繁栄に貢献した。
そして偉大なる慈悲王として尊敬を集めたゲロ王の嫡男オトゲルは、暗殺された父の後を継ぎその名誉ある王権の維持に努めるが、その欲望はやがて肥大化し、ついには帝権にまでその手を伸ばすこととなる。
「戦争王」と呼ばれた暴虐なるオトゲルの支配から逃れるべく、帝国の各地では反乱が巻き起こるも、この恐るべき獣はこれを次々と蹂躙。
それでも、神は確かに見ておられた。さらなる強欲に身を浸した愚かなるオトゲルは、海を渡り、無謀にもアナトリアの敵地の真ん中にその身を投じていった。
所詮は肉体を持つ存在にすぎないその「戦争王」も、やがて陣中にて捕えられ、そのまま遥か遠方にて帰らぬ身となってしまった。
今、ルナールの一族はその存亡の危機に瀕している。
この危機を救うのは、真に神と手を組み、神に愛されたこの男をおいて他にないだろう。
それでは始めよう。
遅ればせながら現れしこの物語の真の主人公、ルートヴィヒ・フォン・レナードの物語を。
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目次
第三話はこちらから
新皇帝(1128-1130)
1128年1月1日。
ドイツ中西部、フランクフルト・アム・マインの街において、6年ぶりとなる諸侯会議が開かれていた。
議題はもちろん、この6年間暴虐の限りを尽くした「戦争王」オトゲルの後継であり、東方の地でその生存すら確認できずにいる「ドイツ王」に代わるこの帝国の正統なる支配者の決定である。
この日、選帝侯として集まったのは以下の七名。
ザーリアー家の東フランケン大公ルートベルト(コンラートの嫡男)。
ヴァルデック家(バーベンベルク家の分家)のオーストリア公レオポルト3世。
ルナール家のボヘミア王メインハルド。
オルデンブルク家のザクセン公ラトケ。
ザルツブルク大司教フベルト。
さらに西フランケン大公がまだ幼少のマグヌス*1であるため、その代理としてのユトレヒト大司教シモン。
そして同様に不在となるポンメルン王の代理としてのラウジッツ辺境伯リアヴィツォの七名である。
さらに2名がオブザーバーとして招かれていた。
1人は戦争王の嫡男であるヴァルペ伯マグヌス2世。戦争王の死が確定すれば正式にポンメルン王位を継承することになる彼だが、「あの」戦争王の嫡子ということで諸侯の合意により今回はラウジッツ辺境伯をオストマルク代表とし、マグヌスはオブザーバーの立場に追いやられていた。
そしてもう1人。同じく戦争王の親族ではあるが、マグヌスとは異なる意味で微妙な立場であった「寛容公」ルートヴィヒ。
当初、この「次期皇帝」を巡っては2つの主流な動きがあった。
一つは6年前の選挙でも最有力候補の1人であったザーリアー家のベラール。すでに西フランケン大公の地位は剥奪されていたものの、あの戦争王に対し毅然と立ち向かった男としての評価はむしろ彼の立場を強くしていた。
しかし彼については昨年末、その殺人未遂の秘密が公のものとなり、聖界の選帝侯を中心にこれを支持するわけにはいかないという雰囲気が漂い始めていた。
元々オブザーバーとして招聘する予定もあったがこれも取りやめとなり、今や次期皇帝候補としてはその可能性を失っていた。
もう1人の候補が、全く異なる新しい流れとしてのクライン辺境伯ウルリヒ。20年前の第一回十字軍においても活躍した「十字軍騎士」でもあり、その勇敢かつ正直、さらに貞淑といった性格からも人望は大変厚く、その年齢ゆえの安心感への期待から、より適切な候補が現れるまでの「つなぎ」の意味も含め、その推戴がほぼ内定に近い動きとなっていた。
が、この最有力候補も、会議の直前で唐突に病死してしまう。
すでに高齢であったがゆえいつそのようになってもおかしくはなかったとはいえ、非常に惜しいタイミングであった。
では、どうするか。
諸侯の考えの中にあったのは、ウルリヒと同じく十字軍騎士として活躍し、その実績は明白で年齢も高いことから「つなぎ」としての役割も同様に期待できる男――寛容公ルートヴィヒであった。
故に、彼はこの場にオブザーバーとして呼ばれた。それは帝国内の最有力者であると同時に、次期皇帝候補筆頭の一人として。
しかしルートヴィヒは会議の場に現れるなり、その場に並ぶ選帝侯たちに向けて告げた。
「高貴なる方々よ、この度は私などをこの栄誉ある場にお招き頂き光栄に御座います。そして勿論、私がこの場に招かれていることの意味も、僭越ながら理解はしております。
しかしその上で一言、申し上げさせて頂くことを許可願いたい。皆様方が私に期待を寄せて頂けることは大変有り難く思う一方、私には決してそのような資格はないことを申し添えなくてはならないと思っております。私は戦争王の臣下として、その命に従わざるを得ない立場であったとは言え、多くの同胞たちの血をこの手で流してきております。私は臣下であると同時に戦争王の叔父という立場でもあり、それを止める強い責任があったにも関わらず力不足ゆえにそれが叶わず、大変なる罪を重ねて参りました。
その私に、果たして神聖なるこの帝国の皇帝としての立場が相応しいと言えるでしょうか。私はそうは思いません。この場にお招き頂いた中でこのようなお話をさせて頂くことに抵抗がないわけでは御座いませんが、これだけは一つ、必ずお伝えしなければと思い立った次第で御座います」
