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【CK3】織田信雄の逆襲④ 大乱前夜編(1595-1604)

 

少しずつ、歴史に歪みが生まれつつあった。

まずは、3年間続いた明智光秀討伐戦争。これを制し、織田家中最大勢力を握ったのが羽柴秀吉という点は史実同様であったが、その後彼が柴田や徳川を下し織田家を乗っ取る・・・という図は、この世界では描かれることはなかった。

それどころか、柴田は健在で、そして織田家中に第三勢力が生まれてしまう。それは、史実では羽柴や徳川に利用され打ち捨てられる運命にあったはずの信長次男・織田信雄

明智討伐戦争の間に紀伊半島南部に支配圏を広げ、信孝との戦いを制し伊勢全土も手中に収める。

信雄の勢力拡大はさらに続く。大和を支配する筒井順慶を打ち倒し、これを制圧。さらに柴田勝家亡き後の柴田家内の内紛にも介入し、前田利家ら有力家臣たちによる反乱も見事平定した。

この実力を認め、羽柴も信雄の親族との婚姻を進めるなど、懐柔への道を取る。

今なお、史実通り羽柴が最大勢力でおることは変わりないながらも、その様相は史実とは大きく異なりつつあった。

 

やがてこの歪みは、「1604年」に向けて収束していく。

織田信雄を中心とした、「あり得たかもしれなかった物語」の、一つのクライマックスに向けて。

 

今回は、その「前夜」の物語。

 

Ver.1.10.2(Quill)

使用DLC

  • The Northern Lords
  • The Royal Court
  • The Fate of Iberia
  • Firends and Foes
  • Tours and Tournaments
  • Wards and Wardens

使用MOD

  • Japanese Language Mod
  • Shogunate(Japanese version)
  • Nameplates
  • Historical Figure for Shogunate Japanese

 

目次

 

第三話はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

大坂合戦

「糞、何故我が、茶筅如きに・・・彼奴は何時だって何も理解していないかの如き阿呆だったのではないのか! それが何故・・・」

森の中を敗走しつつ、口惜し気に織田信孝は呟く。その背後には敗残兵たちが列を成している。

「某にも理解できかねること。あれはまさに別人――まるで、信長公が乗り移ったが如く振る舞いと才覚と見えます」

信孝の言葉に、家老・日根野高吉が応える。父・弘就と共に信長の馬廻りに任ぜられるなど実力を認められていた男で、本能寺の変後は信孝の側近として働いていた。

「そうだとすれば、なぜ御父上は我に憑りついてくれなかったのだ・・・何故、何故・・・」

馬上で項垂れる信孝の様子を、不安そうに見つめる日根野。そこに、隊列の後方から危急の報せが届く。

「――敵襲! 敵襲ーーッ!」

声と共に、後方で悲鳴と剣戟の音、そして銃声とが聞こえてくる。先ほどまで土と鳥の声しか聞こえなかった森の中の静寂は一瞬にして打ち破られてしまった。

「信孝様、お逃げください。ここは我らが食い止めまする!」

日根野は構え、主君を背後に押しやって騒然とする隊列の後方を見据える。

信孝は一瞬何かを言おうとして、止める。

「ーー忝い! 必ずや、貴殿らの仇は討って見せる!」

 

「三七は、大坂城へ逃げたと?」

報告を聞き、嶽山城にまで出張ってきていた信雄は眉を顰める。

「は。信澄殿のもとへ匿われたご様子」

「フン・・・あの城は、攻めるにはあまりにも堅牢過ぎるが故、厄介極まりないな」

ゲーム中随一の防御力を誇る大坂城。史実では秀吉によって建てられることになるこの名城だが、この物語内では城主・織田信澄の家臣として仕えていた安井道頓の指揮の下、信澄が造らせていたこととする。

 

