11世紀半ば。ドイツ東部ラウジッツ辺境伯領内に位置するシュプレーヴァルトの領主オトゲルは、「きつね」の紋章を特徴とするルナール家の一員であった。
生まれた直後に双子の弟を殺され、その5年後にも父を殺された彼は、まずは復讐の為にその首謀者であった隣国ゾンマーフェルト伯領に侵攻。領主ヤーコプを捕らえることはできなかったものの、その領土を奪いひとまずの復讐を遂げることはできた。
その後、煩悶する精神を癒すべく巡礼に挑んだオトゲルは高い信仰心を得るようになり、これに基づいて彼は領土の北方に広がるノルトマルクの地に巣食うスラヴ人たちに対する「聖戦」を行うことを決意。
これに勝利し、オトゲルは主君・ラウジッツ辺境伯を凌ぐほどにまで領土を広げることとなった。
さらに、彼は野心を広げていく。かつて、弟と父が殺された原因は、自分たち辺境の卑しい「きつね」に対する蔑みと侮りにあると理解した彼は、これを跳ね除けるだけの力が必要だと感じていた。
かくして1081年。皇帝エルンストの許諾を得て、ノルトマルクのさらに北方を支配するスラヴ人たちに対する「大聖戦」を実行。
総勢1万を超える兵士たちが削り合うブランデンブルクでの決戦を終え、ついに1083年1月、ヴェレティ族首領クルートォイは降伏。
バルト海に至るまでの広大な領域を確保したオトゲルは、そこに皇帝認可の下「ブランデンブルク辺境伯領」を設立することとなる。
初代ブランデンブルク辺境「隻脚伯」オトゲル。その人生は、悪化した扁桃炎によってわずか44年で幕を閉じる。
しかしその治世はこの一族の永遠の繁栄に向けた大きな礎となったことは間違いないだろう。
この礎を受けて、その息子、第2代ブランデンブルク辺境伯ゲロは一体どんな物語を紡いでいくのだろうか。
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- The Royal Court
- The Fate of Iberia
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- Personage
- Nameplates
- Community Flavor Pack
- Ethnicities & Portraits Expanded
- More Background Illustrations
- NUI;Realm Ledger
- [1.9]CFP + EPE Compatibility Patch
- Big Battle View
目次
第1話はこちらから
父の影(1085-1087)
信仰の影:たそがれどき
このような模範的な神のしもべの息子であることは、何という喜びだろう!
誰もが彼のことを献身的な辺境伯と呼ぶのを聞くと、私は胸が熱くなる!
彼の徳は、祭司からも敬虔なカトリック信徒からも尊敬されている。私は父の影に謙虚に留まるのだろうか?
それとも、自分の人生において、このような敬虔さを達成し、凌駕することができるだろうか?
神の良き恩寵は、父と同じように私の中にも現れるのだろうか?
いつの日か、あなたに追いついてみせる、父上!
「ゲロ、ケルンへ行くのでしょう? 私もついていくわ」
旅の支度を進めていた第2代ブランデンブルク辺境伯ゲロは、母エルサンから声をかけられた。
「母さんが? いいよ、母さんは家でゆっくりとしていてよ」
夫を亡くしたばかりの母に、ケルンまでとはいえ長旅は難しいのではないか、とゲロは気遣ったつもりだった。
しかし母は心外な、というような表情で、力強く応えた。
「任せなさい。私はかつてあなたの父上と共にすでにケルンへの巡礼を経験しているわ。それ以外にも、あなたの父上とはよくいろんなところを旅していたのだから、間違いなく貴方よりは旅慣れているし、頼りになるとは思うわよ」
「それに・・・」と母は続けた。「彼を亡くしたばかりだからこそ、私はあの城にこもっていたくはないの。美しいドイツの風景を眺めつつ、神と対面してこの心を晴らしたい。ねえ、ゲロ。母の願いを聞いてもらえる?」
そこまで言われたら、ゲロも断るわけにはいかなかった。彼は「慈悲深い」人物であり、その相手が実の母となればなおさらであった。
巡礼の旅の途中では色んなことがあった。
ハーフェルベルクの森の中では狼に襲われそうになっていた男を騎士アーノルドに命じて助けさせたり、
ライプツィヒ近郊のハレの町では、貧しい農民が苦しそうにしていたものをお金を渡して助けてやろうとしたところ、彼が実は変装していた金持ちの貴族であり、逆に沢山のお金をもらうなどの出来事もあった。
そんな中、4月23日。2ヵ月をかけてケルンの地に到着。
私はついにここに来た、肉体も魂も、ケルンの偉大な教会に。
司教が私に祝福を与えるとき、神が私をここに導くために起こるべくして起きたすべてをこの瞬間に振り返った。
かつて父も授けられたという祝福を身に浴びて、改めて父から手渡された偉大なる責務への実感を認識し始めていた。
そして、ケルンでの滞在中、ゲロは母エルサンとの別れも経験する。
修道僧になることを望む、と告げる母。
その瞳には、いつも強気で勇敢な姿を見せている彼女にしては珍しく、涙が流れていた。そういえば、父の死を前にしたときでさえ、彼女は涙を見せることはなかった。
それゆえに彼女に対して冷酷だ、などといった不名誉な噂が流れたこともあった。
しかし、そうではなかったのだ。彼女は父の死に伴い唐突に背負わされた家に対する責任感・重圧を前にして、気丈に振るわざるを得なかったのだ。
それが、かつて父と共に訪れたこのケルンの教会において、神を前にして、その緊張の糸がふっと途切れたのだろう。
その母を解放できるのは、神と、そして息子である自分だけだ。
ゲロはしっかりと頷き、答える。
さて、すべての行程を終え、いざブランデンブルクに戻ろうとした、そのとき。
一頭の早馬がブランデンブルクの方角からやってきて、ゲロの前に立つと膝を曲げて崩れ落ちた。その背から地面に放り出された男は顔を上げ、息も絶え絶えの様子でゲロに報告する。
「閣下、スラヴ人たちが蜂起しました! 北方旧ヴェレティ族領から出現した異教徒の軍勢は現在ルピーンとヴィスマールの城を包囲中であり、その総兵力は4,000名近いとのことです!」
オトゲルは息子には平和な統治を期待していたが、時代はそれを許すことはなかったようだ。
父を超える、ということを目標としたゲロの、最初の試練が早速、始まる。
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まずはルピーンを包囲する少数のスラヴ人たちを駆逐すべく、元帥デルヴァンが1,500の兵を率いて北上する。
数的有利にある緒戦は優位に進められている。援軍が来る前にこれを全滅させ、各個撃破したいところだが・・・
間に合わない! 2,398名の異教徒軍がデルヴァンの軍を襲撃する!