朗々とした声で、力強くはっきりと、寛容公は諸侯に向けて語りかけた。それは彼の罪を告白するものであったが、むしろそれは彼に対する諸侯の尊敬をより高める効果を発揮し、そしてそれが決定的なものとなり、次期皇帝はこの瞬間にほぼ確定することとなった。
選挙の結果が伝えられると、寛容公は初め、断固とした様子でこれを固辞した。
しかしあくまでもつなぎとしての意味合いが強いこと、そして帝国の統治を預かる諸侯たちの総意であることを繰り返し強調され、最終的に彼はこれを受け容れ、戦争王の後継としてのローマ王への即位を承諾し、アーヘン大聖堂にてケルン大司教の手により戴冠を行った。
「寛容帝」ルートヴィヒが最初に手掛けたのは国内の安定であった。その功績ゆえオトゲルのときほどには帝国内の反発も大きくはなかったものの、それでも大小様々な不安不満が蔓延っているのは間違いがなかった。
ルートヴィヒは早速、不安定な諸邦を優先的に、帝国内御幸を実施することにした。
まずは選帝侯の1人で、先の選挙ではルートヴィヒではなくホラント公に投票していた東フランケン大公ルートベルト。密偵頭の調べによれば、彼は弟のバンベルク伯を皇帝に据えようと画策しているという。
しっかりと護衛達に身を固めさせながら、「敵地」東フランケン大公居城ヴュルツブルクに到着するルートヴィヒ。
大公は敬意をもってルートヴィヒを迎え入れてくれ、その晩餐には実に豪勢な料理が並べられることとなったが、そのすべてにおいて事務的であり、その表情は常に堅かった。
そこで、ルートヴィヒは一計を案じる。酒好きとして有名な東フランケン大公と打ち解けるべく、彼に「酒飲み勝負」を仕掛けることにしたのだ。
結果は敗北。しかしルートヴィヒはすかさず、フランケン大公を褒めちぎった。「さすがですね、大公殿。私も競技場ではなかなか負ける気はしないものの、夜の舞台では到底敵いませぬ」
ルートヴィヒの言葉にまだ若きルートベルトは満更でもなさそうで、少しはその態度を軟化させてくれたようだ。
同じように帝国内の「危険分子」たちへの訪問を続け、少しずつその関係性を改善していくルートヴィヒ。
その途上、ロンバルディア女公「詩人」エレネの支配するミラノに到着。
その場で、ミラノ大司教ライネロの手によってロンバルディアの鉄王冠を戴冠し、イタリア王として認められることとなった。
そうなれば、この旅のもう1つの目的地にもそのまま向かわねばなるまい。
すなわち、永遠の都「ローマ」。この場所で、ルートヴィヒは教皇エウゲニウス3世によって戴冠され、正式に神聖ローマ皇帝として即位することとなった。
1130年6月6日。
およそ2年間をかけた、帝国の北から南までの大行幸は成功を収め、訪れた封臣たちは軒並み皇帝に対する敬愛の念を抱き、忠誠を誓うこととなる。
その過程で、帝国内で形成されていた反皇帝派閥も次々と解散が決定し、ルートヴィヒはひとまず帝国崩壊の危機を回避するに至ったのである。
ただ、この帝国にも未だ、皇帝の権威に服そうとしない者もいる。
前皇帝「戦争王」オトゲルの遺児、ポンメルン王マグヌスである。
最後の反逆者(1131-1134)
マグヌスはそもそも最初から、この大叔父ルートヴィヒのことは信用していなかった。
6年前、イタリア遠征でルートヴィヒが指揮する軍に加わっていたマグヌスは、その「聖ニコラウス騎士団」の精強さに強い憧れを抱き、そしてその残虐さに共感すら覚えていた。マグヌスは彼らと「共に」、イタリアの民を嬲り、辱めを与えることに快感を見出してもいた。
しかしどうだ。いざ父が行方不明となり、彼が皇帝の候補に躍り出るや否や、彼はその殺戮も全て父の指示に従ったものであると嘯き、自らは何一つ汚れのない綺麗な腕をしていると宣っている。3年前のフランクフルトで聞かされた彼の演説は実に吐き気のするものであった。
それだけでない。ルートヴィヒは父に対し、大叔母のイェルサレム女王ディトケがいかに悪辣であるかを説き、その憎悪を焚き付けていた。
マグヌスもそれを信じ、一度は彼女が欧州に訪問しにきた際に決闘を挑み、これを打ち負かしたこともあった。
にも関わらず、今になってその大叔父は、ディトケとはまるで親友のように親しく振る舞っており、自分だけが同じ一族のものを手にかけようとした犯罪人として世に糾弾されるような事態となっている。
こうなってくるとそもそも父の死すら怪しい。マグヌスはルートヴィヒが自らが帝位を握るべく、父をあえて死地に送り込んだのではないかと疑っている。何かその証拠になるようなものを掴めればと言う思いで、彼は密偵頭に命じてルートヴィヒの宮殿にスパイを送り込んだ。
しばらくして、密偵頭のイジーから、皇帝の身の廻りは厳重過ぎて何も秘密は得られなかったものの、その妻でオストファーレン女公でもあるヴルフヒルデの、トランスユラニア女公イウディスに対する殺人未遂の秘密を掴んだとの報告が入る。
どうやらヴルフヒルデはルートヴィヒという「偉大な」夫がいるにも関わらず、数多くの男と関係を持っていたようで、イウディスもそのことを知り、彼女を脅迫していたようだ。
やはり、どんなにお行儀がよく見えるあの皇帝一家にも、叩けば出てくる埃はいくらでもあるのだ。
報告を聞きながら、マグヌスは湧き出てくる笑みを押さえることなどできなかった。
「よし、このまま奴の宮廷内の秘密を片っ端から集めてくるのだ。満を持してそれらを利用して脅迫を進め、奴の牙城を内部から崩壊させてやる」
そうすれば俺の勝ちだ。父の仇を討って、そして本来俺が手に入れるはずだったその皇帝の地位も、もろとも奪い取ってやる!