「七兵衛殿は何と?」

「は。三七殿の所領は全て信雄殿に明け渡すよう説得してみせる故、三七殿の命だけは助けてやってほしいと」

七兵衛こと織田(津田)信澄。織田信長弟の信勝(信行)の嫡男として生まれ、石山本願寺との戦いの後は大坂の司令官となった。史実では明智光秀の娘を妻に娶っていたことで反乱を疑われ、本能寺の変直後に信孝によって処刑されている。


「ならん」

迷いなく、冷たく言い放った信雄に、誰も何も言えなくなってしまう。

「三七めは必ずこの手で始末しなければならん。さもなければ後に遺恨を遺すこととなろう。例え出家すると言い出しても、我は赦すつもりはない」

「では――大坂を攻めますか?」

恐る恐る訊ねる家臣に向かって、信雄はしばし思案したのちに、応える。

「ああ。だが、我々だけでは心許ないのも確か。仕方ない。そんなに簡単に使いたくはなかったのだが――山城守に遣いを出せ」

山城守――すなわち、羽柴山城守秀吉。先立って信雄らの妹御たる三の丸殿を新たな妻に迎え、同盟を組んだばかりの、現状日ノ本最大勢力の主である。

数か月後、大坂城を包囲していた信雄軍のもとに、羽柴軍6,000がすぐさまやってくる。

彼らは120台もの攻城兵器を持ち運んできており、これらを展開して次々と大坂城に対する激しい攻撃を敢行。信雄軍だけでは数か月どころか数年単位かかりそうだった包囲攻城戦が、1か月もかからずに終わる勢いを見せていた。

そうして、1597年夏には大坂城も陥落。

同時に信孝を捕え、いよいよその運命に対する処断の時を迎えることとなる。

当然、先ほども家臣たちに告げたように、信雄としては彼に対する極刑しか念頭になかった。元来の「気前の良さ」が邪魔して精神的な重圧は避けられないようだが、それでも数多くの血縁が入り混じるこの織田家内にて存在感を明確に示すためにも、これ以外に選択肢はないと考えていた。

だがその準備を進めていた信雄のもとに、その男がやってきた。

「信雄殿、申し訳にゃーが、その処断、待ってもらえんかのう」

兜から脛当てまで、煌びやかに装飾された具足を身につけた羽柴秀吉が、従者達を引き連れて信雄の前にまでやってきた。

本来であれば主君の前にてはあるまじき格好だが、今、彼に物申せるものなど家中に誰一人存在しなかった。

もちろん、信雄であっても。

「これはこれは、義兄上殿。待つとは、いかなることかな」

「いやあ、三七殿は儂にとっては大事な友人でしてな――いや、もちろん信雄殿もそうだと、儂も勝手に思っておりますがーーそれにしても三七殿とは、かつて深く長く語り合ったこともあってな・・・」

目を細め、いつもの柔和な表情を見せながら信雄のもとに近づいてくる秀吉。

だがその眼前に来た時、彼はその笑顔のまま信雄を見据え、そして有無を言わせぬ口調で言い放った。

「改易でも出家でも高野山に放り込むでも構いませぬ――命ばかりは、助けてやってくれんかのう?」

笑顔――だが、その目の奥は笑ってはいない。これは「お願い」ではなく、要求だ。それが容れられなかったとしたら、どうなるか。

信雄は先立っての大坂城包囲戦を思い起こす。振り返ってみればあれは、信雄の要望に応えての救援という単純なものではなく、彼に対して羽柴軍がいかなる強さを持ち合わせているかを見せつける、デモンストレーションのようなものだったのだ。

信雄はフン、と鼻を鳴らした。

矢張り、この男をどうにかしない限りは、織田の復権はあり得ない。

「良いだろう。三七は剃髪し高野山に籠ること。それを条件に、命は助けてやることとしよう」

「恩に着るでな、義弟殿」

秀吉はニカッと笑い、信雄の肩に手を置いた。

 

