~前回のあらすじ~
バルト海交易圏の支配を目論んで、デンマーク王クリストファ3世はドイツ騎士団、およびリヴォニア帯剣騎士団への攻撃を開始した。
結果としてダンツィヒやリガといった重要な貿易港を手にしたデンマーク。
しかし、拡大する彼の国の前には、ポーランド=リトアニア連合王国やモスクワ大公国といった、強大なライバルたちが立ちはだかろうとしていた。
1.内政期
1465年6月1日。
クリストファ3世が崩御。享年49歳であった。
そして息子のカール1世が即位。能力値は父以上のものがあり、待ってましたという即位である。
まだ19歳と若い少年王は、しかしその若さにも関わらず「君主の性格」がいきなり3つある。
即位直前は1つだけだったのに、これは何の効果なのだろう?
その性格は以下の通りである。
- 「勤勉」(Industrious)・・・商品生産量+10%
- 「臆病」(Craven)・・・陸軍士気-10%
- 「慎重」(Careful)・・・攻撃的拡張(Aggressive Expansion)の増加量-10%
なんというか、イメージしやすい組み合わせである。
いずれも少年らしい性格とも言える。成長とともに変化は・・・まあ、しないのだろうけれど。
10月18日には、Østjylland(東ユラン?)の貴族クラーベ家の娘マルグレーテと結婚。
能力値もまずまずだ。
ノヴゴロド公国、とくにその重要な貿易港であるネヴァ(Neva)はデンマークの将来の標的である。
おそらくはこの後、その地も含めてモスクワのものとなるだろう。
そうすればデンマークにとって、このモスクワは倒すべき重要な相手の一人になるはずだ(実際、向こうからこちらをライバル指定してきたので、こちらからもやり返している)。
1467年3月9日。
「ベルゲン騒動」なるイベントが発生。
ノルウェーの商人とハンザ同盟の商人たちとの対立、ということらしく、ノルウェー側につくかハンザ同盟側につくかの選択肢となる。
ハンザ同盟側につけば威信マイナスとノルウェーの友好度が大幅に減少する。
逆にノルウェー側につくとハンザ同盟諸都市との関係が大幅に悪化する。
迷いつつ、ハンザ同盟側につくことに決める。
ハンザ同盟は帝国領内に属しており、暫くの間は手を出すつもりがない。
よって、基本的には関係改善を行い、包囲網が形成されないように気を遣っている最中なのだ。
一方ノルウェーは50程度のマイナスであれば、十分にIntegrateが可能な値を維持することはできる、と判断し、上記の選択肢を取ることにした。
1468年10月にはナショナルフォーカスを変えることができるようになったため、外交にフォーカスを当てる。
この後は「影響」アイディアをガンガン取っていき、外交併合を活用していくタイミングとなる。
また同じタイミングで統治技術レベルを6に上げ、工房を首都シェラン島とルンドに建造。
内政力の更なる強化に努める。
2.北方侵略戦争(1477年~1481年)
1477年1月1日。
停戦明け直後のリヴォニア騎士団に宣戦布告。
カール1世の初陣。父にも負けぬ能力。攻城がないのが残念だが。
戦争は10か月で終了。
エストニアのコアを持つ州を割譲させたうえで属国化。
そしてリヴォニア騎士団がノヴゴロドの領土に請求権を持っていたため、それを利用して1480年の10月に宣戦布告。
放っておけばどのみちモスクワに取られるのだから先にやっちゃったもん勝ちである。
戦争中に各種デンマーク固有のイベントが発生。
史実におけるハンス王が建てた聖クレア修道院、そしてクリスチャン1世が建てたコペンハーゲン大学の建設イベント。
地味だがそれなりの効果をもたらしてくれる。
また、1480年4月1日にはエストニアの併合が完了。
そして1481年の10月に、ノヴゴロドと和平する。
ノヴゴロドからはリヴォニアが請求権を持っていたインゲルマンランドのみ割譲させる。
そして十分な賠償金を得て和平。
やがてリヴォニアを属国併合したあと、ネヴァなどほかの領域を獲得していこう。
バルト海沿岸部を囲むようにして勢力圏を広げていく。
バルト海交易圏のシェア率は40%に達した。
一方でポーランドの「お前の領土を欲しているぞ」値が大変なことになっている。
いつ同盟破棄されてもおかしくはない。
オーストリアとも関係を改善し、いつでも同盟を結べるようにしよう。
いずれにしてもしばらくは拡張を止め、大人しくしていよう。
3.内政期
1482年7月26日。
2つ目のアイディアである「防衛」を獲得。
とにかく対ポーランド、対モスクワの防衛線をしっかりと強化する必要がある。
1484年2月2日。
馬上槍試合イベントが発生。
威信と正統性とを引き換えに陸軍伝統100相当の将軍が手に入る良イベント。
しばらく戦争する予定もないので少し迷ったが、やはり採用を選択。
強い将軍を見るのはいいものだ。
ところでドイツ騎士団がモスクワ大公国によって独立保証されている。
このままでは併合できない。どうしたものか。
そんなモスクワが、ノヴゴロドをさらに侵食。
このあと、ノヴゴロドは滅亡し、すべてモスクワ領となってしまった。
いよいよモスクワと国境を接することに。
1494年1月3日。
ついに、ノルウェーの併合を開始する。
そんな矢先に訪れたCall to Arms!