敵の総大将マリアン率いる本隊はあまりにも強力で、次々とブランデンブルク軍が削られていく。デルヴァン元帥も敵の矢を受け、重傷を負う。
さらに敵側の増援まで近づいてきており——。
もはや、これまで。
デルヴァンはすぐさま全軍に撤退を命じ、騎兵隊を中心に敵の追撃を退けることに全力を費やしていく。
最終的には敗北となったが、整然とした退却戦の結果、追撃で失われる兵は最小限に留めることができ、結果としては敵よりも犠牲の少ない形でブランデンブルク城まで撤退することに成功した。
ブランデンブルク城に運び込まれた負傷兵たち。
急ぎ返ってきたばかりのゲロ伯は、先頭に立って彼らを玄関口で出迎えた。
「デルヴァン、大丈夫か!?」
「誠に申し訳ございません、閣下。兵を預けられている身にも関わらず、不甲斐ない結果に・・・」
「気にするな。お前はよくやった。これだけの数の兵が、傷を負いながらも城に戻ってこれたことが、何よりの戦果だ。今は戦のことは考えず、まずはその傷を癒せ」
「しかし、閣下。このままではやがてあの蛮族どもがこの城にもやってくるでしょう。なんとかしてこれを撃退せねば・・・」
「大丈夫だ、安心しろ」
自信に満ちたゲロの言葉に、デルヴァンは顔を上げ、不思議そうな顔で彼を見返す。
「皇帝陛下率いる3,000の軍が、こちらに向かってきてくださっている。同盟を組むデンマーク王の援助でドイツを離れていたが、ようやくそちらの状況が落ち着いてきたとのことだ」
「それでは・・・」
「ああ、皇帝軍と共に蛮族軍を壊滅させる。そのための兵を率いるのは・・・私だ!」
1086年1月30日。パルヒムの森から皇帝軍が飛び出してくるのと同時に、リンドウの森からもゲロ率いる1,300の兵を出撃させ、ルピーン包囲中の敵本隊を一気に襲撃する。
全方位を囲まれ、逃げ場のない蛮族軍を、一人も残さない勢いで次々と屠っていく。敵側にはすでに騎士の姿もなく、こちらの精鋭騎士12体が一方的に戦果を叩き出している状態だ。
結果は圧勝。敵兵は全滅となり、総大将マリアンも負傷させられた上で囚われの身となった。
かくして、鎮圧の果たされたこの「マリアンの乱」。
しかし、ゲロはこれで終わらせるつもりはなかった。
同様の反乱がまた起き、臣民が傷つけられることのないよう、彼は敵の「残党」を駆逐することを決める。
1086年4月18日。
雪解けを待って、バルト海沿いのヴェレティ族最後の拠点に対する「聖戦」を開始する。
1087年3月にはついにクルートォイが降伏。リューティチ族に続き、ヴェレティ族も北ドイツの地から駆逐することに成功した。
私にもできる、とゲロは確信した。偉大なる父が成し遂げたような、真なる信仰に基づく、大いなる役目を果たすことが!
そしてそれは、きっと父をも超えるものになるはずだ!
信仰の影:かはたれどき
私の偉大な父、ブランデンブルク辺境伯オトゲルが天に召されたときから長い年月が経った。彼が今、天国で神に仕えていることを願っている。しかし、彼の信仰の精神は、インスピレーションと挑戦の源として、今も生きている人々の中に存在している。私は今でも敬虔なカトリック信徒たちから「彼の息子」とみなされている。つい昨日も、年老いた祭司が現在の支配者として彼を称賛していた!
神は私についても同じように感じておられるのだろうか? 私は、父の影から一歩抜け出し、自分自身の信仰の男として証明する必要性を感じている!
神はオトゲルを「私の父」とみなすだろう!