マグヌスのその高揚感は長くは続かなかった。
1832年7月17日。宮廷に忍び込ませていたイジーが、突如無残な死体となって発見されたとの報告が入る。
その日から、彼は逆に自分が追い詰められつつあることを悟った。
彼はすぐさま、父も信頼していた騎士リィマー・フォン・ラーヴェンスベルク将軍を護衛役に任命するなど、万全の構えを見せていた。
だが、それは実に虚しい抵抗であった。
「戦争王」の嫡子、第3代ポンメルン王マグヌス1世は、1834年11月20日、齢30にしてこの世を去ることとなった。
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「難しい仕事を、よくぞこなしていただきました。必要なこととは言え、主君に刃を向けるなどという汚れ役をお願いしてしまったこと、大変申し訳なく思います」
「いえ、むしろこれほどの意義深き高き大役、任せていただけたこと、感謝申し上げます」
「マグヌス王は『反逆者』ベラールの祝宴にも参加し、関係を深めておりました」
「万が一帝国に反旗を翻すようなことがあれば、それこそオトゲル様の面目が立ちません。私はマグヌス王の臣下である以上に、ルナール家に仕えることを信条としております。その家の破滅を招くようなことは未然に防ぐべきであり、そのために必要ならば我が手を汚すことも厭いません」
「そう言って頂けると私も救われます。本来であれば、このような神の意思に背くようなことは、したくはなかった。それでもまた、この世を治める皇帝の責務であるならば」
「ええ、心中お察し致します」
「・・・まだ幼きマグヌス王のこと、何卒宜しくお願い致します。少し内気なところはあれど、彼はきっと、多くの人から愛される王となれるでしょうから」
「ええ、もちろんです。我が手を汚した償いは、その後継者たるマグヌス陛下を御守りし、ルナールの一族を繁栄させることにあるのですから。
皇帝陛下、私からもお願いが一つ御座います。オトゲル王の名誉を、必ずや回復させてください。あの御方は、世で言われているような方では決して御座いません。多くのことに迷い、苦しまれてはおりましたが、本来の御心は常に清らかで公正、我々のような身分の卑しい者たちに対しても敬意をもって接していただけていた方なのです。皇帝陛下がそうであるように、尊敬されるべき御方でした。
にも拘らず、今や世においてはあの御方を軽蔑も込めて戦争王、などと・・・亡きマグヌス王が御心を病まれてしまったのも、その無責任な風説ゆえだったのです」
「分かっております。そのことは、私も重々。私にとってもオトゲル王は私の家族であると同時に、いつまでも私の主君の一人でもあるのです。神が私に皇帝などという過分な役割を任されたのもきっと、オトゲル王とルナールの一族に名誉を取り戻すためのものであったと確信しております。
時間はかかるかもしれませんが、必ずやその名誉を取り戻して見せます」
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森の向こうに消えていった暗殺者の姿を見送りつつ、ルートヴィヒは自らの仕事に満足感を覚えていた。
これで、獅子身中の虫はいなくなった。先ほどの話にもあったように、まだベラールの反抗心は消えてはいないようだが、奴は今やヘルレ伯領1つしか持たぬ弱小の身。もはや帝国内にルートヴィヒとその子らを脅かす存在はあり得ないであろう。
これで、兼ねてより予定していた「外征」を始める準備が整った。
自分に残された時間は決して長くない。一つも無駄にすることなく、駒を進めていかなければならない。
この先の戦略を思考しながらヴィスマールの宮廷に辿り着いたルートヴィヒに、教皇庁からの遣いを称する者の来客があったことが告げられる。
招き入れられた彼の口から、ルートヴィヒは、いよいよ待ち望んでいたその機会が訪れたことを知った。
すなわち、第2回十字軍の発令である。
第2回十字軍(1134-1137)
史実における第2回十字軍は1145年に発令されている。
このときは第1回十字軍によって建設された複数の十字軍国家の1つ、エデッサ伯国がイスラーム勢力によって陥落したことをきっかけに行われている。
しかしこの物語においては30年前の1103年に成立したイェルサレム王国はいまだ健在であり、この30年間、イスラーム勢力に敗れるどころか剣を交えてすらいない。
しかしこのことが、先代の教皇ルキウス2世以上の「過激派」である現教皇エウゲニウス3世にとっては不満でもあった。彼はイェルサレム王国の女王ディトケが周辺のイスラーム勢力の駆逐とキリスト教勢力の拡大に消極的であり、密かに異教徒たちと手を結んですらいるのではないかと疑心暗鬼にもなっていた。
ゆえに彼は、新たな十字軍を発令し、そこをキリスト教の第2の橋頭保とすることを決意したのである。
但し、エウゲニウス3世の当初の目的地は「アンダルシア」であった。
イベリア半島南端に位置するこの土地は、かねてよりイスラーム勢力の支配下にあったが、近年ではアフリカ北西部を拠点とするムラービト朝が勢力を拡大しており、キリスト教の同胞カスティーリャ王国やアラゴン王国と対立していた。
父王フェルナンド2世を戦場で亡くし、若くしてカスティーリャ王となったアルフォンソ7世の要望もあり、教皇はこのアンダルシアへの十字軍覇権を決意。イベリア半島南端に巨大なカトリック国家を建設しようと目論んでいた。
だが、ここに皇帝ルートヴィヒの横槍が入る。彼はアンダルシアではなく、ファーティマ朝がその勢力の中心を置いている「エジプト」への十字軍覇権を提言する。
もちろん、エウゲニウス3世は当初はこれに反発。そもそもイェルサレム王国の一件から、彼は皇帝の属するルナール王朝に対して懐疑的であり、この行先変更も、中東における彼らの一族の影響力増大を狙ったものなのではないかと疑っていた。
しかしイェルサレム王国がいつまでもこのファーティマ朝との決着をつけようとしない以上、我々が直接これを叩くしかないこと。この地に新たな十字軍国家を建設することでイェルサレム王国を牽制し影響力を与えることが可能であること。
そしてキリスト教統一の主導権を握るためにもアレキサンドリアの獲得は必要不可欠であること。
これらの理由を論理的に説明され、最終的には教皇もルートヴィヒの提案に乗らざるを得なくなった。
教皇自身がいかに彼を信用していなくとも、教皇の周囲の側近たちはみなこの皇帝を尊敬し、真にローマ世界を支配する尊厳者であるとまで言うものまで出てきている。
今表立って皇帝と対立するのは、教皇としても得策ではなかったのだ。
そして1135年1月20日。
全ての準備を整え、ついにエジプトに対する第2回十字軍が発令された。
北はスコットランドから南はサハラ砂漠の向こうまで。
キリスト教連合12万vsイスラーム勢力8万。双方ともに30年前の3倍~4倍の勢力を誇る、史実よりもはるかに巨大な規模の世界大戦へと発展した。
ルートヴィヒは早速、南イタリア司令部を置いていたナポリの地で、帝国軍全軍の召集を開始する。