かくして、本能寺の変直後から続いた「家督継承戦争」はようやく本当の意味での終わりを迎える。

全ての領地を失い、そしてその血筋が織田の家督を継承する権利を有することも放棄した信孝は、剃髪し、出家することを受け入れ、織田家筆頭は名実ともに信雄のものとなったのである。

ゲーム的には処刑することのメリットよりデメリットの方が大きく、同じく継承権を放棄することとなるこの出家を選ぶことにした。が、結果としてこれでゲーム上「家督の継承」ができない(存命中は信孝がそれを持ち続ける)事象が発生したため、振り返ってみれば処刑していた方がよかったかもしれない。

 

信孝が保持しており、彼から日根郡佐野城を与えられていた「当主三法師」こと織田秀信も、改めて信雄に臣従することを宣言。その証として彼が保有していた「織田家の旗」も差し出し、平伏を誓ってきた。

これで名実ともに、「織田信長の後継者」は信雄であることが内外に示されたというわけだ。

 

とは言え、それはあくまでも織田家内でのこと。

すでに信長の死から20年近くが経過し、一度バラバラになった織田家諸勢力は完全なる独立状態となっている。

その中でもやはり目立つのはこの男――羽柴秀吉。先立って毛利家との一戦も勝利で終え、さらなる領土拡張を実現したこの男の実力は、信雄はもちろん柴田や徳川をも上回っており、日ノ本最大勢力であることは誰の目から見ても明らかであった。

手を、打たねばならない。

もはや秀吉自身の命は長くはないだろうが、その後継者も健在。

織田信長の四男――即ち、信雄と信孝のすぐ下の弟――で「於次丸」と呼ばれた彼は、男児に恵まれなかった秀吉の養子となり後継者と目されていたが、史実では病弱故に18歳で命を落とした。が、この世界では頑強に育ち、期待通りの後継者筆頭として成長してきている。


それでも狙うは、その世代交代の瞬間だろう――そこまでにどれだけの力を蓄えておけるか。

信雄は人知れず口元に笑みを浮かべていた。

 

ここからだ。ここからが――彼の「逆襲」の、本当の始まりである。

 

 

「その時」に向けて

1599年1月22日。

信雄が長男・三法師がついに成人。秀吉にあやかって名を秀雄と改めた。

鈴木孫一の教育によって、彼は父と異なり軍事の才能を多分に受け継いだ。とくに攻城戦においては類稀なる知見を発揮し、同等の能力を持つものの少ない家中においては重宝される人材となった。

一方、秀雄とわずか19日差で生まれた「弟」となる市兵衛こと織田高雄も鈴木孫一の薫陶を受けていたが、こちらはよりその才覚を強く発揮し、優れた才能を認められていた。

信雄の正室、督姫との間に生まれた長男・秀雄と異なり、信雄の側室から生を享けた庶子である高雄の方がより才能があるという点で、かつての信雄と信孝のことを思い起こさずにはいられない、と周囲の者たちも囁いていたという。

信雄はそんな周囲の声を意に介さず、まずはそれぞれの婚姻政策を進める。嫡男・秀雄の正室には細川忠興の娘・古保を迎え入れる。家柄もそうだが、明敏でかつ美しい容姿に秀雄自身も魅入られ、この婚約を心から喜んだという。

さらに、高雄の正室にはかの高名な武人・本多忠勝の娘「稲姫」を迎え入れることとした。もう26歳ではあるが未だに伴侶を見つけられていなかったようで、忠勝も随分と手を焼いていたらしい。

