~前回のあらすじ~
2度目のブルゴーニュ侵攻を開始したフランスは、しかし技術の差、将軍能力の差の前に、壊滅の危機に瀕する。
そんな中、同盟国カスティリャの助力もあり、なんとかブルゴーニュからブルゴーニュ州を割譲し、かつブルターニュの完全併合を果たした。
再び内政の時を経て、三度のブルゴーニュ侵攻を、フランス王ルイ11世は目論んでいた。
1.対ジェノヴァ戦争(1486年~1489年)
ブルゴーニュとの講和期間が終わる1489年をひたすら待ちながら、内政に勤しむフランス王ルイ11世。
そんな彼を尻目に、スイスやピエモンテが共同してサヴォイア公国に攻め込み、その領土を奪い取ってしまった。
サヴォイア公国はルイ11世の2番目の妃の実家であり、かつては強固な同盟国の一つであった。
そんなサヴォイアも、いまやフランスの標的の一つとなった。
現時点ではまだ、サヴォイアは神聖ローマ帝国の一員であり、皇帝がその保護を宣言しているため手が出せないが、時が来ればいつでもその領土を得られるよう、すでにその領土相続権を捏造し終えていた。
もう一つ、フランスが狙っている土地があった。
それはフランス王家の支流であるヴァロワ=アンジュー家が支配する、アンジュー公領およびプロヴァンス伯領である。
ゲーム上では「プロヴァンス国」として表記されているこの領域は、ルイ11世にとっては叔父にあたるルネ・ダンジューによって統治されていたが、ルイにとってはサヴォイアと同じく、やがて併合されるべき国の一つに過ぎなかった。
イングランドとはまだ矛を交えるつもりはない。
よって、プロヴァンスと同盟を結んでいるジェノヴァ公国に対して宣戦布告を行い、プロヴァンスを釣り出す作戦に出る。
ジェノヴァも帝国領の一部であり、本来であれば、宣戦布告に対して皇帝(Styria)が敵側で参戦するはずであった。
しかしこのとき皇帝は、ヴェネツィアとの戦争を開始し、ジェノヴァもそこに巻き込まれていたため、皇帝の助力は得られない状態であった。
1486年5月11日。
フランスはついに、ジェノヴァ・マントヴァ・プロヴァンス同盟に宣戦布告を行う。
白兵5の驚異的な能力をもった将軍ジャックも生まれる。
2番目のアイディアとして「防衛(Diffensive)」アイディアを取得して年間陸軍伝統上昇率を向上させており、それが40近くまで高まっていたがゆえである。
「攻撃(Offensive)」とどっちを取るか迷ったが、陸軍伝統上昇と士気の上昇はとくに序盤においてはやはり効果的である。
戦争自体はまったく問題なく進行。
プロヴァンス伯(=アンジュー公)領の全プロヴィンスを占領し、開戦からわずか1年後の1487年11月27日、プロヴァンスとの講和が成立する。
その首都プロヴァンス州を割譲させる。
先立ってプロヴァンス伯は、教皇領からアヴィニョンを奪い取っていたため、彼らの国の新たな首都はそこに遷都されたようだ。
本当はアンジューも請求権を捏造しており奪い取りたかったのだが、やはりあくまでも防御的同盟参戦国として戦っている相手であるため、獲得に必要なポイントが跳ね上がり、ほぼ100%の戦勝点でも実現ができなかった。
代わりにやっかいなイングランドなどの同盟国との関係を破棄させる。
ジェノヴァとは1489年8月1日に講和が成立。
開戦のために領土権を主張していたクーネオの地を割譲させたうえで、395デュカートもの賠償金を支払わせた。
なお、この戦争中に、「偏在する蜘蛛」ルイ11世が崩御した。
34年にわたる治世。享年は65歳。この時代にしては長生きな方であった。
代わって即位したのはニコラ・アンリ1世。
能力値が父に劣ることはないが、この時点ですでに47歳。しかも現時点で後継ぎがいないという状態。