これを指揮するのはルートヴィヒの次男フロリベルト。大人しく育った長男アルブレヒトと比べ、この次男は父の血を継ぎ「不世出の戦略家」と称されるほどの軍事の才能を発揮。また宗教的な情熱も人一倍強く、すでに60を超え立場的にも最前線で指示できる立場にないルートヴィヒに代わる「聖ニコラウス騎士団」総指揮官としては最も相応しい人物であることは間違いなかった。
「殿下、御武運を。この度は従軍が認められなかったがゆえ安全な地からお見送りすることしかできぬこと、大変心苦しくは御座いますが、その御活躍、切に期待しております」
「いや、我々の召集が完了するまでの3か月間、十分過ぎる歓待を頂いた。さらには数多くの糧食と兵器をもご用意頂き、貴公らの後方支援あって初めてこのような大軍を動員できるのだ。感謝してもしきれぬ思いだ」
フロリベルトは港まで見送りに足を運んだカプア公オトゲル2世に力強く頷く。元ポンメルン王マグヌス1世の弟で、彼にとっては従甥にあたるこの男は、故地北ドイツから遠く離れたこの南イタリアの異邦をよく治め、ルナール家の帝国支配の重要な一角を担ってもいた。
「大軍というのもこと機動力においては難があるということですね。その間に十字軍の先遣隊が北アフリカ・トブルクの地に上陸したとのことですが、これが大敗を喫したとも聞いております」
「うむ。武功を逸って無理をした結果だな。いかに総兵力で敵を上回っていようと、連携が採れず各個撃破されてしまうことほど愚かなことはない」
「よって我々は教皇軍と共に港を出ることに決めた。聖ヨハネ騎士団や傭兵団を含めた1万3千の兵がすでにオスティアを出港しようとしているという。我々も遅れずついていく必要がある」
その3か月後、北アフリカのバルカ=アル=マルジュの地に降り立った皇帝・教皇連合軍は、そのバルカの地と隣接するダーナの地を次々と制圧。
順調にその支配圏を広げていくが、そこにいよいよ、敵側の最大勢力がやってくる。
すなわち、当時北西アフリカからイベリアまで支配圏を広げ、西方イスラーム世界の最大勢力となっていたムラービト朝である。現在は大アミールのユースフ・イブン・アブー=バクルがその指導者の地位についており、単独で1万を超える兵力を有する欧州で言えば帝国級の勢力である。
そんな彼らが中心となって、同盟国合わせ1万5千超の兵力でもって北アフリカの占領地奪還のために降り立ってきたのである。
こちらも兵力を結集できれば十分に対抗できる数ではあるものの、序盤の制圧戦が順調に行き過ぎた結果、十字軍勢力は各自の戦功を競い合い互いに勝手な動きを見せることが多くなってきている。
このままでは、各個撃破されてしまいかねない。
そう確信したフロリベルトは、間もなく上陸すると聞いているアキテーヌ公への遣いだけ残し、自らは軍を率いてバルカの地へと向かうことにした。
敵はまだ船から降りたばかりであり、十分な準備ができていない。後詰もあり、勝機は十分にある。
かくして、1135年10月4日。
第2回十字軍における皇帝軍最初の本格的会戦となる「バルカの戦い」が幕を開ける。
まずは突出している敵兵5千を叩く。
次々と敵の後詰がやってくるが、フロリベルトは冷静に各部隊の指揮官たちに指示を出し、一定間隔で兵を入れ替え、やってくる無数の敵兵を次々と打ち倒していく。
敵の指揮官はリチャード・バトラー。何の因果か、ムスリムに改宗したイングランド人であり、ムラービト朝の大アミール、ユースフ2世から叙勲された騎士でもある。
その軍事的才能は確かではあるものの、フロリベルトの敵ではない。
敵ではない、のだが・・・。
次第に、押し込まれていく帝国軍。
慣れぬ灼熱の砂漠の環境は、戦闘が長期化し、陽が高くなっていくにつれ、アルプスの北の屈強な兵たちの体を想像以上に蝕んでいく。
前線で中心的な戦力として活躍する騎士たちの間にも負傷するものが出始め、バイエルン公ダゴなど一門からもその犠牲者が生まれる。
さらには、右翼を総大将を任せていた東フランケン大公ルートベルトの戦死の報が届くと、それまで一糸乱れぬ動きを見せていた帝国軍の間にもさすがに動揺が広がる。
潮時か。
フロリベルトはすぐさま側近たちに指示を出し、即座の撤退戦を開始した。
第2回十字軍最初の帝国軍本格的会戦である「バルカの戦い」は敗北という形で終わった。5千超の兵がこの戦場で犠牲となった。
しかし、皇帝軍の誉れ高き騎士たちは無数の敵兵を屠り、イスラーム連合の戦力を確実に削り取るという役割は果たした。
そして、この激戦の間に、遣いを残していたアキテーヌ公が中心となり、ロンバルディア公やレンスター伯らが集まった大軍勢が、このバルカの地に向ってきている。
確かにフロリベルトは敗北した。しかし、彼の献身と自己犠牲とが、バラバラだった十字軍を一つにまとめ上げた。
そして、10月30日。
フロリベルトの軍との戦いにおける消耗からまだ回復しきっていないムスリム軍に対し、アキテーヌ公ギーを総指揮官とする1万7千が襲い掛かる。
結果は、今度は十字軍側の圧勝。二つの戦いを合わせ、9千のムスリム兵を屍の山へと変えた結果となった。
この戦いでイスラーム勢力の主力が大きく削られたこと、そして北アフリカの中央部を押さえたことで、東のファーティマ朝と西のムラービト朝とを分断し、勢力の結集を防ぐことができるようになったため、あとは各個撃破・占領地の拡大を進めるだけとなった。
そして1137年2月3日。
イスラーム勢力は降伏し、ファーティマ朝は滅亡。
見事、北東アフリカ一帯に広がる巨大なカトリックのエジプト王国が成立することとなり、その初代女王にルートヴィヒの娘であるフロトゥヴィナが即位することとなった。
こうして、皇帝ルートヴィヒの思惑通りの第2回十字軍が無事、終了する。
その称賛を授かるべくローマに赴いたルートヴィヒは、その場で教皇エウゲニウス3世に「とある提案」を行う。
それは、時代を大きく動かすことになる、壮大な提案であった。
偉業(1137-1146)
1137年4月5日。ローマ。
エジプトから帰国してきた次男フロリベルトとも合流し、ルートヴィヒはヴァチカン宮殿の教皇エウゲニウス3世のもとに参上した。
「皇帝ルートヴィヒ、よくぞ大義を果たした。そして誉高き騎士フロリベルトよ、貴殿の勇気ある活躍は存分に聞いている。共に神の御加護があられたと見え、貴殿らの一族は真に神に愛された一族であるということがよく分かるな」
エウゲニウス3世は珍しく上機嫌であった。何しろ、イェルサレムに続き、それ以上に巨大で意義深いエジプトをカトリックの王国として打ち立てたのだ。教皇史上最大の栄誉が自らの手に入ったという思いで満ち溢れているのだろう。
ルートヴィヒは自らの野望を語るのに最適なタイミングであると確信した。
「倪下、この成功はこの先に控える大いなる偉業のほんの些細な足掛かりに過ぎません」
ルートヴィヒの言葉に、教皇のみならず彼の隣に控えていたフロリベルトもまた、驚きの表情を見せ父の顔を覗き込む。
ルートヴィヒはもちろん、迷いのない瞳で教皇を見据えていた。
「大いなる偉業? ルートヴィヒよ、何を考えているのだ?」
教皇の視線がいつもの警戒心の強いものに変わった。このルートヴィヒという男はいつも想像を超える思考・行動を果たしてくる。今度は一体、何をやらかす気だ?