そのとき、ゲロのもとに一通の手紙が届けられる。
それは、父オトゲルとも親しかったという、教皇ルキウス2世からの手紙であり、「ローマの地で、学問に勤しんでみてはいかがかな?」という、「大学訪問」の誘いであった。
正しき信仰の為には、正しき智慧も必要となる。特に、教皇との関係を構築しておくことは、今後に向けても意味のあるものとなるだろう。
ゲロは「大学訪問」を行うことを決断した。
智の都(1089-1091)
1089年10月。
身の回りの整理を済ませた上で、妻ハサラを摂政として城に残し、少数の騎士と旅の世話役だけを伴って、ゲロは遥か南方に位置する歴史と信仰と叡智の都、ローマを目指す旅に出る。それはエルツ山地を越え、アルプスを越える必要のある、片道半年もかけなければならない過酷な旅であった。
その途上では、様々な出会いと経験があった。
デッサウの田園地帯では、まるでキリストのように柱に括りつけられた男の姿を目にする。
明らかに不気味な存在ではあったが、神に試されているのだろうと信じたゲロはこれを救い出す。聞いてみれば、彼は税の取立人であったようだが、頭が足りないところが多いのか、気づけば農民たちによってこのように磔にされてしまっていたという。
解放された彼は何度も何度も感謝の言葉を述べ、しまいにはついていきます!と元気よく言ってきたが、やわらかくそれは断った。果たしてこれは本当に神の試練だったのだろうか?
また、厳しいアルプス越えを果たしついに足を踏み入れたイタリアの地では、かつて皇帝に反旗を翻したこともあるトスカーナ辺境女伯マティルダの所領フィレンツェにおいて、農園の主チュッチョによる豪勢な饗宴を開いてもらった。
しかし朝になると、彼はゲロに対してこう告げたのだ。
「閣下、昨日のような豪華な催しを開くのには、それなりの金がかかるものでして・・」
やれやれ・・・ゲロはここでも気前よく、農民に対して銀貨を支払うことにした。そしてそのことはどうやら、後に女伯マティルダの耳にも入ったらしい。結果的にこれは外交的な成功となったようだ。
そして・・・ゲロにとって重要な「出会い」も、この旅の中では生まれた。
1090年4月5日。春の暖かさの訪れは北のドイツとは比べ物にならないくらいこの地では早く、その心地よさがゲロの心の障壁も脆いものに変えてしまっていたのかもしれない。
ゲロはこの聡明な男は何かにきっと役に立つだろう。信仰に対する熱も誰よりも強く、これからも私の良き助言者となるはずだ、と従者たちを説得し、彼を旅に同行させ、やがて宮廷に連れて帰ることを宣言した。従者たちは困惑したが、たしかにヴィットーレは頭の回転も非常に早く、かつ宗教的な情熱は明確に強かったため、最終的にはゲロの言う通りにすることにした。
かくして、旅の同行者を増やしつつ、ブランデンブルク辺境伯一行はいよいよ「永遠の都」ローマへと到達する。
当然、ここでのゲロの目的は学業である。
例えば尊敬すべき教師が外国語を話していれば、必死でそれを習得するよう努力する必要がある。
ルトガーはバチカンで最も尊敬されている教師の一人だが、明らかに外国人だ: 彼のアクセントと物腰は彼がフランケン人であることを裏付けている。
彼の母国語を学ぶことは、ルトガーとの特権的な関係を育み、将来への良い投資となるに違いない。
あるいは、権威あるゲスト講演者がやってきたときには・・・
「生徒の皆さん、今日は尊敬すべき講演者に来ていただきました!」私の師であるルトガーが叫ぶ。
「バチカンの教義の権威であるジェラルド司教をお迎えしましょう」
「よろしく」
ジェラルド司教は厳粛な様子で話し始めた。
「今日は、地図の作成について探っていきます。そしてそれが神の御意思とどのように結びついているのかを」
他の生徒たちは背筋を伸ばし、羽ペンを手にする。しばらく時間がかかりそうだ。
私はどうする?
司教の言葉を一言一句逃さぬように猛烈に走り書きでメモしていく。
そんな折、こんなこともあった。
農民たちの宴
夜中の勉強中、誰もおらず静かで快適だったはずの学堂に、突然けたたましい叫び声と共に騒々しい二人組の男が入ってきた。
その二人はどうやら農民のようだった。随分と酔っているようだった。彼らがどうやってここに入ってきたのかはわからない。「これで奴らに教えてやる!」
「いやあ! あいつら、字が読めるってだけで、俺たちより偉いと思ってるんだぜ!」
私は彼らの下に近づいていった。二人は少し警戒した様子でこちらを睨みつけているが、私はそんな彼らに優しく笑顔で語り掛けた。
「それでは私が君たちが学べるよう手配してやろう。その代わり、身に着けた知恵は私の宮殿で私のために使ってくれないか?」
明らかに高貴な貴族然とした男からのその申し出に、二人の農民は酔いも一発で醒める思いで驚きながらも、やがてゲロの申し出に静かに大人しく頷いた。
そして、講義の最終日には驚くべきゲストが登場した。すなわち、教皇ルキウス2世その人である!
「全生徒に告ぐ!」
部屋に入ってくるなり、ルトガー先生が生徒一同に聞こえるように大きな声で叫んだ。その背後には・・・畏れ多き教皇ルキウス2世猊下が立っていた。
「本日は我々の恩人である教皇猊下にお越しいただきました!」
猊下は生徒たちの様子を見渡しながら、優し気に語り掛ける。
「星と惑星について議論しているのかな? 私もその話題は好きだ。君たちの勉強がうまくいくことを心から願おう!」
私はタイミングを見計らって教皇猊下に近づく。猊下も私と会うのは初めてのため、最初私を誰かは分からなかったようだが、ルトガー先生が耳打ちをしてようやく合点がいったようで、柔和な笑顔を浮かべて私を抱擁してくださった。
そんな猊下に、私は「とあるもの」を差し出す。
どうか、このささやかな贈り物を受け取ってください。
猊下はおそらく私の学問の「成功」を後押ししてくれることだろう。そしてその後の私の活動に対しても。きっと、今支払った金額は何倍もの価値となって帰ってくるはずだ。
そして10月14日。半年間のバチカン大学での学びを終え、
これは本当に素晴らしい経験だった!