なんとか1489年10月6日、27歳年下の妻ジャンヌとの間に、男子ルイが誕生する。
しかし能力値の合計はたったの5と、先が思いやられる。
この時点で0歳なので、下手すると在位期間が非常に長くなりうる・・・これは、新DLCからの機能である廃嫡や譲位なども、下手したら考えなくてはいけなくなるかもしれない。
2.対サヴォイア戦争(1490年~1491年)
1489年を迎え、ブルゴーニュとの講和が切れる。
ブルゴーニュは現在、オーストリア・ルクセンブルク・ホラントなどと同盟を結んでいるが、オーストリアが対皇帝戦などで手一杯のため、残り3国とのみ戦う形であった。
すなわち、開戦時期としてはベストなタイミングと言えた。
しかし、懸念がひとつ。
攻撃的拡張(Agressive Expansion, AE)である。
すでにプロヴァンスとクーネオという、決して開発度の小さくない領土を併合しており、それだけでもAEの上昇量は結構なものがあった。
ここでさらにブルゴーニュから大きく領土を奪ったり属国化したりすると・・・きっとそのAEが大きく爆発してしまうだろう。
もちろん、領土をあまり奪わないという方法もある。しかし、せっかくの3回目の参戦。あまりにも小さい戦果では勿体なさすぎる、という思いが働いて、すぐの開戦は躊躇ってしまっていた。
そうこうしているうちに、同盟を結んでいたブラバント公国が、ブルゴーニュに対して宣戦布告。
その敵同盟国の欄を確認し、目を疑った。
イングランド・・・!?
詳しくプロヴァンスの国家情報を見てみると・・・
なんと、ブルゴーニュがイングランドから独立保証をされているではないか!
かつて自らの領土を2度に渡って蹂躙した憎き仇敵であったはずなのに!
しかし確かにこの独立保証は効果的である。
この状況を前にして、フランスは対ブルゴーニュ開戦を暫くは諦めざるをえなかった。
そして当然、先のブラバントからの参戦要求も突っぱねる。
これにより、ブラバントは単独で、ブルゴーニュ・イングランドその他いくつかの国家が集まった同盟軍に立ち向かわなくてはならなくなった。
せめて君がイングランドたちをしっかり足止めできるならば、横槍を入れて助かることもできなくはなかったかもしれない。
だけどこちらを頼り切って宣戦したのは君だ。
独力でなんともできない相手に喧嘩を売るべきではなかったんだ。
そうこうしているうちに、待望の「影の王国」イベントが発生。
これにより、イタリア地域の国家はすべて帝国から離脱。
サヴォイア公国もこれで、自らを助けうる国をすべて失ったこととなる。
1490年11月7日。サヴォイアに宣戦布告。
敵は1州。兵は3000のみ。
戦争は10ヶ月で終結した。
しかし高開発値を誇るサヴォイア州を獲得したことによりAEが更なる急上昇。
ついに、フランスに対する包囲網が完成した。
とはいえ、主要国とはすでに関係改善を終えており、今回の包囲網は大した規模ではなかった。
これなら宣戦布告されることもないであろう。
次の攻撃目標はプロヴァンス。
プロヴァンスと同盟を結んでいるブルゴーニュもそれで釣り出せるはずだ。
よって、プロヴァンスとの休戦条約が切れる1503年1月までは、大人しくしていることにする。
ところで、帝国内が随分ぐちゃぐちゃになっているようである。
すでに選帝侯は5人。
しかもヴュルツブルクとヴュルテンブルクというなかなか珍しい顔ぶれも。
ケルン、マインツ、トリーアといった聖界諸侯が悉く地上から消滅し、ザクセンもまた近隣諸国によって完全に分割されてしまったようだ。
まだ開始から半世紀も経っていないというのに、随分と激動のドイツ情勢である。
第4回に続く。