「御説明させて頂きます」
ルートヴィヒはより眼差しを鋭くし、教皇を射捉える。
「倪下、現行のカトリック教会における果たさなければならぬ課題とは何があるでしょうか。イェルサレムの解放は果たされ、エジプト王国の韓国に伴い、イスラーム勢力の弱体化は大きく進展しております。
それでも、まだまだイスラームは強大な勢力を残しております。北西アフリカからイベリア半島にかけて広がるムラービト朝は、今回の十字軍で痛めつけたとはいえ、その領土は健在です。また、メソポタミアを支配するセルジューク朝はムラービト朝に匹敵するほど強く、今回の十字軍では直接的には関わりはなかったものの、その臣下の兵であるアイユーブには散々苦しめられました」
「このイスラーム勢力に対抗すべく、キリスト教は大きな課題を解決する必要があります。
すなわち、教会の大シスマ(大分裂)です。かつて、テオドシウス大帝によるキリスト教の国教化以来、古のローマ帝国では五大総主教区が置かれ、広大な領域にまたがるキリスト教の統一に貢献をしてきました。
しかし、そのうちのアレクサンドリアとイェルサレムは異教徒の手に落ち、アンティオキアとコンスタンティノープルはギリシア人の帝国がこれを継承していますが、そのギリシア人たちも我々の信ずるカトリックの教義に反発し、その対立は80年前の相互破門という悲劇によって決定的となりました。
今や、なお精強さを誇るイスラームに対し、キリスト教は改めて一致団結しなければならないときであります。特にメソポタミアのセルジューク朝に対抗するためには、その橋頭堡としてのコンスタンティノープルやアンティオキアの重要性はより一層大きなものとなるでしょう」
その空間にいた誰もが、このルートヴィヒの言葉に驚愕し、そして遠巻きにこれを眺めていた枢機卿たちが互いに囁き合う声も聞こえてくる。
「大シスマを終わらせるというのか、貴公が?」
「ええ。それが神にこの大役をお任せ頂いた私の使命だと確信しております。その大望を果たすべく、残り少ない我が人生全てを捧げることをここに誓います」
恭しく神の代理人に向けて頭を下げるルートヴィヒ。その顔に冗談ひとつでも見出すことができないのかと教皇は探したが、そこにあるのはいつも真面目で内心を探りきれない鉄面皮だけであった。
「分かった・・・理解した・・・。だが、貴公がやろうとしていることは、それを果たすためには、まずは同じキリスト教国に対して攻撃を仕掛けるということを意味する。その行いを、私は支援することは難しい。ましてや、十字軍という形を取ることなど」
「もちろん、それは望んでおりません。あくまでも私が私の責任のもとで実行致します。倪下にはただ、それを黙認して頂きたいだけです」
部屋の中のざわつきも止まり、不気味な静寂だけがその場を支配した。教皇はしばらくの間、自身を見据えるルートヴィヒの眼差しを恐れながらも受け止め続けていた。やがて長い沈黙の果てに、絞り出すようにして彼は尋ねた。
「・・・最初の目標は?」
「ギリシア帝国です。聖都コンスタンティノープルを護るべき立場でありながら、この半世紀内紛に明け暮れ続けているあの古き帝国に、引導を渡しましょう」
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ギリシア帝国。後世では東ローマ帝国とも、ビザンツ帝国とも称されるその帝国は、歴史的に見ればまさしく古代ローマ帝国の正統なる後継者であった。その最大領域はイタリア半島にまで届くほどであり、東西教会分裂の解消の主導権はむしろこの帝国にこそあるものとさえ思われていた。
しかし、そんなギリシア=ビザンツ帝国も、11世紀に入ると次第に衰退していった。アナトリアはセルジューク朝の侵攻によって奪われ、シチリアはノルマン人に奪われ、イタリアにおける影響力を失った。
11世紀半ばには最盛期を築いたマケドニア王朝が反乱によって皇帝を退位し、ドゥーカス王朝のミカエル1世とコムネノス王朝のニケフォロス3世とが互いに帝位を奪い合う混乱期へと突入。
1118年にはドゥーカス朝との対立に決定的な勝利を収めたマウリキオス2世(ニケフォロス3世の嫡男)が今度はマクレムボリテス朝に反乱を起こされ、退位。この時の戦いで戦争王オトゲルは命を落とすこととなる。
甥王から戦争を引き継いだルートヴィヒはすぐさまこの無益な戦争から離脱することを決断。当然マウリキオス2世は敗北しマクレムボリテス朝が帝位を簒奪するが、その2年後にマウリキオス2世が再びこれを取り戻す、という状況が生まれていた。
そして現在。再び、いや何度目か分からないが、マウリキオス2世はまたも国内の大規模な反乱に見舞われている。
この反乱に乗じ、帝国北西部のセルビア王国も独立してしまうほどの大混乱期。
既存の反乱に対してもマウリキオス2世は劣勢で、ルートヴィヒの言葉通りもはやこの国は聖地を護る資格がないほどに混乱しきっていた。