バチカンで学ぶ賢者の数、その思考の深さ、研究の幅の広さは、出発時には想像すらできなかった! 彼らと同じ環境に身を置くだけで、私はより良い人間になれたし、新たに得た知識で、大満足で帰路につくことができる。
わずか半年の滞在に過ぎず、そこで何年もかけて学んでいる顕学たちとは得るものは比べ物にならないであろうが、それでも、一領主として可能な限りの投資をそこにかけることができた。
さて、それでは家路につくことにしようか。
だがその前に、せっかくここまで来たのだから、永遠の都ローマを観光してみるのも悪くない・・・。
この旅は、ゲロにとって信仰をより深くするうえでも大きな役割を果たすこととなった。
それからさらに来た道を戻り、山を越え、半年間をかけて、ようやく我が故地に辿り着いた。2年近くにも及ぶ、壮大な旅であった。
旅から帰ってきて、留守を任せていた妻に御礼を伝えに行こうとしたところで、懐かしい声に呼び止められる。
「兄上、お帰りなさい。無事お戻りになられたようで、安心いたしました」
年の離れたゲロの弟にして、メクレンブルクを始めとした旧ヴェレティ族支配領域の統治を任せているルートヴィヒだ。悪童と言われてきた彼も今や立派に成長し、その聡明さと司教に育てられ育まれたおおらかさ・公正さが際立つ名君となっているようだ。
彼の顔を見て、ゲロは思い出す。
そうだ、父がザクセン公の娘と彼とを結婚させるために公に約束した、壮大なる結婚式の開催をしなければ・・・
約束の期日まで、あと半年もない。
ゲロは慌てて家令のテオドヴィンに命じ、開催費用をかき集めさせると共に準備を急いで進めることにした。
信仰の強さは十分に証明して見せた。
次は、世界各国の王侯たちとの外交を完璧にこなし、その威厳を世に広く知らしめてみせよう!
結婚式(1091-1092)
1091年8月7日。
ブランデンブルク辺境伯ゲロ2世は、世界各地の王侯を含む多くの人々に招待状を送り、来年の冬から春にかけて、弟ルートヴィヒとザクセン公の娘ヴルフヒルデとの結婚式を盛大に執り行うことを宣言した。
かのブランデンブルク辺境伯創設者オトゲルの息子にして、彼自身もまた聖戦を成功させた者として名声を博しつつあったゲロの呼びかけに応じ、世界各地から多くの著名人たちの参加表明が返されてくる。これは成功しそうだ。
そして、そんな参加名簿の中に、彼女の名前を見つけたことでゲロはより一層、嬉しくなった。久しぶりに母に会えるのだ!
そして冬が過ぎ、春の訪れと共に、ついに式は開幕した。
さあ、外交の舞台だ。
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1092年3月14日。
式の合間、ゲロは狙っていた近隣の大国ボヘミアのヤロミール王に近づき、話しかける機会を得た。
「残念なことに、最近我がボヘミアの地では天候が優れず、どこも凶作続きなのだ。国民が飢えているのを知りながらこのような場所に来ることに後ろめたさを覚える」
「私の領国で行っている新しい農法について教えましょう。それまでは、私たちの方で余っている食糧をお送りすることもできます。何、困ったときはお得意様です。それぞれができるそれぞれの得意分野で、支え合おうじゃないですか!」
続いての「標的」は皇帝その人である。どうやって会話の糸口を見つけようか迷っていたところ、部屋の隅で幸せそうに酒を飲んでいるデンマーク王エリクの姿を見つける。つい先日もエリクの息子がエリクに対して反乱を仕掛けた際、すぐさま皇帝が駆け付けたほどに、二人の間には固い信頼が結ばれていたという。
その信頼を、利用させてもらう。すぐさま彼のもとに近寄り、追加の酒を注ぎながら、何気なさを装って彼に皇帝のことについて聞いてみる。
この情報をもとに、早速皇帝に話しかける。
そう、戦争の話だ。
話をしてみるとこのアダルベルト皇帝、根っからの兵器・戦争マニアらしく、ゲロも聞いたことのないような最新鋭の武器・兵器の話やら、聞いたこともないような伝説の騎士とその戦いぶりの話なんかが湯水のように湧き出てきた。
それまで周囲を固めていた取り巻きたちは段々とついていけなくなり、少しずつその場を離れていったのだが、私はそれをうんうんと頷きつつ、時折相槌を打ち、これを「楽しく」聞いていた。
やがて皇帝陛下は話の最後にゲロの肩を掴み、まっすぐと目を合わせて語り掛ける。
「辺境伯殿、余は貴公を勘違いしていた。貴公はこれほどまでに先進的で、知的な御方だったのだな。これまで余は貴公との関係をただの主従の関係としか見ていなかったが、これからは改めよう。どうだろう、我々は友として、共にこの帝国の地を治めるべきだと思うのだが」
「喜んで、陛下。私は貴方をただの主君としてではなく友として、御守りすることを誓いましょう」
もちろん、新婦の父であるザクセン公マグヌスも、この結婚式、そして幸せそうな娘の姿に、一人の政治家としてではなく、一人の父として、感極まっているようであった。
「認めよう! あなたの兄弟は・・・ヒック・・・私の娘にとって良い組み合わせだ! ヒック・・・彼らが幸せでありますように!」
この、ルナール家にとって最も強大で最も重要な同盟も、改めて盤石なものとなったことをゲロは確信した。
だが、気になることが一つあった。
この一族にとっても晴れ晴れしい舞台であるこの日に、末弟のエシコが来なかったことだ。
姉たちと違い、領国を持つ彼はその経営に忙しい、と言い訳を並べているようだが、その実がどうなのかは計り知れない。
外交は成功した。十分な成果を残した。
次の課題は・・・内患だ。
不和の兆し(1094-1095)
1094年6月。
弟の結婚式から2年が過ぎ、領国経営も平穏に過ぎつつある中、34歳を迎えたゲロは国内の視察を兼ねて「巡歴」を行うことにした。
その2番目の目的地である、弟ルートヴィヒの居城ヴェルレ近郊の集落に辿り着いたとき、そこでは今にも処刑されそうになっている一人の女の姿があった。
