聖職叙任権を巡り、ときの教皇グレゴリウス7世と皇帝ハインリヒ4世とが対立し、最終的に教皇が皇帝を破門。
破門された皇帝に対し帝国諸侯らは対立姿勢を強め、強制的な皇帝退位すら求める姿勢を見せ始めた。
窮地に立たされた皇帝ハインリヒは、教皇が滞在していたカノッサ城に赴き、雪の降る中、修道服姿のままで赦しを求めた。
最終的に皇帝は教皇に赦され、破門は解除された。
この事件は一般的に、皇帝が教皇に屈した出来事として記憶されている。
しかし実際には、この事件の直後、帝国内の反対派諸侯を制圧したハインリヒは、逆にローマを包囲して教皇を追放した。
皇帝ハインリヒの、目的のためなら手段を択ばぬ性格が強く反映された事件である。
フランスと手を結んだ教皇インノケンティウス8世により、破門されてしまった皇帝フリードリヒ3世。
彼はかつての皇帝ハインリヒと同じ手段を取ることはなかった。
彼は史実の彼同様、「待ち」の姿勢により事態が好転するのを待ったのである。
しかしこれにはもちろん、リスクもある。
教皇よりも先に自分が死ねば、破門を理由に皇帝への不支持を表明している選帝侯たちが、息子のカールを次の皇帝にすることを拒絶するに違いない。
自分が死ぬのが先か、教皇が先か。
まさに、運命の賭けへとフリードリヒは打って出たのである。
そして、審判は訪れる。
1470年8月1日。
インノケンティウス8世が73歳の高齢でようやくこの世を去った!
フリードリヒは、賭けに、勝ったのである。
新しい教皇はまだ47歳と若いグレゴリウス13世。
史実では現在も使われている「グレゴリウス暦」を採用した人物と知られ、そういった偉業を反映してか、能力値もなかなかに高い。
(史実で彼が統治していたのはこの時代から100年以上後のことではあるが)
イングランドとは敵の敵は味方の関係で仲良くさせてもらっている。
そのため、問題なく破門は撤回され、継続されることはなかった。
これにより選帝侯らの態度も緩和され、皇帝の世襲も問題なく実行されそうな情勢へと戻っていった。
万事うまくいったことを確認したフリードリヒは、「待ち」の姿勢を脱ぎ捨て、再び、ヴェネツィアを攻めたときのように攻撃的な姿を見せつけた。
彼もまた、狡猾さと獰猛さとを兼ね揃えた、ハインリヒのような皇帝の中の皇帝であったのだ。
1471年9月1日。
かつて、フリードリヒが慈悲深く赦しを与えたバイエルン公ではあるが、当時の公ヨハン4世の死後、17歳の若きレオポルド・フェルディナント1世が後を継ぐと、破門宣告を受けていた皇帝に敵対的姿勢を示し始めたのであった。
それは新教皇就任後も変わらず、これを見かねたフリードリヒは、再度の制裁を加えることに決めた。
バイエルン公はヴェネツィア・レーベンスブルク・アルザスなどと同盟を結んでいたが、こちらも同盟国であるミラノ公・アラゴン王・プファルツ選帝侯・ボヘミア王・ハンガリー王と共同し、宣戦布告を果たした。
3倍近い軍勢でもって敵連合軍と激突。
オーストリア軍はほとんど直接戦闘をせず都市占領に専念。
会戦はほぼ同盟国の軍隊が担ってくれた。
この戦争も問題なく勝利し、帝国は再び拡大の一途を辿ることになるだろう。
その確信を得たフリードリヒはやがて、安心しきった表情で眠りについた。
1473年2月18日。
彼ももう、58歳であった。
史実ではまだまだ長き生を送り、長き治世を送ることになっていた。
しかしこの世界の彼は、史実と比べ、より大きな困難と苦悩に立ち向かっていた。
彼の身体はすでに十分な疲労に蝕まれていた。
それでも彼の表情は、これ以上ない満足に溢れていた。
何しろ彼の帝国はしっかりと拡大しており、また彼の息子も健在であり、諸侯も息子の帝位継承を歓迎してくれている。
一人のローマ皇帝として、父として、これほど幸せなことはない。
「長き生を受けた皇帝よ! 選帝侯らは私たちに対する信仰を維持し、また帝冠はオーストリアに遺されることとなった。我らが国が帝冠に対する支配力を強めたがゆえに、諸侯らは我々を、その帝冠に最もふさわしき者であるとみなし始めている!」
史実のフリードリヒは「神聖ローマ帝国の大愚図」と呼ばれることもあったという。
しかしこの世界のフリードリヒは、あるいは史実のフリードリヒにしても、その帝位をハプスブルク家において継承したという点において、最も偉大なる皇帝の一人であることは間違いない。
だがこれは始まりに過ぎない。
ハプスブルク家による神聖ローマ帝国の完全なる完成は、今まさにそのスタートが切られたに過ぎないのである。
フリードリヒの好きだった言葉に、“A・E・I・O・U”という言葉がある。
これは“Alles Erdreich ist Österreich untertan”(オーストリアは全世界の支配者なり)の略であると言われている。
まさに、彼は帝国の伸長とその完成を夢見ていたのである。
その夢を果たすべく、まずは帝位の世襲という難事を成し遂げ、そしてその夢は、その子孫らに託されることとなった。
果たして彼の夢は果たされるのか。
その答えは次の物語以降へ。
(第4回:「カール1世の治世」に続く)
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