ゆえに、カトリックの名の下に真の「ローマ皇帝」を自称するルートヴィヒは、東方のギリシア人たちに対し、コンスタンティノープルの「返還」を要求する。
返答は返ってこない。そんな余裕がないというのが本音だろうが、これをルートヴィヒは侮辱であると断定。総勢8,400の兵を乗せた船を2つに分け、1137年10月にはコンスタンティノープルへと上陸。包囲戦を開始した。
コンスタンティノープルには最低限の守備兵しか残されておらず、世紀の堅城もわずか10ヶ月で陥落と相成った。
その後もギリシア帝国本隊の姿が見えない中、占領地をアナトリア方面へと次々広げていく帝国軍。フロトゥビナ率いるエジプト王国軍も援軍に駆けつけてきてくれ、ギリシア人の支城は大した抵抗もなく次々と門を開いていった。
さすがにこれを看過できないギリシア皇帝マウリキオス2世。自ら率いる軍隊を迎撃に向かわせるも、その数わずか4,000弱。直接対決を避け、アナトリア半島内を右往左往するほかなくなっていた。
1139年6月8日。逃げ惑うギリシア軍をイウリオポリスの地でついに捕らえ、エジプト王国軍も含めた総勢1万2千超でギリシア軍を包囲、殲滅戦を開始する。
フロリベルトを総指揮官とするカトリック連合軍は、この一方的な蹂躙によってギリシア軍を壊滅させ、皇帝マウリキオス2世もこの戦場で捕えられた。
かくして、1139年7月2日。皇帝ルートヴィヒによるギリシア戦争(ギリシア十字軍とも)は圧勝に終わり、ルートヴィヒはコンスタンティノープルとその周辺の土地をギリシア皇帝から割譲されることに。
早速、ルートヴィヒはこのコンスタンティノープルに遷都。世界に名だたる壮麗なる宮殿の中で、自らの成し遂げたことの大きさを噛み締めていた。
平穏は長くは続かない。ギリシア戦争の終盤戦で、衝撃的なニュースが飛び込んできていた。
何と、ギリシア戦争に従軍すべくエジプト王国軍の主力がエジプトを離れていた隙を狙って、ファーティマ朝の旧臣であったムルシドなる人物が同胞を率いて蜂起。一気にアレクサンドリアやギザを奪い、カトリック勢力を周縁部へと追いやった。
当然、この事態を受けて、コンスタンティノープルに滞在していたフロトゥビナとその夫ワルタルドは皇帝に王国奪還の支援を求める。
その二人に対し、ルートヴィヒは応える。
「もちろん、支援はさせて頂きます。ただ、エジプト王国を完全に取り戻す、というのはあまり賛成できませんね。やはりイェルサレム王国と比べ、エジプト王国は巨大過ぎた。今無理をして王国全土を奪還しても、また繰り返し反乱が起き、疲弊し続けることになりますよ。このギリシアの帝国のように」
皇帝の言葉は確かに説得力があった。フロトゥビナもワルタルドもすぐには反論できず、押し黙った。
「しかし、では、どうしろと? このままイスラーム勢力の好きにさせておくということですか?」
「まさか。先ほども言ったように、支援はさせて頂きます。しっかりと彼らに痛い目を見せた上で、適当なところで手打ちとするのです。差し詰め、彼らの中心都市の一つであるアレクサンドリア。あそこを一旦、私の元で預かります。それで終いにすれば、彼らもこれ以上手出しせず、暫くは大人しくなるでしょ。その間に王国の基盤を固め、やがて来るべきタイミングで全土を取り返すようにすれば良いのです」
皇帝の言葉に納得はできなかったが、しかしそれが最善であることも理解していたエジプト王夫妻は黙って頷き、その場を後にした。
その背中を見送りながら、ルートヴィヒはこの僥倖を神に感謝した。
「余計な手間」をかける必要があるかと思っていたが、まさかこういう形で向こうから転がり込んでくるとは。
続いて彼はフロリベルトを呼び出し、三度目の大聖戦への準備に取り掛かるよう指示を出した。
1141年2月12日。
帝国軍はエジプト王国軍本隊と共に総勢2万5千弱の大軍勢でアレクサンドリアに上陸した。
この間、新たにエジプトに成立したムルシド朝に対し、イェルサレム王ケルステンもシナイ半島の征服を目的に兵を出しており、ムルシド朝はすでに風前の灯であった。
さしたる抵抗もなく、1142年3月1日にはムルシドは降伏を宣言。
イェルサレム王国との戦いに集中すべく、帝国軍が出してきたアレクサンドリアの割譲のみという破格の講和条件に彼は飛びつき、わずか1年のスピード降伏となった。
時を同じくして、カトリック連合軍との戦争後のギリシア帝国でも動きがあった。反乱軍との戦いに最前線で対応し続けていた皇帝マウリキオス2世が戦死したのだ。
後を継いで即位したのがわずか18歳の次男シメオン。それは同時に、ルートヴィヒがマウリキオス2世との間に締結していた休戦条約が無効化されたことを意味していた。
「これもまた僥倖。神の御導きか」
ルートヴィヒのもとには先のギリシア戦争に際して捕虜にし、そのまま臣下に加えたマウリキオス2世の長男ルーカスがいた。彼は現皇帝シメオンの兄でありながら、なぜか皇位継承権を持てていなかった。
カトリック教徒であるイェルサレム王ケルステンの娘と結婚していたからか?