祝宴の席の場で、珍しく酒に酔った忠勝がいつもの豪放磊落さで信雄に詰め寄った。

「よう、織田の中将さん、今回は俺の娘をよく口説き落としてくれたな。あいつは俺に似てじゃじゃ馬で、よう手懐けることのできない女だと思っていたが」

信雄は苦笑しながら、忠勝に応える。

「ああ・・・だから彼女には約束してやったよ。彼女もひとかどの武将として、戦場に立たせることを」

「さらに言えば彼女は実に優秀なので・・・かつて木造具政に与えていた『伊勢の赤鬼』の称号を彼女に継承することも約束した。そうしたら実に喜んでくれたよ」

信雄は言って、ニヤリと笑った。

「ぶっ・・・確かに、あいつはスゲェ喜んでくれそうだが・・・だがおい、普通の親だったら娘にそんなことさせられたら普通は怒るぜぇ」

「主君の同盟相手にそのような不躾な態度を取り続ける者が、普通を語るか?」

忠勝の背後からぬっと現れた徳川家康の姿に、忠勝は慌てふためく。場を辞した忠勝に代わり信雄の前に立った家康は、喜色を浮かべて彼に話しかける。

「この度は祝着至極。改めて我らが同盟の結びつきは深くなりましょうぞ」

「ああ・・・世は色々とまた不穏に満ち溢れておるからな。貴殿の同盟国、東の北条でも、つい先日、当主氏直氏が急死したとの由。今はその御子息殿が家督を継いでおられるとのことだが、不安定になるのは間違いないな」

史実では男子に恵まれなかった氏直。よってこの直氏という人物はゲーム上生成された全くの架空人物。


「ええ・・・そんな中、信雄殿は新たに四男良好殿と上杉殿の御息女・椿殿との婚約を決められたようで・・・」

「速やかなるこの同盟関係の構築・・・大乱が近いと、お考えですかな?」

家康の探るような目つきと言葉に、信雄は薄ら笑いでもって応える。

「何もそう言うつもりはない。唯、天下静謐が為に、秩序を構築しようと考えているだけだ。それとも何だ? 岳父殿には何か考えがあるのか?」

「まさかまさか・・・身共も同じ。天下静謐をこそ、是としております」

家康の言葉を、また自らの言葉すらも、信雄も信じてはいなかった。

天下静謐は、少なくとも現在の延長戦上には存在しない。存在しえたとしてそれは、余りにも脆いバランスの上に成り立った陽炎の如き安定に他ならない。

一度、そこには大きな柱が必要となる。

今、この日ノ本には存在しえない、大きな柱が。そしてそれは、我らが織田であるべきであり、羽柴であってはならない、と。

「その時」は近い――故に、信雄はさらなる地盤の安定と「準備」を進めていくこととなる。

 

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まずは、先の大坂合戦において密かに信孝方を支援していた大坂南部の「」を攻め、これを制圧する。

瀬戸内を通じた西国との交易路と、淀川・琵琶湖を通じた北国との交易路とを繋ぐ天下最大の貿易港・堺の獲得は、織田家に莫大な富をもたらしてくれることであろう。

開発度70。さらに多種多様なボーナスまで加わり、その想定される利益は計り知れない。もちろん、信雄の直轄領とする。

 

さらに、1600年頭に雑賀衆の頭目であった雑賀(鈴木)孫一が亡くなり、混乱した雑賀の地を治めたのはその宿敵であった土橋重治

鈴木孫一と誼を通じていた信雄に対しては敵対的な姿勢を見せることとなった為、信雄はこれを、人質として自らの配下にいる孫一の息子・重朝がその正当な権利を行使するために――という名目で強襲。
山中に潜む無数のスナイパーの存在を前にして三好笑岩が嫡子康俊が討たれるなど被害もそれなりにあったものの、多勢に無勢。

1601年2月にはこれを完全に制圧し、鈴木孫一が嫡子重朝を新たな雑賀棟梁に。「孫一」の名も彼が継承することとなった。

そしてこの雑賀の獲得は、当然織田家にも大きな利益をもたらす。

すでに大坂合戦の際に手に入れていた根来と堺、そしてこの雑賀といった国内有数の鉄砲生産地を独占することにより、優先的な鉄砲の供給を実現。他国に比較しても高い技術力と物量を得られるようになったのである。