どうやらポーランドがモスクワに喧嘩を売るらしい。
4.大東方戦争(1497年~1501年)
正直、参戦するかどうかは迷った。
モスクワを相手するのはやはり、少々不安があるのだ。
よって、戦力データを確認。
モスクワ・ポーランド・リトアニアの総戦力を比較し、ポリ連合だけでモスクワを相手取ることが可能であると判断し、参戦を決める。
うむ、問題ない。
は?
なん・・だと・・?
まさかのオスマン参戦。
どうする?
とりあえず侵攻してきているモスクワ軍を殲滅することにする。
ホーグ将軍の初陣である。
問題なく勝利。
さっきまで近くに敵の援軍がいた気がしたのだが結局来ることはなかった。
もしかして意外とイケるんじゃないか?
1500年3月9日にモスクワが脱落。
しかしこれにより逆に戦勝点が大きく減少することになり、さらにポーランド軍のマンパワーも底をつき、南方戦線は今にも瓦解し、オスマン軍がこちらに流れ込もうとしていた。
よって、1501年1月28日。
敵の大オルドと分離和平。白紙和平となった。
結局、ほぼ何も得られずの戦いに終わった。
こんなんだったらさっさと和平しておくべきだった。
5.戦後
戦争中にいろいろとイベントが起きていた。
まずは「スカンディナヴィア憲法」。
史実におけるハンス王が、カルマル同盟強化のために制定した憲法、なのだろうか?
調べてもそれらしきものは出てこないが・・・
いずれにしても、非常に大きな効果をもたらす代わりに、スウェーデンがデンマークに対して大きな態度ペナルティを持つことになる。
併合の妨げになる危険もありうるか・・・と決断を遅らせていたら時間経過で自動で制定となってしまった。
それでも関係度は180程度までしか下がらなかったので、最悪現金を渡すことで態度向上させて併合することは可能そうだ。
また、「カール1世の改革」なるイベントも発生。
これも非常に高い効果をもたらしてくれた。
ほかにもスクリーンショットを撮り忘れたが巨大艦隊の創設なるイベントもあり、こちらも大きな効果をもたらす良イベントであった。
そういった良いニュースばかりが飛び込んでくる中で・・・
1501年1月27日。
大事に育ててきた後継者クリスチャンが死去する。39歳であった。
と、同時に出現する孫のクリスチャン。
神能力じゃないか!
と、狂喜乱舞していると、
え?
何が起きたのか。
神能力のクリスチャンが後継者となったのではないのか。
実際に正規の後継者となっているのはこの、ひどい能力のフレデリックである。
しかも継承権「弱い」ときたものだ。
一体なんなんだ。これは、バグか?
とりあえず、気を取り直し、バルト海沿岸地域大併合を開始する。
まずはリヴォニア騎士団。
そしてドイツ騎士団。
さらにはスウェーデンの併合も開始する。
外交官をすべて貼り付けて大併合大会の開始である。
1回併合するごとにほかの属国の友好度がダウンしているため、こんな風に一気に併合してしまうのがよい。
あまりに必要外交力が高すぎてスウェーデンの併合はしばらく開始できない状態だが、仕方あるまい。
ゆっくりと併合していこう。
最後に、1501年時点での経済状況を見てみる。
統治ポイントがあまり気味だったため結構税収開発を行っていた。
その結果もあり、税収入は合計11.18。
シェラン島からは単独で1.72も獲得している。
生産収入ではルンドが高い
スコーネ市場(Skåne Market)という特別なボーナスがついていて、商品生産量が多いがゆえである。
貿易状況も見てみる。
ハンザ同盟の影響力が強く、最も重要なリューベック交易圏でのシェア率がイマイチなおかげで、思った以上の収入を得られていない。
ここは宗教改革以後、ヨーロッパ全土を巻き込んだ宗教戦争の最中になんとか奪っていきたいところである。
1500年段階のデンマーク領土。
第3回に続く。