0.前回のあらすじ
見事、ブルゴーニュからの独立を果たしたホラント公アルバート。
その後もユトレヒト、フランドル、フリースラントと次々に領土を拡張していく。
そんな中、ケルン選帝侯との戦いに勝利し、領土を拡張したのが隣接するミュンスター司教領。
ホラントにとって、新たなライバルとなる国の誕生である。
1.ブルゴーニュ戦争
早急に対応しなければならなかったものの、先のケルンとの戦争時に我々も同盟国として参戦していた(そして何もしていなかった)ので、1476年まで休戦期間が続いてしまっている。
その間、国力を貯めることしかできない。
と、思っていると、先にブランデンブルク・ブラウンシュヴァイク・オルデンブルクなどの連合軍がミュンスターに侵略戦争を仕掛けていた。
あっという間に全土制圧されたミュンスターは、ケルンに領土を返還したうえで、オスナブリュックをオルデンブルクに割譲するという憂き目に遭う。
もちろんこれはホラントにとってはチャンスである。
領土を失い、弱体化したミュンスターをこちらが美味しくいただくだけである。
しかし、問題が1つだけあった。
これは、チャンスでもある。
今、対ブルゴーニュ戦争に、オーストリアは参戦してはくれないが、フランスならば参戦してくれる。
30年前と違い、ホラント陸軍も少しは強大化されている。
苦戦を強いられるのは間違いないが・・・それでも、ブラバント公国が保有するアントウェルペンを手に入れる、千載一遇のチャンスである。
かくして、1476年の夏。
4年前に名君アルバート公の後を継ぎ新たにホラントの君主となったウィレム7世は、ミュンスター・ブルゴーニュ・ブラバント同盟に宣戦布告する。
迎え撃つ我が陣営はホラント・ケルン・ゲルデルン・フランドル・そしてフランスである。
兵力ではフランスのおかげで圧倒している。
あとはそのフランスがまともに戦ってくれるかどうか。
10月。
アントウェルペンを舞台にした激戦が繰り広げられる。
ホラント単体の軍勢ではブルゴーニュ軍には勝てない。
だが、そのとき、フランスの2万3千の兵が救援にかけつけてくれた!
開戦前に行われていた馬上槍試合にてスカウト*1した天才将軍ルドルフの力も借りて、なんとかブルゴーニュ軍主力を打ち砕くことができた。
しかしやはりブルゴーニュの強さは健在で、そしてフランスも言うことを聞かない動きをするため、何度かホラント軍は敗走させられ、人的資源が底をついたために大量の傭兵を雇用しながら戦線を維持していった。
そうしてなんとか開戦から3年の月日が経ち・・・
1479年12月1日。
ブルゴーニュ公はついに降伏した。
アントウェルペンの割譲および213デュカートの賠償金獲得。
このあとにミュンスターとも講和。
攻撃的拡張(agressive expansion)が上がり過ぎると危険なのでミュンスターからは領土をいただいたり属国化を強制したりはせず、賠償金と他国との同盟破棄のみを迫った。
決して簡単な戦いではなかったものの、これによって得たアントウェルペンの価値はその苦労を補って余りある。
アントウェルペン復興後は、イギリス海峡交易圏における交易シェア率が、イングランドを抜いて1位にのし上がったのである。
2.各種イベント状況
この間に様々なイベントが起きている。
たとえば、新パッチから新たに導入された「制度(Institution)」。
1450年にフィレンツェで生まれた最初の制度「ルネサンス」は、ホラントには1462年に到来した。
早速受容。
ヨーロッパ内でも技術格差が生まれるというのは今までにない緊張感をもたらしてくれるとは思うが、さて成功するや否や。
また、1476年には懇意にしていたオーストリアから、選帝侯にならないか、というお誘いが来る。
こんなことは初めてだったので、果たしてメリットがどれくらいあるのかはわからないが、つい二つ返事でOKしてしまう。
これよりホラントはホラント選帝侯領となり、かつ、ホラントの君主はホラント選帝侯となる。
3.ヤコバ女公の即位とネーデルラント沿岸部統一
1483年9月17日。
ホラント選帝侯ウィレムが崩御してしまう。
まだ36歳という若さだったというのに。あれほど有能な能力値をもった君主が、こんなにも早く!