さらに信雄は、かの本多忠勝にも劣らない美丈夫と噂される井伊直政が、あてどなく諸国を放浪したまま丁度良くこの雑賀の地に訪れていたことを知る。

どうやら主君とトラブルを起こし、追放されてしまっていたようだ・・・この世界の彼は史実のようにたまたま家康に目を掛けられ登用されて・・とはならなかったのか。

 

旅費さえ出せば、招かれてやっても良い、という不遜な態度を見せる直政を、信雄は丁重に迎え入れることに決める。

「何でも、人斬り兵部、などと呼ばれているらしいな」

信雄の言葉に、直政は苦笑して応える。

「規律を守れない、無能なだけでなく周りを危険に晒すような輩を厳しく処罰し続けていたらいつの間にかそんな風に言われるようになっていたな。大方、俺を妬む奴らの言い分だろうが、その所為もあって井伊谷も追われちまった」

「ならば、この城で精進せい。貴様には・・・そうさな、『国斬り兵部』という綽名を与えてやろう」

武勇44。そして攻城戦における大きなボーナス能力を得ることができた。


さらにもう1人。

徳川によって故地・上田荘を追われさすらい人となっていた真田信繁

信雄は彼の才覚も認め、自らの娘・京姫の婿として迎え入れることとしたのである。

軍事26・武勇35。彼もまた、時代の頂点に君臨する英傑の一人である。


信雄が着々と「準備」を進めていく中・・・

ついに、1602年11月14日。

「その時」が、到来する。

 

 

大乱前夜

1602年12月1日。

遺言に従い、京都・六角堂にて秀吉は荼毘に付され、その遺骨が六角堂の境内に埋葬された。葬儀には近隣の有力者たち――織田、徳川、柴田、北条、上杉そして毛利――も列席し、偉大なる存在への哀悼の意を表した。

葬儀の後、新当主・羽柴秀勝は重要な三諸侯を聚楽第に招いた。それは、巨頭果つる後の新秩序についての討議の場であった。

羽柴秀勝、織田信雄、上杉景勝、そして徳川家康――日ノ本における有力四諸侯は座敷の中央で円卓に並び、それぞれ額を突き合わせていた。

「――かくして、我が羽柴の新当主と相成った。これからも変わらぬ御縁を結びたく」

少しでも威厳がつくように大仰な態度を示そうとする秀勝。しかし、彼が父と比べ平凡な才しか持ち合わせていないことはその場にいる誰もが理解していた。

故に、これまでは秀吉のもと認められていた法外な立場が、この新当主のもとでも同じく認められるとは限らなかった。

そしてそれを唱える権利を最も持ち合わせているのが、織田信雄その人であった。

「秀勝殿。勿論、我々も貴殿を十分に支援差し上げよう。何分、余りにも大きな土地を御父上から譲り受けたのだ。その負担もとりわけ大きなものであることは十分に理解している。我もまた、同様の立場であったからな」

正面に座る信雄の言葉に、秀勝は少し安心したような表情に変わる。だが、続く信雄の言葉に、今度はその表情が一気に青ざめることとなる。

「して、秀勝殿。その意味でも、この京都を始めとする畿内については、そろそろ『織田家当主』に『返還』しても良いのではないかと思うが、いかが?」

回答に窮する秀勝。実際、彼は正式な立場ではあくまでも織田家の臣下に過ぎない。それが、織田家が本能寺の変により混乱に陥った中で、まだ若輩であったその子らに代わって家内最大の実力者であった秀吉が『暫定的に』日ノ本の中心部を統治する権利を得たに過ぎなかった。

その秀吉が遠行し、信雄が十分な実力者となって成長した今、これを羽柴家が持ち続ける道理はどこにもないだろう。

「某も同意見で御座います」

信雄の右隣に座していた上杉景勝が、神妙な面持ちで、しかしはっきりとした口調で言葉を続ける。

「某も織田家内ではないものの、その近隣の同盟国として、畿内の安定は最優先と存じております。現在、北陸の柴田、関東の北条、そして中国の毛利も、いずれも当主が若輩ということで不安定化の懸念も御座います。ここで畿内の安定を最優先と考えるのは自然なことであり、その為にも実績も経験も十分な信雄殿が畿内を治めるのも必要なことと存じます」