いずれにせよそのことに不満を抱いていた彼を抱き込むのはそう難しくはなかった。まずは彼の権利を新皇帝シメオンに対し主張し、アンティオキアの地を彼のために割譲することを迫った。
1143年6月1日。2年以上続いた前回と異なり、第2次ギリシア戦争はわずか1年と少しで終結した。
元々の要求通りアンティオキアをルーカスに割譲させたほか、彼らの末弟であるコンスタンティノスを人質としてルートヴィヒのもとに送らせることとなった。ビザンツ帝国の請求権を持つ彼の存在は、シメオンとルーカス、双方に対する牽制となるだろう。
戦後処理を終えた後、ルートヴィヒはフロリベルトと共にアンティオキアのルーカスのもとを訪れた。
「一国の主としての椅子の座り心地はいかがかね?」
「悪くないな。どうせなら皇帝としての椅子の方に座ってみたかったが」
そう言ってルーカスは豪快に笑う。身長は2mに届きそうなほどの巨体。その人生を自分の意志以上に他人の政略によって滅茶苦茶にされていることなど気にしていないかのように、彼は無邪気であった。
それにしても、自分よりも遥かに高位の存在である主君を前にしても全く忖度しようとしないその鈍感さは度を越しているように思え、フロリベルトは恐る恐るルートヴィヒの表情を覗き込むが、彼は全く気にしていないようだった。
「何、それもそう遠くない未来の話かもしれない。だが、今はそれよりも前に、目の前の話をしたいのだが」
ルートヴィヒの周囲の空気が変わり、さすがのルーカスも表情を固くし、緊張感を持って皇帝の次の言葉を待つ。
「貴公にアンティオキアの都市を与える代償として、戦前に約束していたことは覚えているね?」
「ああ・・・カトリックに改宗する、というやつだろう? それなんだが、やっぱり気が変わったというか、そう簡単に生まれてこの方信じてきた信仰を捨てるのも違う気がしてな・・・」
ルーカスは頭をかきながらルートヴィヒから目を逸らす。恐るべき回答を平気で言えてしてしまうルーカスに恐々とするフロリベルトだが、ルートヴィヒの雰囲気は取り立てて変化していない。
それどころか、彼は諭すようにして丁寧にルーカスに語った。
「気持ちはわかるよ、アンティオキア公。だが、これは何も君にとっても悪い話ではないんだ。
間もなく、私は信仰の大いなる改革に着手する。そのとき、分裂していたキリスト教は真に一つとなり、カトリックこそが正当でそれ以外の宗派は皆、明確に異端とされるときが訪れる。そのとき君がその教えを維持し続けることは、君の人生にとっても決して有益とは言えないよ」
ルーカスは顔を上げ、再びルートヴィヒの目を見る。その表情は柔らかだが、目は笑ってはいなかった。ルーカスは今になって初めて、自分の運命をこの男が隅から隅まで握っていることを実感した。
だが、自分の人生が他人に握られることなど、彼にとってはもはや当たり前のことではあった。その大胆な性格も、その諦念から来る境地であった。
彼はため息を一つ吐いた。
「分かった。カトリックへの改宗を受け入れよう。だが、教会の統一が果たされたとき、皇帝の地位の確保については、よろしく頼むぞ」
ルーカスの言葉に、ルートヴィヒは笑顔で応えた。これで彼の野望達成まで、あと少しだ。
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1143年8月12日。
ルートヴィヒは今度もまたフロリベルトを連れ、イェルサレムの地を訪れていた。イェルサレム王国は先のムルシド朝との戦いに勝利し、元はエジプト王国の領域でもあったシナイ半島を領有していた。
フロトゥビナがその返還をイェルサレム王ケルステンに要求したことで両者の仲はやや険悪になっていたが、今回のルートヴィヒの訪問の目的の1つはその仲裁にあった。
しかし、イェルサレム王の宮廷でケルステンに向き合ったルートヴィヒは、その話をするよりも先に、別の話を切り出し始めた。
「ケルステン殿、貴殿であれば、我々の目指しているところは理解されているであろう」
ルートヴィヒの言葉に、ケルステンはしばしの沈黙の後、やや尊大な様子で返答する。
「キリスト教世界の信仰の統一。そのために五大総主教区すべてをカトリックの下に統一しようとしているのですよね」
「その通りだ。すでにアレクサンドリア、コンスタンティノープル、アンティオキアはカトリックのローマ帝国の従属下に入った。ローマはもちろん、イェルサレムも今やカトリックの支配下だが・・・」
「あとは、私たちがその統一教義に賛成するかどうか、ですね」
ケルステンはその真意を探ることのできない表情でまっすぐとルートヴィヒを見据える。教皇と対峙したときよりも、ルーカスと対峙したときよりも、高い緊張感が辺りを包んでいることにフロリベルトは気づいた。これまでは専ら父ルートヴィヒが生み出す緊張感であったが、今はその主導権をむしろ目の前の従兄弟が握っているようにすら感じていた。
「・・・我々としては、貴殿が大人しくローマ帝国の傘下に入ることを求めている。それが最も平和的な解決策だ」
「断る、と言ったら?」
「そのときは仕方ない。私は王朝の指導者として、一族の持つ土地の支配権を管理する権利がある。それを行使するまでだ」
「随分と一方的な物言いですね」
ケルステンは笑いながらも、確かな怒りを湛えた瞳でルートヴィヒを睨みつける。フロリベルトは思わず身震いしてしまう自分に気がついていた。
「それをキリスト教世界、とくに教皇倪下が赦すとでも? そもそも貴方は向こうでは随分、清廉潔白な評判で通っているようですが、こんな無理矢理な方法で無事に済むのですか?」
「御忠告ありがとう。しかし大丈夫だ。倪下とはもちろん事前に話がついている。それに私の優秀な密偵たちが、貴殿の宮殿に出入りする『無信仰者』たちのことや、君の奥方の『罪深い行い』についての情報をすでに掴んでいる。私の武力行使の言い訳は何とでもつくことだろう」
ケルステンは押し黙った。もはや臣従以外に彼に残された手は存在し得ないだろう。
フロリベルトは今頃イェルサレム王国の周辺に帝国軍とエジプト王国軍が姿を現し、臨戦体制に入っているであろうことを知っている。「イェルサレム王と戦争をする気ですか?」とその話を聞いたフロリベルトが父に聞いたとき、父は答えた。「最悪の場合を想定しての動きだ。だが、安心し給え。その場合というのは、まず起こることはない」
事態は父の想定通りに進んだ。双眸に浮かぶ強い敵意と怒りだけは消えぬまま何も言えずにいるケルステンに対し、父皇帝ルートヴィヒは最後に言い放った。