聞けば、この女性はこの街で薬草を扱う女医として知られており、多くの人びとの命をその薬草で救ったり、貧しい人々に無償で治療を施していたという。
しかしルートヴィヒの摂政でもあったメクレンブルク司教が彼女を魔女であると告発し、ルートヴィヒもそれに従い、法に則った処刑を施そうとしていたところだという。
ゲロはすぐさま役人に対し、この女性と男とを解放することを命じた。
「しかし・・・」と役人たちは互いに顔を合わせ、逡巡した様子を見せたが、ゲロの目が異論を許さない強いものとなっていることに気づき、すぐさま二人を解放した。
問題は、ルートヴィヒとの関係だ。
11月8日。肌寒い雨の降る中、かつてスラヴ人たちの砦であったヴィスマール城において、弟ルートヴィヒと対面する。
「どうだ、ルートヴィヒ。ヴルフヒルデとの関係は良好か」
「ええ、問題ありません。兄上の主宰していただいたあの素晴らしい挙式のお陰で、以後も我々は幸せな日々を送れております。4か月前には私たちの間の最初の息子、マルクヴァルトも生まれました」
「ああ、聞いている。そのときはすぐ駆けつけて来れずすまなかった」
「いえ、兄上も多忙な身ゆえ、理解しております。こうしてこの寒い時期にわざわざ足を運んでくださっただけでも身に余る光栄です」
互いが互いを探るようにして当たり障りのない会話をしばらく続けていたが、やがてルートヴィヒの方からその件について切り出してきた。
「・・・ところで兄上。少しばかり、気になることを耳にしたのですが」
ゲロは無言で先を促す。
「先日、悪魔の儀式を行っていた罪で、一人の女性を刑に処そうとしておりました。それは我が領国に布告された法に従って、何ら問題のない量刑であったと確信しております」
「そうだな、魔女に対する罰は、辺境伯領で共通するものであり、私もお前も同様に公正さを重んじる性質であることは理解している。それは問題ない」
「それではなぜ・・・兄上、あなたがその女性を解放させたと聞いております」
ルートヴィヒの眉間に皺が寄り、強い眼差しでゲロを刺し貫こうとする。
「もちろん、魔女に対する罰はお前が言った通りで間違いがない。だが、彼女は本当に魔女だったのか? 聞けば、彼女は町医者で、薬草を使って貧しい農民たちを助けていたようじゃないか」
「しかし、薬草を使った治療は、悪魔の所業であると・・・」
「それは、お前の街の法で定められたことなのか?」
「い、いえ、司教エンゲルベルトがそのように・・・」
「だとしたら、それは正しい判断ではない」
ゲロの言葉に、ルートヴィヒは押し黙る。
「本当の公正さとは、広く客観的に物事を見て、判断することだ。決して自分と親しい、恩のある人間の見方だけを信じるものではない。私もヴァチカンに行き、数多くの人びとと交わり、学んできた。あの地に住まう高位の聖職者たちでさえ、その意見を違わせて激しい議論を巻き起こしていた。
だが、それは必要なことなのだ。議論の末に、やがて、それなりに正しい結論が導かれていく。多くの見解、多くの視点が交わって初めて、正しい神の導きが見出されるのだ。
ヴァチカンの高徳な司教様たちでさえそうだというのに、我々のような辺境の地の司教の一意見が、なぜ神の御意思に沿っていると確信できる?」
ルートヴィヒは反論もできず、押し黙り続けていた。
「とは言え、我々がローマの顕学の如き智慧を振りかざすことも難しいだろう。それであるならば、ルートヴィヒ、我々はもう1つ、神より授けられたこの大いなる慈愛の精神でもって、統治にあたるべきなのだ。最後にはそれで、すべてうまくいく」
「・・・なるほど」
ルートヴィヒは静かに微笑む。
「実に兄上らしい意見です。兄上、兄上が人びとに何と呼ばれているか、ご存じですか?」
唐突な問いにゲロは面食らうが、「分からないな」と頭を振る。
「『慈悲伯』ですよ、兄上。貴方は世界各地で貴賤問わず常に慈悲深い行動をしていると、評判です。ゆえについた渾名が、『慈悲伯』。その呼び名と共に、貴方は世界中の多くの諸侯や民衆から愛されている」
急に気恥ずかしくなってゲロは言葉を失う。しかし、悪くない気分であった。
「分かりました、兄上。私ももう少し冷静になります。そして司教とも一定の距離を置き、もっと多くの方々の意見を聞くようにしましょう。御助言、感謝申し上げます」
ルートヴィヒの言葉に、ゲロはホッとする。どうやら、理解してもらったようだ。
「ですが、気を付けてください。誰もが私のようにあなたに敬意を払うとは限りません。中には、強い憎しみと悪意をもって、貴方に対峙しようとする者もいるでしょう」
「・・・エシコのことか」
ゲロはルートヴィヒの言いたいことが良く分かった。それは、彼がこの後に訪れる予定の末弟エシコのことであった。彼はつい先日もゲロの宝物を奪おうとするなど、不安定で敵対的な行動が目立っていた。
「なんとか、彼にも理解してもらえるようにするよ」
「御武運を、兄上」
不安気な表情を見せるルートヴィヒに笑顔で手を振りながら、ゲロはその場を後にする。
さて、どうしたものか。
1095年1月30日。
ヴォルガストにあるエシコの居城を訪れたゲロは、そこで彼による歓待を受けることとなる。
そこでは実に豪華な夕食が用意されており、それを前にして話しかけてくるエシコの表情も柔らかく、ゲロはそこに兄弟の愛を感じられるような印象を覚えた。
やはり、私は彼を疑いすぎていたのか? 先日の盗難事件も何かの間違いで・・・
そう、ゲロが思い始めたとき、エシコは「特別な客が来る予定です。きっと、そろそろ・・・」と言い出し、そして直後に、その男は現れた。
男の名はゲトケ。かつて父上に仕えていたブランデンブルク司教だったが、父と比較したのか私のことを侮辱することが多く、教皇に相談して解任、追放していたはずの男であった。
その男を、エシコは匿っていたばかりか、親し気に話をしているではないか!