柴田家も当主・勝里が3年前、若くして事故で亡くなるという不運があり、幼少の正勝が後を継いでいた。

 

信雄に続き、上杉からの後押しもあり、より一層、秀勝も何も言えなくなる。

「もちろん、只ではとは言わぬ。代わりに大坂の地を貴殿に分け与えることも考えておる。貴殿の瀬戸内交易路と合わせ、さらに九州にまで勢力を広げることで、莫大な利益を得ることも十分に可能だろう」

信雄が前かがみになり、座上の秀勝を見据える。できれば使いたくなかった懐柔策だが、秀勝もその一言によって意思が揺らぎ始めていた。

が、そこで思わぬ横槍が入った。

「まあまあ、信雄殿。余り若者を追い詰めても詮無きこと。況してや、秀勝殿は父御を亡くされたばかりで気も動転しておろう。少しばかり時間をおいて、様子を見るべきかと思うが、如何――?」

信雄の左隣に座していた徳川家康は、柔和な笑みでもって信雄と秀勝を見比べ、取りなすようにして告げた。

秀勝は安堵した様子でこの義兄*1を見やる。家康の正面に座る景勝は眉根を寄せて家康を見据えた後、ちらりと信雄の方を見やる。

信雄としては全くの予想外の展開である。こめかみに指を置き、左脇の家康を睨みつける。

しかし家康は気にする様子もなく、続ける。

「拙者が懸念しておるのは、まさに先ほど景勝殿が仰られたことである。近隣の当主たちが若輩であり混乱の兆しがある今だからこそ、家内にて余計な騒動の種となることは暫し控えるべきと考えるのです。もし、その上で羽柴家内で混乱あるようであれば、それこそ我らが一致団結してこれを支えるべきであって、それこそが亡き信長公の御意思では――?」

家康の言葉に、一同は押し黙る。結局のところ、この場での結論は唯一点。現状維持、である。

 

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会議の後、縁側を歩く家康の背後から信雄が近づき、声をかけた。

「岳父殿、これは一体、どういう了見で?」

家康は振り返り、変わらぬ笑みで応える。

「先ほど申し上げた通りです。今、家中にて混乱を引き起こすことは、それこそ毛利や長曾我部ら外部勢力の侵入を招きかねません。秀勝殿も、あの場で我らの意見を容れたとしても、その結論を持ち帰った家中において、これを認める勢力も多くはないでしょう。その要求そのものが、羽柴家の、ひいては織田家中の混乱を引き起こしかねません」

道理は正しい。しかし――。

「では、いつまで待てばいいというのだ」

「暫し、暫しです」

家康の鋭い視線が、信雄を刺し貫く。

「ご安心召されよ、信雄殿。心配せずとも、身共は信雄殿の御味方で御座います」

信雄は押し黙る。少し間を置いたのちに、絞り出したようにして告げた。

「相分かった。今は貴殿の言う通りにしよう。但し、但しだ――もしも、その安定を自ら崩すが如く暴挙に出た暁には、我らがその懲罰へと赴くこととなる。その際はよろしく頼むぞ?」

信雄の言葉に、家康は静かに頷いた。

 

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「なかなか簡単にはいきませんな」

大坂城に戻ってきた信雄を出迎えたのは寺沢広高。初期の頃から信雄に仕える腹心であり、内務の統率から外交まで卒なくこなす男だ。

「まあ、良い。その間にこちらも更なる準備を整えておこうじゃないか。シアルミナはいるか?」

「――ここに」

信雄の呼びかけに応じてやってきたのは、シアルミナというアイヌの女。諸国を遍歴してはその物語や珍しい文物を売り歩き生計を立てているとのことで、戯れに手元に置いていたのだが、そんな彼女をある目的のために使うことにした。