「そうそう、シナイ半島は現状のまま君の持分であることを確認している。そこは君が自らの力で勝ち取ったものなのだからね。私の方でフロトゥビナには納得してもらっている。一族力を合わせ、異教徒たちとの正義の戦いを遂行していこうじゃないか」
こうして、ルートヴィヒによる「仲裁」は無事終わりを告げ、彼は神聖ローマ皇帝にしてイェルサレム王そしてアレクサンドリアとコンスタンティノープルの支配者という称号を得ることとなった*2。
そして、ついにその時がきた。
1144年11月8日、ギリシア帝国も打ち負かし、ローマ帝国の正当なる後継者であることを宣言したルートヴィヒは、ローマ教皇エウゲニウス3世及びコンスタンティノープル総主教ポルフィリオスとの連名で*3開催が宣言された第5回コンスタンティノープル公会議において、東西教会のみならず、700年前のカルケドン公会議によって分離した非カルケドン派正教会の教えもすべて含め、キリスト教の教義の統一化を宣言した。
それは実質的にはカトリックの教義への一本化であり、ここにおいてキリスト教世界におけるカトリックの完全勝利が達成されたのである。
この偉業を受けて、教皇エウゲニウス3世はルートヴィヒの属するルナール王朝に対する「血統の聖別」を実施。
これによりルナール王朝は全キリスト教徒たちから尊敬されうる一族として認められるようになり、ルートヴィヒ自身もあらゆるキリスト者たちの「規範」となりうる存在として、公に称賛されるようになったのである。
すべては順調であるように思われた。ルートヴィヒは自分が本当に神に選ばれた英雄の一人であると信じ始めており、その為すことすべてが思い通りに進むと思い始めていた。
だが、そんな彼の傲慢を戒めるような出来事が出来する。
1144年12月22日。
ギリシア帝国に対する、3度目の聖戦を開始する。キリスト教唯一の正統な信仰であると証明されたカトリックを今なお拒否し続ける皇帝シメオンを退位させ、カトリックの正統なるギリシア皇帝権利者ルーカスをその地位に就けさせるための聖戦だ。
その聖戦を帝国軍最高司令官として指揮していた第2皇子フロリベルトが、戦場における疫病を理由にして突如、この世を去ることとなったのである。
目的の達成のためならば、それ以外のすべてを犠牲にしてでも構わない、と彼は信じていた。
しかしその報せを耳にしたとき、あまりの衝撃に彼は生まれて初めて涙というものが湧き上がる感触を味わい、慌てて身を翻すと自室へと飛び込み、そして側近たちに向けて以後、自分が自ら出てくるまでは誰一人として部屋に入れないことを厳命した上で、そのまま寝具へと頭を沈みこませた。
時折、自分の口からこの世のものとは思えない慟哭が吐き出されるのを、他人事のように冷静に受け止めていたルートヴィヒは、やがて何時間も何日も経過したかのような感覚ののち、ひどくやつれた顔を隠しもせず部屋を出て、不安気な顔で待ち構えていた側近たちへいつも通り声をかけていく。
「戦況はどうなってる」
「は、総指揮官にルーカス殿を任命し、戦況は順調。10月までには大勢は決するでしょう」
「アルブレヒトは今どこにいる」
「は、陛下がお部屋に入られてすぐ、ヴィスマール城に遣いを出しております故、8月中にはコンスタンティノープルにも到着するかと」
「いや、いい。ウィーンに特使を派遣し、アルブレヒトがそこを通ったときにフランクフルトへと向かうよう指示を出してくれ」
「フランクフルト、ですか?」
「ああ」
ルートヴィヒは、もう自らの命が長くないことを悟っていた。
その前に、やり残したことをやらねばならぬ。我が一族、その繁栄と永続のために尽くしてきたこの人生の最後に。
「12月までにはフランクフルトで選帝侯会議を招集する。諸侯にも伝えよ。選帝侯は皆、必ず出席するように、と」
1145年12月23日。
年の暮れが近づくその冬の日のフランクフルトにて、17年ぶりの選帝侯会議が招集される。
議題はもちろん、次期皇帝の選出。しかし、現皇帝ルートヴィヒ存命中という異例の開催である。
それは、十字軍の英雄として満場一致の選定が確実視されていた第二皇子フロリベルトの死を受けて、唯一残された男子である第一皇子アルブレヒトのローマ王選出を絶対のものとすべくルートヴィヒが仕掛けたものであった。
結果は、満場一致とはならなかったものの、それでもルートヴィヒの目論見通り第一皇子アルブレヒトが圧勝。それ以外の候補者も皆ルナール王朝の者であり、この一族が与える影響力の高さを内外に知らしめる結果となった。
その結果に満足したルートヴィヒは、共にコンスタンティノープルの宮廷へと帰還したアルブレヒトをローマ王として自らの共同統治者に指名。
一通り伝えるべきことを伝えると、そのまま少しずつ政務から遠ざかるようになり、自室に引き籠ることも多くなっていった。
それはかつての彼を知る者からすれば、全く別人になってしまったかのような様子であったという。
だがそれは、彼にとってはその人生においてようやく手に入れた平穏の時間だったのかもしれない。
彼はその70年の人生をひたすら駆け抜けてきた。最後の最後まで、彼は常に何かしらの焦燥感に駆られ、追い立てられるようにして自らの義務を果たしていった。
その過程で彼は数多くの罪を抱え、それでも自らの責務を第一に考え、いつしかその心は氷のように固くなっていった。
だが、それももう、終わりなのだ。
私はもう、世のあらゆる人がそう信じているような、天国への道は用意されていないだろう。それでも、我が血族が、永遠の繁栄を享受する礎を築く、その役割を果たせたのであれば満足だ。
1146年12月16日。「大帝(der Große)」と称されるほどの偉業を成し遂げた英雄ルートヴィヒは、その70年の生涯の幕を閉じる。
その手によって築かれた未来への希望は、果たして彼の望み通り現実のものとなるのか、それとも――。
第五話へ続く。
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*1:ヴァルぺ伯マグヌス2世の嫡男。
*2:なお、ゲーム的にはこのあと実際にイェルサレム王国と矛を交えているのだが、特に見どころがないことと物語上微妙なことから省略し、物語上ではケルステンが戦わずして臣従を決意したことにしている。さらに言えばこのあとローマの完全支配という大分裂修復ディシジョンの達成のために必要な条件を満たすべく教皇とも戦争をしているが、そこも物語上省略しているため悪しからず。
*3:なお、カトリック主導で行われたこの統一において、全キリスト教の指導者の地位はローマ教皇に優位性が認められることとなった。今回も形式上は対等な立場でコンスタンティノープル総主教が開催を宣言しているものの、その主導権は完全にカトリック側に握られている。