後を継いだのは7歳下の妹ヤコバ。
兄と父に比べると能力値において見劣りがしてしまう・・・
その後もなかなか後継者に恵まれなかったインスブルック家ではあるが・・・
1497年2月10日。
待望の男子が生まれる。
名前は亡き兄ウィレムを継承する。
名前だけでなく、その才能も伯父にそっくりなこのウィレムが成人するまでの間、ヤコバにはしっかりとホラントを守ってもらわなければならない。
もちろん、国土の拡張も。
女だからといって、そこを遠慮するつもりはヤコバにもなかった。
1500年1月20日。
同盟を結んでいるゲルデルン公国を合法的に征服するべく、その同盟国である東フリジアに宣戦布告して攻め込む。
即、ゲルデルン併合。
ついでにミュンスターも同盟国であったためこれも制圧し、属国化する。
東フリジアの併合までは欲目を出さなかったにも関わらず、包囲網が組まれてしまう。
しかし、大国の参加はほとんどなく、こちらもフランスやオーストリアに加えてデンマークとも同盟を結んだこともあり、実際の宣戦布告はされなかった。
1503年には調子に乗ってオルデンブルクに戦争を仕掛け、ついてきたブルンズウィクとブランデンブルクも打ち倒し、ミュンスターの旧領オスナブリュックを返還させる。
(のちにミュンスターを丸ごとホラント領に併合)
1513年には東フリジアも属国化。
もはや、フランスやオーストリア級の大国でもない限り、ホラントの陸軍に勝てるものはいない、といった状態になってきた。
そして、時代は新たなる時代。
すなわち、「植民地時代」へと進展していく。
4.新世界発見と入植開始
1484年に「探検(Exploration)」アイディアの2番目、「新世界の探索(quest for the new world)」を獲得し、探検家アントン・デ・ウィットを雇用して新大陸および喜望峰に向かわせる。
植民ができるのはもっと先。
外交技術レベル7でも足りず、レベル9まで待たなくてはならない。
この辺りはやはり、スペイン・ポルトガルが地理的に植民に有利であることがよくわかる。
そして、1501年12月28日。
航海から戻ってきたデ・ウィットが病死するイベント。
探検家特有のイベントかと思っていたらのちに普通の将軍でも発生。
今までは将軍は自然死だったはず。
新パッチになってちょびっと新しくなった部分なのだろうか。
ともあれ、1503年にようやく最初の植民地を建設開始。
目標はカリブ海、および喜望峰に至る橋頭保としてのサントメ島であるが、現時点での植民距離ではいきなりそこにはいけないため、南アメリカ北部の、原住民がそこまで強くない一角にまずは入植する。
アルカンタラ(Alcantara)はサンルイスの近郊に位置する都市。
アルカンタラの東にあるマラニョン(Maranhao)がサンルイスを擁する州である。
すでにスペインの植民地が複数生まれており、植民地レースでの出遅れを痛感する。
なお、1500年には2番目の制度である「植民地主義(Colonialism)」がスペインで誕生しているが、そのこともまた、イベリア半島勢の植民熱の高さを象徴している。
1510年にマルティニーク島に入植。
現在ではフランスの海外領土の1つとなっているが、この世界ではオランダのものにしてみせる。
しかし周辺にはすでにポルトガル入植の跡が・・・
1516年に南米交易拠点の1つ、バイーア(Bahia)に入植。
これは、サントメ島への入植への足掛かりにするために必要な領土であった。
なお、このバイーアの南方には同じく南米交易拠点の1つであるリオデジャネイロが存在しているが、そこはスペインに先を取られてしまった。
まあ、そんなところはどうでもいい。
カリブ海とチェサピーク湾とサントメ島さえ確保できれば、植民計画において問題はない。
なお、植民のメリット、デメリットであるが。
植民の大きなメリットはもちろん、莫大な現金収入である。
それを生み出すのは、植民地特有の交易資源の存在である。
たとえば赤道周辺の植民地から多くとれる「ココア」。
単純な商品価値だけでも4デュカートと、高くても3デュカート程度の旧大陸の資源よりもずっと強力である。
しかも後々イベントによってこの価格はさらに40%上昇する。
ほかにも高価値資源として染料(価格4)や、すぐに価格が1.5倍になるタバコ、砂糖、コーヒー(いずれも初期価格は3)なども新大陸で獲れる。
アフリカ大陸にいけば価格4の象牙も豊富に獲得できる。
こういった商品の価格は、その交易ノード(交易圏)全体の収入を決定付ける。
ただそれだけでは意味がなく、あとはその交易ノードにおける交易シェア率を高める必要がある。
交易シェア率は「交易力(Trade Power)」を高めることによって拡大することが可能で、交易力は「交易中心地(Center of Trade)」や河口部の州を獲得することで大きく稼ぐことができるほか、商人の配置や小型船に交易保護ミッションを行うことで高めることが可能だ。
さらに各交易ノードは交易収入の「行き先」があらかじめ決められており、交易シェア率を高めることで、より自国にとって有利な交易ルートに収入を流すよう仕向ける必要がある。
そのためには商人の数も重要で、「探検」アイディアや(今回3番目に取ることになる)「拡張」アイディアによって大量の商人を得ることができるほか、ホラントは第1回で紹介したように、固有アイディアによって初期に商人を増やすことができるのも強い。
西アフリカに位置する象牙海岸ノード。
無数の「行き先」を持つこのノードでは、自国に有利なセビリアノードへと収入を誘導しようとするスペインやポルトガルに対抗し、ホラントにとっての回収地点であるイギリス海峡へと収入を流すべく、交易力を高めていく必要がある。
もちろん、デメリットもある。
植民のために入植者を派遣する際には維持費が必要で、しかも初期において植民競争に勝つために無数の入植地を同時成長*2させようとすると、さらに大きな資金が必要になってくる(入植者の数以上の入植地を成長させようとするとより大きな維持費がペナルティとして課せられるため)。
そのため、巨大なる植民地帝国を築き莫大な富を得るために、その最初期の段階ではそれなりの投資を行わなければならないのである。
だからこそ、元手としての資金が必要になる。
まずは、旧大陸で。
ホラント中興の祖となってくれたヤコバ女公に代わって、新たにホラントの君主となったウィレム8世は、ミュンスターやオルデンブルクの併合を進めつつ、その拡張の最終段階として、ついに旧大陸における北ドイツ最大の交易拠点であるハンザ同盟に戦いを挑むこととなる。
ここを確保することができれば、バルト海交易圏から流れ込む莫大な資金をイギリス海峡に流し込むことができ、より強大な植民地帝国形成の大きな原動力となってくれるはずだ。
そして1549年5月8日。
ハンザ同盟の都市自体は大したことないのだが、拡大し過ぎたホラントのこの行為に対し、帝国の守護者たるオーストリアが黙ってはいなかった。
こちらにもフランスがついている。
総兵数は6万vs6万でほぼ互角。
ヨーロッパを2分するこの戦いで、勝利しなければホラントの未来はない。
偉大なる伯父の名を継いだウィレム8世は、果たしてこの正念場を潜り抜けることができるのか。
(第3回に続く)