「シアルミナ、いつもの冒険を装い・・・そうだな、我の為の何か逸品を作るための冒険と称して、羽柴領の探索に出向いてくれ。土地の情報、人の情報、何でも良い。有益になりそうなものを集め、都度報告するように」

シアルミナは頷き、すぐさま出立の準備を始めた。

そこに、新たに声がかけられる。

「上様、客人が来ております。高山殿です」

「ああ、通してくれ」

現れたのは、高山ジュスト右近。山崎の戦いでは親交のあった明智光秀ではなく羽柴方について活躍。以後、池田恒興傘下の武将として過ごしてきたようだが、今回もその恒興の孫で摂津守を継承している池田由之の取次としてやってきたようだ。

池田家は、本来であれば織田政権の宿老の一人であったにも関わらず、今やまるで羽柴家の家臣団の一つであるかのように扱われ続けており、そのことに少なからず不満を抱いているようだ。高山はその主君の意向を信雄に伝え、「あらゆる協力を惜しまない」という言葉を残している。

各々の思惑が絡み合う中。

時代はついに運命の「1604年」へと突入する。

 

 

1604年

1604年3月27日(慶長9年2月27日)。

羽柴秀勝は、突如として四国の長宗我部への攻撃を開始した。

もちろん、それは秀吉の時代から計画されていたことでもある。

だが暫くは長宗我部元親の側も羽柴に対する融和策を取っていたこともあり、実際の火蓋が切って落とされることはなかったものの、その元親が前年末に老衰により死去。

新たにその嫡子・信親が当主となったことで羽柴との連絡が一時途絶え、そのことが秀勝にとっては好機と映ったのである。

元より、先の「聚楽第会談」でも織田家中での発言権の低下を目の当たりにしていた秀勝。新たに自らの手で権威を取り戻す必要があると強く感じて――焦って――おり、それは彼の側近たちからの強い要望でもあった。

「徳川が後ろ盾についている」という思いもまた、彼の「油断」を招いたと言えるだろう。

 

だが、それこそ、信雄が待ち望んでいた「暴挙」であった。

 

 

1604年5月17日。

織田信雄は大坂城にて、羽柴秀勝とすべての同盟国たちに対し、宣言を発令する。

曰く「織田家安定がため先だっての聚楽第会談にて協議した家中の安定を、羽柴当主自らが蔑ろにする事態が発生した。ここに、織田家当主として、厳正なる対処を行わざるを得ないことを心苦しくも宣言する。何よりも、禁中並びに京の都の静謐の為にも、羽柴家よりその畿内・近江の領有権を取り上げ、織田家への返還を命じる。なお、羽柴方の抵抗も予想されるため、諸同盟諸邦はこれに賛同し兵を出すことを求む――」

実質的な、織田信雄による羽柴秀勝に対する「宣戦布告」であった。

この信雄の宣言に、直ちに柴田・上杉が参戦を表明する。

続いて徳川の参戦表明を待つばかり・・・と、大坂で兵を集めていた信雄のもとに、信じられない報せが届く。

 

「う、上様・・・! 徳川より・・返答が・・・」

「何だ、慌てて。遅参するとでも申しておるのか?」

「い、いえ、それが・・・その・・・」

使者の顔は青冷め、肩が震えている。余りの尋常の無さに、陣幕内の一同に緊張感が走る。

その一人、軍奉行の井伊直政が小さく呟いた。

「まさか、な・・・」

その次の瞬間、使者がようやくその言葉を告げた。

「徳川公が・・・敵陣、羽柴方への参戦を表明! その総兵力4,000を畿内へと差し向けているとの由です!!」

 

かくして、運命の1604年が迎えられる。

それは織田家中最大の内乱の始まりを意味していた。



次回、第五話「大坂の陣」編へと続く。

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*1:家康の異父妹・松姫が秀勝の正室となっていた。