私と彼との確執を知らぬわけでもあるまい。
きっと、彼の口を通して私の悪口も随分とその耳に入れているだろう。
ゲロのヴォルガスト伯領訪問は表向きは明るく平穏なものに終わったように見えていたが、ゲロの内心においては暗く重いものを残した形で終わった。
ルートヴィヒとの関係はより深いものになった確信を得たものの、エシコとの間のそれは、少しずつ修復不可能なものへと近づきつつあるようだ。
これが、いつか決定的な形で自分のもとへと返ってこなければいいが・・・。
不安に苛まれながらブランデンブルクに帰還したゲロは、元帥のデルヴァンからすべての準備が整ったとの報告を受ける。
気持ちを切り替えねば。
いよいよ、彼は父に追い付き、これを追い越すための「偉業」を果たすべきときが来たのだから。
栄光(1095-1103)
1095年夏。北方ドイツでさえ下草のぬかるみが乾き戦いやすくなった時期を見計らい、ゲロは軍勢をオーデル川沿いに集結させ始めていた。
狙いは、ブランデンブルク辺境伯領の東に位置するポメラニア公国。ルーティチ族、ヴェレティ族を駆逐したのち、最後に残った最大のスラヴ人勢力である。
それだけの勢力を相手取るだけに、ゲロも十分な準備を進めてきた。まずは最大の同盟相手であるザクセン公、そして先だっての結婚式において同盟を結ぶことに成功したボヘミア王などを呼び込み、さらに教皇ルキウス2世からは軍資金の提供を快諾してもらった。
一方で、敵側もこれを全力で迎え撃つつもりのようだ。
非スラヴ人の部族長たちにも声をかけ、反カトリック部族連合として結集しつつある。
カトリック連合1万2千vs部族連合6千弱。これまでにない規模の「大聖戦」が、繰り広げられようとしていた。
・・・が、戦いは思わぬ形で決着する。
1095年12月10日。
まさに、敵本拠地シュチェチン城陥落直前に、敵首領のシュフェンティボルが死亡。苦しい籠城戦に耐えきれず発狂したのか、はたまた敗戦の責を感じて自害したのか不明だが、自らに鞭を打って死んだという。
結果、ポメラニア公国は西のポメラニアと東のポメレリアに分裂。
シュフェンティボルの嫡男として共にシュチェチン城を守っていたアロンは捕縛し、彼が権利として継承した西のポメラニア公領はすべて接収したものの、その残存勢力たちはシュフェンティボルの次男マテウシの遺児であるバルニムを連れて東のポメレリアに立てこもった。
冬も深まり、これ以上の軍事作戦を継続することは難しい。
準備を整えてきたにも関わらずかなり肩透かしな形で終わってしまった今回の「大聖戦」だったが、やがてそれ以上に大きな「聖なる戦い」の報せが、ゲロのもとに訪れることとなる。
1099年9月1日。教皇ルキウス2世より、大いなる宣言が全ヨーロッパに下される。
それはすなわち、異教徒に奪われ続けている全キリスト教徒の聖地――イェルサレムの奪還!
十字軍の発令である。
ゲロはすぐさま参加を表明する。
彼に続いてキリスト教圏の諸侯たちが次々と参加表明し、最終的にそれは28か国にも上るが、その中でもブランデンブルク辺境伯の軍隊が最も多く、精強であった。
この舞台の総指揮官を、ゲロは弟のルートヴィヒに任せる。彼は父を超える「不世出の戦略家」であり、最強の軍隊を任せるのに十分すぎる存在であった。
「頼んだぞ、ルートヴィヒ」
「はい。必ずや、聖地を取り戻してみせます。そしてその際には、私たちルナールの名が永遠に残るような、そんな戦果を必ず掴み取ってみせます・・・」
ルートヴィヒの言葉に満足し、ゲロは深く頷いた。
そう、これは篤い信仰の戦いであると共に、諸侯間同士での「戦果争い」の舞台でもあった。勝利した暁に、より大きなリターンを得るために・・・ルートヴィヒ率いるブランデンブルク辺境伯軍はどの諸侯よりも大きな戦果を得る必要があった。
そして1101年1月8日。
世界各地から集められた兵と金とが集まり、いよいよ十字軍の出発となる。
目標は聖地イェルサレムを不当に占領するシーア派カリフ国。いわゆるファーティマ朝である。
十字軍総勢4万名vsイスラーム軍総勢2万名。
世紀の戦いが、今幕を開ける。
1101年12月19日。
ドイツの北の端からということで、強行軍でイェルサレムに向っていったブランデンブルク辺境伯軍だが、距離的にずっと近かったはずのイタリア勢がまとまりなくいつまで経っても統率が採れていなかったこともあり、結局のところイェルサレム沖には一番乗りで到達してしまった。
とは言え、陸上には2万名のイスラーム軍が待機しており、このまま先陣を切って上陸しても無駄死にしてしまうだけ。
しばらく洋上に待機し、十字軍本隊が近づいてくるのを待つ。
そして1月になるとようやく、その本隊3万の兵がやってくる。
1102年2月26日。
ついに十字軍は上陸を開始。ただちにヤッファの城を包囲開始し、イスラーム軍もすぐさまその迎撃のために近づくも、そのあまりの数の多さに怯み、周囲を取り囲んだ上で様子見を開始する。
その間、ルートヴィヒ率いるブランデンブルク辺境伯軍は単身で北方のアッコを包囲開始する。
4月15日。
いよいよ放置しきれなくなったイスラーム軍がヤッファを包囲する十字軍に対して一斉に突撃。周囲に展開していた十字軍勢力は皆この地への援軍を開始し、海から追加で現れた増員も加え、この戦争最初の大激戦が開始する。
総勢3万名以上、十字軍側の騎士97名とイスラーム軍側の騎士77名も含めた壮絶な大激戦。十字軍側を指揮するのはハンガリー王の封臣コロン伯爵。
最終的にはアッコを占領し終えたブランデンブルク伯軍も加わり、2倍近い数で蹂躙することとなったこのヤッファの戦いは十字軍側の圧勝に終わる。
特に遮るもののない砂漠での戦いということで、決着後の追撃戦で軽騎兵が大暴れ。イスラーム軍の誇る重装歩兵ムバリズンも次々と十字軍騎兵隊によってその命を奪われていった。
圧倒的な戦果でもって緒戦を制した十字軍。
しかしその歓喜に燃えて鬨の声を上げる仲間たちを尻目に、ルートヴィヒはすぐさま兵をまとめて砂漠の奥地へと進軍する。
他の諸侯らもそれに気づき同様に兵を纏めようとするが、略奪の好機に目を奪われた雑兵たちは指揮官の言うことなど聞かず、とにかく目の前の金銀財宝や女共を狙い始めたのである。
ルートヴィヒの狙いはもちろん、この戦いの最大の目標であったイェルサレムである。これを固く守っていたイスラーム兵たちをヤッファの戦いであらかた削った今、聖地への道はブランデンブルクの士気の高い兵士たちの目の前に開かれていた。
1102年5月15日。
一番乗りでイェルサレムに辿り着いたルートヴィヒはすぐさま包囲を開始。50体の攻城兵器と攻城戦の名手レモン・ド・コンボルヌによる巧みな戦術で、強固なイェルサレムの城壁に少しずつ穴を開けていく。
6月24日。今度はイェルサレムの解放を目指してイスラーム軍がやってくる。
が、勇気あるその部隊はわずか2,000。
将軍としての個人の能力は目を瞠るものがあるが、10倍の戦力差をひっくり返せるものでは到底、ない。
結果、敵軍はほぼ全滅とする最大の戦果をルートヴィヒは挙げることとなった。
そのまま10月末にはついにイェルサレムを陥落。
全体の戦果の65%をルートヴィヒの軍が占めるという状況となった。
いよいよ、戦争も最終局面。
続いてルートヴィヒは北方のティベリアの占領に向かう。
だが、ここでルートヴィヒは気づく。
連戦連勝・快勝を続ける十字軍本隊が、敵を追ってイェルサレムよりも遥か南、シナイ半島の奥地にまで誘い込まれていることを!
これは敵の総指揮官アブー・マンスールによる罠であると看做したルートヴィヒ。だが、すでにその計略に嵌り、ルートヴィヒの周辺には友軍の姿はない。
このままでは、北方に援軍を送られこちらが各個撃破されてしまう。
そうなる前に・・・ここでルートヴィヒは勇気ある賭けに出る。
すなわち、ティベリアの包囲をレモンに任せ、ルートヴィヒは主力を率いて先に敵を各個撃破するということ!
ルートヴィヒ軍の見張り役を任されていたヨーシフ太守の敵軍も、イスラーム陣営で「狂戦士」と綽名されているルートヴィヒの軍が迫ってきたこともあり、たまらず撤退。
だがそこでイェルサレム包囲を行っていた軍隊と合流し、両軍はイェルサレム東のムジブの砂漠で決戦が行われることとなる。
戦いは最初、ルートヴィヒの側は圧倒的劣勢の状態から始まる。
先ほどは騎兵隊によって蹂躙されていたイスラームの精鋭兵ムバリズンも、数的優位の状況であればその凶悪な殺傷能力を存分に発揮。剣・槍・棍棒といったあらゆる接近戦武器のみならず、接近戦でも弓矢を使うというその特異な戦法で次々とこちらの歩兵隊を蹂躙。まずは長槍兵たちが戦場から駆逐されてしまった。
だが、ルートヴィヒには考えがあった。先ほどの北方ティベリアではなく、イェルサレム近郊のこの地で戦うことで、南方に誘い込まれていた十字軍本隊も、こちらに気づいて援軍に来てくれるはず。
そしてその思惑は、見事的中した。ルートヴィヒの部隊が壊滅するよりも前に、教皇が雇った傭兵団を先頭に南下していた十字軍本隊が救援に駆け付けてくれた!
こうなればもう、恐いものはない。
1103年3月23日。ムジブの戦いは総勢3万の兵を最終的に集めた十字軍側が圧勝となり、再び騎兵隊による掃討作戦によって5,000弱のイスラーム軍は壊滅した。
これが最後の決定打となった。もはやイスラーム側に抵抗できるだけの兵はおらず、その年の9月8日、2年半にも及んだ第1回十字軍はキリスト教勢力の圧勝に終わった。
そして、イェルサレムを陥落せしめ、さらにはこれが危険に陥ったとき、自らの命を顧みずその救出に向かったとして英雄視されたルナール家に対する羨望が集まり、獲得したイェルサレムの地を治める君主としてゲロの妹のディトケが選ばれることとなった。
「全キリスト教世界の英雄」として、ルナール家の栄光は欧州全土に知れ渡り、今や「注目に値する」一族とみなされるようになった。
どうだ? これで私は父を超えられただろうか?
私こそが、このルナール家の最大の名誉者なのだ! 間違いなく!
――「ゲロの物語」は、いよいよ最終幕を迎える。
最期(1103-1107)
十字軍において最大の貢献者となったことで、一気に792ゴールドもの大金を獲得したゲロ。
その大金と名誉を利用し、教皇ルキウス2世に独自の王国の設立の許可を具申し、これが容れられることに。
こうして第2代ブランデンブルク辺境伯ゲロ2世は、神聖ローマ帝国内における「ポンメルンの王(König von Pommern)」を名乗ることとなった。
さらにゲロは残った金を使って宗教騎士団である「ドイツ騎士団」を創設。
この力も利用して、さらなる東方遠征――東ポンメルン(ポメレリア)への征服もほぼ完遂する。
全てが順調に進んでいた――が、故に、少しばかり、油断していたのかもしれない。
ある秋の日の森の中で、すぐ近くには誰かがいるかもしれないという状況の中で――ゲロとその愛人ヴィットーレは大胆にも、関係を重ねていった。
たとえこの関係が明らかになったとしても、偉大なるこの私に文句をつけられるものなどいるものか――ゲロはそんな風にして、尊大さと大胆さとを膨らませつつあった。
そして、彼はその報いを受けることとなる。
1104年4月12日。
珍しく宮廷を訪れ、二人きりになりたいと伝えられた弟のエシコの口から語られたのは、信じられない言葉であった。
言うことを聞くしかなかった。
行為に及んだときは、たとえ明るみになっても構わないと強気でいたゲロも、いざその可能性を目の前に突きつけられた瞬間、誰よりも弱い存在へと落ちぶれてしまったのである。
何より、彼がこれまで彼の尊厳を支え続けていた信仰への熱意が、彼を激しく震え上がらせた。
彼は正しいことであると信じながら、ここまでヴィットーレとの関係を続けてきた。しかし、本当にそうだったのか? 神は、この「誤った関係」を本当に許してくれるのか――?
ゲロの回答を聞いて満足気に微笑みながら、エシコは城を後にした。彼の姿が廊下の先から消えてなくなると、次第にゲロの心情は恐れから怒りへと変化していく。
――何と言うことだ、あの邪悪なる男は。これまで散々、その悪行、その侮辱を赦し続けてきたというのに、この期に及んでこの私への脅迫だと?
神への恥の感覚も、信仰への強い熱意も、すでに彼の頭の中からは消えていた。
そこにあるのは、憎悪のみ――「慈悲王」と呼ばれた彼のその美徳は、もはやこの暗い湿った廊下の隅にまで追いやられ消えてなくなってしまっていた。
――エシコを、我が弟を、殺す。その秘密が、明らかになる前に。
しかしここでも、彼は冷静さをやや欠いていた。
エシコの宮廷の密偵頭も買収し、あとはじっくりと時を待てば良いだけだった。
しかし、1104年11月2日。
そのエシコも参加する狩りの中で、ゲロは「今こそがチャンスなのではないか?」と考えてしまったのだ。
機会を待つことなど、彼にはできなかった。こうしている間にも、エシコは気まぐれに彼の持つ秘密を誰かにもらしてしまうのではないか?と彼は疑心暗鬼に陥っていた。
狩りの中で、獣を追い詰めていく我々。
その中の、一瞬の隙を狙って――
私の槍が滑ってしまったら残念だ・・・。
それは「偶然にも」、我が弟の顔面を捕えた。
――が、仕留めそこなった。
それは確かに彼の顔を掠め取ったが、それ以上深くはそれを抉ることはできなかった。致命傷にすらならなかった!
そして、周りの狩人たちは誰もそうとは気づかなかっただろうが、私を見据える彼の目から、彼が私の意図を察知したということだけは、明白であった。
こうなってしまえば、彼に対する暗殺計画など灰燼に帰す。
数日後、ゲロは彼が買収していたエシコの密偵頭が、何者かによって惨殺され川に投げ捨てられたとの報告を受け取った。
もはや、形勢は逆転した。
今度はオトゲル自身が、身の危険に対処する必要があった。
彼は直ちに宮廷の毒見薬や護衛役を雇い入れ、万全の体制を取ることにした。
・・・しかし、そのすべては虚しい抵抗であった*2。
第2代ブランデンブルク辺境伯にして初代ポンメルンの王、ゲロ。
その生涯は常に父の影を追い求め続けていたものであり、そして最後に彼はそれを確かに乗り越えた。彼の姿は類稀なる栄光として永遠に人びとの記憶に刻まれることだろう。
「慈悲王」ゲロ、ここに死す。
第三話へ続く。
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